第9話




 ♢




 殺される。恐怖で支配されているのに、身体を震わせることすらできなかった。肉体の感覚をほぼ失っているため、ひたすら恐怖だけを感じさせられる。気が狂いそうだ。


「んー? 怯えてるねー。ま、普通だよね。そういうところも面白味がないんだよなぁ」


 こんなの怖いに決まっている。けれど、こいつが求めているのは他人の面白い死に際だ。何百何千の死を見て、もう飽きてしまった者の感覚だった。


「どうしよっか。予定とは違うけど、ここで殺しちゃおっか。戦力にもならないし?」


 俺の命は風前の灯だ。細い細い蝋燭に弱々しい炎が灯っているだけ。


「どんな方法が良いかな? 斬殺? 撲殺? 絞殺? 刺殺? 欧殺? 毒殺? 薬殺? 扼殺やくさつ? 轢殺れきさつ? 爆殺? 抉殺けっさつ? 圧殺? 焼殺? 溺殺? 射殺? 銃殺?」


 殺害方法が十も二十もポンポン出てくる。それだけこいつらが殺しに慣れ、詳しくなっているのだ。


「そうだ! 君の妹ちゃんに君を殺させようか! それに、余興で君に妹ちゃんを犯させるのも楽しいかもね。すっごい可愛いくて、君のことが大好きなブラコンなんだってね。お互いウィンウィンじゃん!」


 けれど、身の毛がよだつ心底穢らわしい提案に、俺の中の何かが弾けた。


「やってみろよクソがっ!!」


「……え?」


 マグマのような憤怒が、消えかけていた炎を燃え上がらせた。


「やれるもんならやってみろ! その前に俺がお前を殺す!!」


 相変わらず身体が動くことはない。けれど、口と眼球だけは俺の意識下に帰ってきていた。山田には感じなかった感情が激烈に昂ぶる。吸血鬼の持つ破壊衝動が極限に行き着いた感情、殺意だ。妹に危害を加えると言った瞬間、俺の中に殺意の業火が噴き上がった。


「……驚いた。こんなの初めてだ」


 呆気にとられていたテン・シナリスは、目を丸くして俺を眺める。


「上位の吸血鬼相手にも破られたことない【ブラッド】なんだけどな。やっぱり君は別格ってことか」


「うるせぇ! 妹に手ぇ出して見ろ! 内臓引き摺り出して目ん玉抉って噛み砕いてやる!」


「怖い怖い。キャラ変わってるって」


 本気で言っている。もし妹に何かあれば、それだけのことを平気でする確信がある。男爵バロンだろうが爵位級アッパーだろうが関係ない。どんな手を使ってでも、どこに逃げられても殺してやる。

 身体はまだ動かないけれど、何故かどうにかなる気がしている。この【ブラッド】を破れる未来が明確に想像できる。

 そんな俺をテン・シナリスは興味深そうに観察している。顎に手を当て身体に触れてきたり、目の前で手を振ったりしてくる。自分の【ブラッド】に絶対の自信があったのだろう。俺が動けることが信じられないようだった。


「ごめん。ちょっと舐めてたよ」


 けれど、今日一番楽しそうな顔をした。笑っているわけではないけれど、興奮と高揚感がありありと表情に表れている。


「君には使い道があるようだ。殺すってのは半分冗談だったんだけど、正式に謝るよ。妹ちゃんに手を出さないって約束した後、すぐに破るようなこと言ってごめん」


「謝って済むか。今すぐ殺し、て!?」


 突然身体が動かせるようになった。テン・シナリスに飛びかかる気持ちでいたから、その勢いのままちゃぶ台を蹴り上げて突進してしまう。けれど、テン・シナリスはふっと視界から消える。


「ここで殺し合うのはお互い無益だ」


 背後からテン・シナリスが俺の首を極めていた。逆の手に握られた血の刃が首筋に当てられている。


「もう一度誓うよ。僕は君たち兄妹に手は出さない」


「信じられない」


「信用なんて、って言葉はさっき言ったよね?」


 逆上せあがった頭が、少し落ち着いてきた。確かにこいつは何一つ信用できない。けれど、どんなに息巻いたところで、こいつと俺には圧倒的な実力差がある。それを証拠に今だって動きが見えなかった。そして何より、〈命と嘘の舞踏会ライフ・ライ・ダンスパーティー〉を敵に回してはいけない。


「……わかった」


「よし」


 苦渋の決断だったけれど、きっと始めからこうするしかなかった。弱い者は強い者に逆らえない。せいぜい気に入られるために道化になるしかないのだ。

 テン・シナリスが俺から離れる。向き直った俺たちは、ちゃぶ台があったスペースを空けて座った。


「じゃあ、ここからは真面目な提案をするよ。〈殲血の女王ブラッド・クイーン〉に会わせてよ」


「断る」


 前言撤回。死んでもこいつの思い通りになんてさせない。


「頑固というかシスコンというか……。理由を話そう。僕の【ブラッド】は上位吸血鬼にも効く。〈殲血の女王ブラッド・クイーン〉だって例外じゃない。詳しい情報を得るために、〈殲血の女王ブラッド・クイーン〉と会いたい。君の大切な妹ちゃんに会うんじゃない。〈殲血の女王ブラッド・クイーン〉に会うんだ。これも君にとって悪くない提案のはずだ」


「ダメだ」


 即答した。俺はこいつの【ブラッド】の危険性をすでに知っている。それに、きっとまだ奥の手があるはすだ。


「あなたの【ブラッド】は、相手を拘束するのではなく、意のままに操るものだ。つまり、操られている者は操られているという自覚すら失う可能性がある」


 妹に【ブラッド】を発動し、俺やこいつの聞きたいことを聞きだす。その後、表面上だけ解除し実際は永遠に操り続ける、何てことができるかもしれない。

 そういう観点から見れば、俺はまだ操られていてもおかしくはない。本当に厄介極まりない【ブラッド】だ。


「尤もな警戒だね。だけど、その考えは外れているよ。現に僕が君を操っている時、君は意識があっただろう?」


「それはあなたの計算だ。俺の【ブラッド】の内容は俺に聞かせないと意味がない」


「なら仕方ないな。無理矢理会いに行くことになるよ」


「わかった」


 テン・シナリスが口を開けてぽかんとした。保っていた余裕綽々の表情が初めて崩れた。


「どう言うこと?」


「俺は〈命と嘘の舞踏会ライフ・ライ・ダンスパーティー〉に抵抗なんてできない。できるのは意思や主張を示すことだけだ。だからダメだと言ったけれど、それに強制力はない」


 この数分間のやり取りで痛いほど思い知らされた。そこは認めざるを得ないし、吸血鬼になったからか、実力派が生み出す無情さをより色濃く感じるようになっていた。

 けれど、俺には俺の譲れないものがあるのだ。そういう意思をはっきりと示すことをやめてはいけない。


「今の俺はお前たちに振り回されるしかない。けれど、いつか必ず勝ってみせる。刺し違えてでも」


 妹を傷つける奴らは、誰であろうと許さない。だから、俺はテン・シナリス男爵バロンを睨み据える。


「会いに行くなら好きにしろ。けれど、俺は会わせるつもりはない」


「むちゃくちゃだね……」


 自分でもかなり意味不明で矛盾した理屈で喋っていると思う。ほとんど本気だけれど、実はその中に、一割程度の打算がある。

 正気で矛盾を語る人間は危ない。常識が通用しないから、何をするかの予測が立たないのだ。そして、今の俺は突然の会敵で多少なりとも混乱している。そんな俺が取り得る行動は無計画で危険なものばかりになるだろう。直近で言えば、妹に会いに行くというテン・シナリスの提案に反発して暴れる可能性が高い。

 テン・シナリスが俺を危険視とはいかないまでも、面倒だと思わせられれば御の字だ。今後のやり取りや駆け引きがやり易くなる。


「わかった。ここは君の演技にのせられておこう。〈殲血の女王ブラッド・クイーン〉と会うのはもうしばらく時間を置いてからで良い」


 深い溜息をしながらテン・シナリスが頷いた。意地を張った俺に付き合ってくれた形だ。


「ただ、そういうやり方はあまり使わない方が良い。とだけはアドバイしておくよ」


 当然だけれど、見抜かれている。さっきサラッと血液関係の知識が出てきたことも考慮すると、こいつはそこそこの年月を生きている。もちろん吸血鬼だから血に関する知識が豊富だという線もある。けれど、やはり警戒すべきは年齢だ。

 上位吸血鬼は自身の全盛期の肉体年齢で成長が止まる。これは彼らに流れる血液が代謝や栄養供給に関わっている。強い吸血鬼はそれだけ強い血が流れており、肉体を活性化させる力が豊富だ。心身に過剰なダメージを与えられない限り、上位吸血鬼は常に若々しいままを保つ。

 こいつが見た目通り十代そこそこの年齢の訳がない。きっと百年近くの時を生きている。


「これで僕の話は終わりだよ。今後は君たちを陰ながら見張ってるからね」


「見張ってるだけか?」


「基本的には。殺されそうになったりしたら助けるし、〈殲血の女王ブラッド・クイーン〉に異常が見られた場合は接触するけど、それ以外は舞台袖にいるよ。吸血鬼って元々そういうものでしょ?」


 渋々、了承した。それなら多少落ち着ける。男爵バロン級に周囲をチョロチョロされたら気が休まらない。それに、俺個人がこいつのことを好きになれない。快楽猟奇殺人鬼を好きになるはずもないのだけれど、そうではなく存在が生理的に嫌いだった。


「これからよろー!」


 ほら腹が立つ。嫌いだ。





 ♢


 ♢





 空になった輸血パックを草むらに投げ捨てた。男の全財産を売り払って買った最後のパックだった。これで男の持ち物は靴と服だけとなった。

 ホームレスだと言うことが発覚し、仕事をクビになって三カ月が経つ。だが、手取りなんてほとんど残らない給料で家賃を払うことなど不可能だった。生きる術を必死に考えた結果、宿を捨て野宿を続けることを選んだが、男にはそれすら許されないらしい。

 男の勤務態度は良好だった。同僚が嫌がる仕事は全て引き受けた。毎日二十時間近く会社で過ごした。

 だが、周囲の誰一人として、男を認めてくれる者はいなかった。


 吸血鬼だから。血を吸うから。


 必死に仕事を探したが、男を雇ってくれる場所などなかった。地を舐めるように頭を下げて、やっと日雇いの仕事をもらえた。だが、それも先月解雇された。景気が悪い昨今、企業は低賃金の吸血鬼と、一定賃金の若者とを天秤にかけて、後者を取った。


 喉が、渇く。飢えは何とかなったが、喉の渇きだけはどうしようもなかった。さきほど舌先にのせた血の一滴は、一瞬の多幸感を与えてはくれた。だが、それもすぐに搔き消え、ただの失意と口渇へと落ち果てる。


 山中を歩く男。ここがもう何処だかもわからない。空には月も星もなく、手元すら見えなくなっていた。


 このまま、死ぬのか。


 男は絶望の中、自分の人生を振り返る。物心つく頃には両親はおらず、育ててくれる引き取り手もなく、一人で生きていかなければならなかった。

 良いことなど何一つとしてなかった。まず最初に覚えたのは、盗みをすると私刑にあうことだった。

 その後は正しく生きようと努めた。読み書きや計算を自力で覚えた。法を犯さず、人に奉仕して生きてきた。


 だが、誰も男を幸せになどしてくれなかった。


 目を背けたくなるような走馬灯の中、倒れ伏そうと脚の力を抜いた時、ふと灯が見えた。目を凝らしてみると、足元はアスファルトで、ここが人の暮らせる場所だとわかった。

 灯は、民家のものだった。味わいのある古民家と、新築の二階建ての家。物好きな連中はいるらしい。こんな山奥に二つの家族が住んでいた。


 最初、頼みこめば食べ物を貰えるのではないかと思った。だが、それもすぐに振り払う。こんなどこの誰だかわからない怪しい吸血鬼に優しくしてくれる人間などいない。


 それでも、足は灯のもとへ吸い寄せられていく。石塀の向こうに玄関があり、その中には暖かい家庭がある。


 それは、男がどんなに望んでも手に入らないものだった。


 この低い壁が、どうしてこんなに高く感じるのか。


 家の中から、子供の笑い声が聞こえてきた。女の子の楽しそうな声と、おどけるような父親の笑い声。この家族は、幸せな生活をその手に掴んでいる。


 頬を伝う熱を感じた。唇を噛みちぎりながら、真っ赤な涙を滔々と流す。


 何故、自分だけがこんな思いをしなければならないのか。

 何故、こいつらばかりが幸せなのか。


 男は、腹の底で芽生えた感情に身を任せることにした。


 人生で初めて何かに興奮し、男は笑顔になった。




 

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