8)井上源三郎


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 井上源三郎は、新撰組の六番隊組長。


 武蔵国曰野宿北原(現在の東京都日野市曰野本町)にて、八王子千人同心世話役の井上藤左衛門の三男として生まれる。


 天然理心流の三代目宗家・近藤周助に入門。佐藤彦五郎が天然理心流の出稽古用に設けた道場で土方歳三らと共に稽古に励んだ。また勇の兄弟子でもあるので、彼らとはこの頃から親交を深めたとされる。


 浪士組に近藤、土方らと参加。後の新撰組に名を連ね、副長助勤に就任後、最終的に新撰組六番隊組長となる。


 池田屋事件では土方隊の支隊の指揮を担当。何人もの浪士を捕縛する活躍をみせる。


 慶応四年、鳥羽伏見の戦いが勃発すると新撰組は淀まで退却する。そして淀千両松で官軍と激突(淀千両松の戦い)、敵の銃弾を腹部に受けて戦死した。


 甥の井上泰助が源三郎の首を持ち帰ろうとするも、あまりに重かった為戦場近くの寺院の境内に首と刀を埋葬したというエピソードが伝わっている。

 この寺院の正確な場所は不明であったが、後に郷土史家と新撰組研究家の調査により、墨染(京都市伏見区西桝屋町)に欣浄寺という、伏見大仏で知られる曹洞宗の寺院が現存し、源三郎の生家の隣にもこれと全く同じ名称の寺が存在する事から、埋葬場所はここの可能性が高いと思われる。首塚も現存するのだが調査が行われていない為、詳細は不明である。



 隊内では主に対外的な職務や要人の接待等の総務を担当した。

 同門の近藤や土方とは絶大な信頼で結ばれており、二人をよく補佐していた。


 酷く無口な、それでいて非常に人の良い人で、若い隊士からの人望も厚かったという。一方で頑固な面もあり、一度言い出すとテコでも動かないところがあったそうだ。


 また、壬生で子ども達と遊んでいた沖田総司が通りがかりの源三郎に「また稽古ですか、熱心ですね」と声をかけると、「そう言うなら遊んでないで稽古をしたら良いのに」と嗜めたというエピソードが残っている。



 試衛館時代から皆にとっての父親的存在であったと思われ、創作作品の井上の立ち位置は殆どが縁の下の力持ち的な役回りだ。


 作者の印象は、優しく穏やかで近藤、土方にそっと助言するという良き兄、または父親的存在であったが、頑固な面もあるという事で意外と影の局長だったのではないかと思う。



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