クラウディアン

@tairin

もやもやの下で

 大雨が降る中、俺は裁判所へと向かっていた。雨が靴の中に入り、足取りがリアルでも心の方でも重くなっている。どうしてこんなことになるのだろうか。何も俺が訴えられたとか、訴えたとかそんなことじゃない。記者として裁判を傍聴する羽目になったのだ。そう、俺の仕事は記者。記事を書き、人々に真実を伝える最高にかっこいい仕事だ。だが、今回の仕事はかっこいいやつじゃない。何度も裁判を起こしながらも、特に進展することがない泥沼化した裁判を傍聴するからだ。おそらく今回も、進展することはないだろう。その証拠に、整理券すら発行されず、特に労せずに傍聴することができた。どうでもいいことだが、今日はやけに裁判所の上に雲が集中していて大きいことに気が付いた。

「これより、審議を開始します」

 裁判長の合図で、法廷の審議が開始された。今回は、被告の証言の審議が争いの焦点となった。と言ってもこれはいつものパターンで、裁判では同じことを争えないので、しょうがなく事実と違っているかもしれないがあまり事件と関係なさそうなことで裁判を起こしている。そんなことだから、傍聴人がほとんどいないのだ。

今回のことにタイトルをつけるとしたら、「アンネちゃん事件今回も進展せず」といった具合だろう。

裁判所の審議は、事件と違って滞りなく進み、被告の無罪で閉廷した。こんなことが数年にわたり繰り返されているのだから、当事者を含め周りの人間はうんざりしているだろう。

裁判所から出ると、雨が止んでいた。俺は気晴らしに散歩することにした。天気は未だよいといったものではないが、暗い感じも嫌いじゃない。少し裁判所の周りを歩いていると、何だが警備員が忙しそうにしているのが見えた。俺は少し話を聞いてみることにした。

「何かあったのですか?」

「人が倒れているんだよ。今、救急車を呼んだところだ」

 見ると、全裸の女性が倒れていた。長いオレンジの髪、やわらかそうな肌、薄い唇に小さな顔。全裸ということだけでなくその美しい体に目が釘着けとなった。すぐさま彼女に興味が沸いたため、矢継ぎ早に隣の警備員に聞いたが、あまり実りあるものではなかった。警備員が見回り中に偶然見つけたそうだ。話を伺っているうちに、救急車が来たため俺は取材のために同乗することになった。

 検査の結果、特に彼女に問題はないそうだ。病気や傷なく、数値も正常。これといって外見に異常なし。しかし、謎は残っている。彼女の出自だ。彼女は、身元を証明するものは何も持っていなかった。彼女の口からその素性を聞くまでは真実にたどり着けないので、俺は、彼女が目覚めるまでそばに居続けた――。


「ちょっと…。ねぇ…ちょっと!」

 居眠りをしていた俺を、誰かの声が邪魔をした。寝ぼけ眼で、その声の方へ顔を向ける。声の正体は、雨の中全裸で倒れていた少女だった。

「ああ。目が覚めたか?」

「そんなことよりここどこよ?病院みたいだけど?」

「お察しの通り病院だよ。一応自己紹介しとくと、俺は、ライタ。記者をやっている。君をここまで運んだのも俺だ」

「へえ…。ところで聞きたいんだけど。いい?」

「ああ。どうぞ。その前に準備をさせてくれ」

 ようやく彼女のことが聞けると思い、メモの準備をし始める。

「さあ、どうぞ」

 準備が整い、彼女に尋ねた。

「私はだれ?」

 俺は握っていたペンを落とした――。



 彼女は記憶を失っていた。自分のことに関する全てを。どこで生まれたのか。どこに住んでいるのか。仕事、友人、家族のことは何も知れない。

 ただ、あることだけは、鮮明に覚えていた。

「何か思い出せることはないのか?何かの景色とか、人とか」

「そうね…。人…人…平塚アマネ…平塚コウガ…クリス…」

 俺は、その名前を聞いて驚いた。その名前は、数時間ほど前まで裁判で争っていた被害者と遺族の名前だからだ。このことは、俺の興味を引いた。

「なんでその名前を?裁判所の話を聞いていたのか?」

「裁判所?私そこにいたの?私は裁判所の記憶なんてないわよ」

 もしかしたら、ふざけているのかもしれないと思った。そこで、俺は少しかまをかけてみた。

「そうか。じゃあ、アマネちゃんはいくつで亡くなったか知っているか?」

「亡くなったの?そう…それは気の毒にね」

 ふざけているのかもしれない。彼女が死んだために、長い間裁判が続いており、俺がうんざりしながらあそこにいたというのに。面白いことがあると期待して彼女を病院までつれていったというのにとんだ無駄足だ。会社から帰ったら、上司にどやされ、最悪クビになるかもしれないというのに…。

「君はどうやら少し頭の整理をしたほうがいいよ。今後のためにね。俺は仕事があるから帰らしてもらうね」

 俺は彼女にそう言うと、帰る準備を始めた。

「お父さんは、元気かしら。家の中でもたばこを吸っていたから心配ね。きっと娘さんを失ってたばこの数も増えたんじゃないかしら」

 この話を耳にして、俺は作業を一時中断した。俺は何度か平塚コウガの裁判を傍聴したが、一度も彼がたばこを吸うところや、ヘビースモーカーだったという話は聞いたことがない。彼女は、この事件の手がかりを握っているのかもしれない。そんな考えがよぎった。コウガのことを調べて彼女の話が合っているか確証がとりたかったが、俺では難しそうなので、彼女から事件の当事者のことを一人ずつ聞くことにした。

「なあ。家政婦のマコのことを聞かせてくれないか?やっぱり、亡くなったアマネちゃんのことを憎んでいると思うか?」

「帰るんじゃなかったの?」

「いや、ちょっと気になって…とにかく話してくれよ」

「いやよ」

「なぜだ」

「なんだか疲れたわ。あなたの言う通り頭の整理をしたほうがいいわね。ゆっくり休んで」

 彼女は目を閉じて、寝る態勢を取り始めた。

「ちょっと待ってくれよ。大きなスクープになるかもしれないんだ!もったいぶらずに話してくれ」

 俺がそう言うと、彼女は何かを理解したような表情を浮かべた。

「なるほどね。なおさら、話す気が失せたわ」

「なぜだよ!」

「私が知っている情報は、大きなもののようね。そして、それは使い方次第で金になる。あなたは私を利用してそれを得ようとしている。そんな邪な人に手助けする気にはなれないわ」

 図星をつかれて俺は葉を食いしばった。

「ということで、私はもうちょっと自分が得をする相手に情報を渡すわ。いろいろありがとうね。おやすみ」

 そういって彼女は、俺に背を向けて眠りについた。

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