4 近藤派の浪士組参加


―――


 近藤勇は、浪士募集を聞くとすぐに土方らを連れ松平上総介を訪ね、募集の真意を聞いた。


 上総介は松平春嶽らの思惑はもちろん言わず、来春将軍である徳川家茂が京都に上洛する為、今回の募集はその警護としての京都守護であると雄弁にもっともらしく説いた。


 これを聞いた近藤らはすぐに参加の意を述べ、こうして浪士組に加わった。



 文久三年(1863年)二月四日に会合を開き、六日には全部の編成を終わり、八日には一同京都へ向かって出発した。


 編成についてはまず隊は全部で七つあり、それぞれを一番隊、二番隊と番号を振り、隊長という立場の者を伍長ごちょうといった。

 隊士はほとんどが清河八郎の同士で伍長の立場だった。


 近藤勇以下試衛館の面々は六番隊に配置され、平隊士としてのスタートとなる。


 この時はまだ清河らが実権を握っていたと言える。



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