Fortune-telling,






 少女と男の子の不可思議な関係は、それからも続きました。


 つらい出来事を抱え込んで、溜め込んで、それがついには鋭利な針に化けて心を刺して。少女はそのたびに泣きながら、途方に暮れながら、嫌でもあの公園を目指してしまいます。慣れの持つ力は恐ろしく強くて、勝手に足先が公園を探してしまうのです。

 そして、そのたびに男の子と出会いました。

 昼間に行っても夜に訪れても、男の子はいつも決まって公園の隅から現れました。

 そうしていつも気遣うのです。大丈夫、僕でいいなら話してよ、つらい記憶を独りで抱き締めちゃダメだよ、って。

 毎度のように少女は逃げてしまいました。いいです、大丈夫です、泣いてなんかないです。拒絶の言葉の種類は日に日に増えていきましたが、伴う行動はいつも同じ。そっか、と寂しげに返した男の子から、黙って距離を取って、逃げ出します。

 だって話せるはずがありません。

 本当のことを打ち明けられるはずがありません。

 見ず知らずの相手にそんなことをしたら、迷惑に決まっているのですから。

(あの人だって、私が泣いてるから、仕方なく声をかけてるに違いないのに)

 申し訳ないやら、情けないやらで、男の子のことを思い浮かべるたびに少女の胃はきりきりと痛みます。みじめで、恥ずかしくて、切なくなります。

 男の子も物好きなものです。どうして、こんな泣いてばかりの子に関心を持つのでしょうか。もっと可愛くて、もっともっと幸せそうな子など、公園の中にはいくらでも見当たるというのに。

 少女には男の子の言動が理解できませんでした。

 あるいは──理解しようとさえ、していなかったのかもしれません。




 ある日、とうとう男の子は尋ねました。

「どうしてそんなに僕のことを避けようとするの?」

 と。

 少女はブランコにしがみついていました。いつものように拒絶の文句を口にした時のことでした。初めて耳にする問いかけに、え、と声が引っ掛かってしまいました。

「どうして、って……」

「だって、いつも大丈夫ですって言い捨てて、僕の前から逃げちゃうじゃないか」

 男の子は心なしか、がっかりしている様子でした。少女の思考はたちまち無数の疑問符で埋め尽くされました。かと思うと、それはじわじわと時間をかけて、恐ろしいと思う気持ちに姿を変えてゆきます。

 仕方ないじゃない。

 大丈夫なのは本当だから。

 少女が大丈夫なのではありません。男の子が心配する必要はない、その意味での“大丈夫”。心配なんてさせられない。そんなことをしたら自分が天罰を食らってしまいます。……少女にとってその感慨は紛れもない、恐怖だったように思います。

「……だって、あなたは、私のことを気にかける必要、ないから」

 やっとの思いで少女は答えましたが、男の子は首を振ってしまいます。少女の声は、呆気なく遮られました。

「必要あるとか、ないとか、そんなつもりで声をかけてるんじゃない。僕は君の支えになりたくて……」

 声を震わせながら訴える男の子は、その時、一瞬だけ間を空けました。

「……もしかして、迷惑、だったかな」

 そうじゃない。迷惑なんじゃない。

 そうと素直に答えられればよかったのですが、少女には上手く言葉を整理することができません。ブランコの鎖を握りしめながら、そのとき、反射的にうなずいてしまいました。違うと訂正する力はありませんでした。

 男の子はいつもの言葉を口にしました。

「そっか」

 その視線がゆるゆると宙を舞い落ちて、少女の足元で砕け散るのを、少女はその目で確かに、見てしまいました。

 そして同時に、“そっか”とつぶやく瞬間の男の子の表情を、初めて目にしたのです。


 男の子の顔は真っ暗でした。

「……そうだよね」

 力なく言った男の子は、少女の隣のブランコに腰掛けます。漕ぐこともなく、ただ、少女に倣って鎖を握りしめて。

 細い二本の鎖から伝わる夜の冷たさが、今は少女の心を唯一、まともな形に保ってくれています。男の子も同じだったのでしょうか。彼は、つぶやきました。

「僕もさ。いま、ちょっと色々、悩んでることがあって。苦しい思いをすることもあって。だから、泣いてる君を見かけた時、僕なら少しは力になってあげられるかなって思ったんだ。今の僕なら君の気持ちを分かってあげられるかもしれない、寄り添ってあげられるかもしれないって」

 少女は男の子の横顔をうかがいました。今までは逆光で細部の曖昧だった男の子の頬には、いくつものくたびれたしわが見えます。目元が紅らんでいるのが分かります。……まるで、自分のように。

「だけど迷惑だったんなら仕方ないよな」

 へへ、と男の子は笑いました。「今までごめんね。僕、帰るよ」

 言うが早いか、すばやくブランコを立ち上がりました。均衡を失ったブランコが、かちゃかちゃと哀しげに鎖を鳴らします。聞き覚えのある音に少女は目を見張りました。それは、いつも少女が“大丈夫”と告げて立ち上がった時、背中の向こうで鳴いている音でした。

 男の子は少女を省みることもなく、公園の出口の方へ歩いていきます。

 気付いた時には叫んでいました。

「……待って!」

 男の子が振り返りました。

 また、逆光の中で表情がよく見えません。それでも少女は口を閉ざしませんでした。懸命に鎖を握りしめながら、

「待って。お願い、待ってください」

 あなたがそんなに私のことを見てくれているだなんて知らなかった。あなたも苦しんでいる最中だなんて、知らなかった。今になって分かりました。そういえば、男の子はこんな夜にもなって、少女と同じようにひとりぼっちで公園の隅で過ごしていたのです。

 少女は男の子のことを疑えません。

 お人好し、でしょうか。

 いえ、違います。これはきっと信頼にも似た“信用”のカタチ。

「ほんとはちっとも大丈夫なんかじゃなかった。私の抱えてるもの、苦しいこと、本当はたくさんあるし、もう逃げない。ちゃんとぜんぶ話します。……だから、」

 少女は頬を拭って、訴えました。「行かないで……」


 すべてを少女は話しました。今、自分の胸を締め付ける境遇を。どうにもならないほどに深くなってしまった失望を、落胆を。

 男の子も自分の話を明かしてくれました。つらいこと、悲しいこと、少女にも引けを取らない勢いで白状していきました。きっと自分に遠慮をさせたくなかったのだと、少女には感じられました。

 話しているうちに涙が止まらなくなって、幼子のように声をあげて泣いてしまいました。男の子も泣いていました。お互い、ブランコひとつぶんの距離に隔てられていましたが、誰かの隣で泣いていられるのが嬉しくて、声を聞いてもらえるのが嬉しくて、少女の号哭はいつまで経っても静まりませんでした。

 ああ。

 何もかも、さらしてしまった。

 晒してしまったのに、この人は嫌わないでくれる。ちゃんと話を聞いてくれる。

(私、ここにいてもいいんだ)

 計り知れないほどの安心に包まれた少女の背中を、身体を、夜半の月は青白く透き通った輝きで静かに照らし続けます。もう、冷たい鎖は要りません。男の子の声から伝わるほのかな温もりが、今はただ、ただ、いとおしくて。


 その晩、少女と男の子は、ひとつの契りを交わしました。

 つらいことがあった時、泣きたくなった時、お互いを頼ろう。声を掛け合って、支え合うことをためらわないようにしよう。……そんな契りでした。

「約束だよ。今日から僕らは特別な関係になるんだ。いつまでも、いつまでも」

 腫れた目尻を掻きながら、男の子は笑っていました。少女も真似をして笑いました。自信はなくとも、それらしい形になっていれば、今はそれで十分だったから。

 頼る相手ができました。

 かけがえのない絆で結ばれた人ができました。

 少女は今や、ひとりぼっちではなくなったのです。






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