第八話
冥零国は、東大陸最大の領土を誇る大国である。
海に面する東の
渼陽地区と言えば、胡群の村も含まれている。壮大で険しい山が多くあり、胡群の村以外にも大小合わせて十数の村が点在していて、四つの地区の中でも地図の上では一番広い地区だ。
華鈴は胡群から出たことがないので実際どのぐらいなのか分からないが、冥零国の地図くらいは見たことがある。初めて地図を見た時には、いろんな場所に行ってみたいと思ったものだが、閉鎖的な胡群の村から出る者はいなかった。
それに、村から化け物が出たと噂になってはいけない、と華鈴の存在は異常なまでに隠されていたから尚更外に出ることはできなかった。
そんな華鈴が今、こうして外にいるのだから人生何が起こるか分からない。それもすべては山神様と蓮のおかげだ。
鬼狩師は、幽鬼を滅し、神が闇に堕ちることを防ぐ。そうして、蓮は山神様と出会った。
ということは……。
「あいつは、もうすぐ闇に堕ちる」
淡々と蓮の声が耳に届く。華鈴はすぐには理解出来なかった。
(山神様が闇に? 一体どうして?)
華鈴が混乱していることに気づいた蓮が、小さなため息を吐いて口を開く。
「この山では多くの人間が生贄と称して殺されていた。神々は、守護する場の影響をもろに受ける。だから多くの神は自分を守るために鬼狩師に力を与える。しかし、山神は人間を信じていた。そんな山神の思いなど知らず、何人もの人間が死んで幽鬼へと変わり、山神を穢す程の力を持つようになっていた。俺がこの山に来た時、何体かの幽鬼は滅したが、山神の姿はもう鬼に近づいていた」
蓮は碧の双眸を鋭くし、腹立たしげに言った。
華鈴は、山神様の姿を思い出す。大きな身体、鋭い瞳、額の角。恐ろしくも美しい存在。
あれは、山神様が闇に堕ちようとしている姿だったのだ。人間の闇に巻き込まれた神であるのに、華鈴に優しく笑いかけてくれた。恨みや憎しみなんて、山神様からは感じなかった。なんて優しく、大きな方なのだろうか。
「おい、泣くな。お前を責めた訳ではない」
蓮に声をかけられて、華鈴は自分の目から涙が零れていることに気づいた。泣くな、と言われていたことを思い出し、華鈴は必死で涙を止めようとする。
「……あ、ごめ……なさっ……」
「謝るな、とも言ったはずだが……?」
美しい碧の瞳に射抜かれ、うっと言葉が詰まる。もうこれ以上泣くことも謝ることも許されない。
「とにかく、このままでは山神は
蓮が珍しく華鈴に詳しい話をしてくれたのは、このためだったのだ。
おそらく、もう本当に時間がないのだろう。こんな未熟な幽鬼姫の力にすがるしかないほどに。
華鈴は、出来ない、とは言えなかった。このまま山神様が幽鬼になれば、蓮が滅することになるのだろう。あんなに優しい山神様を堕神に変えてしまうのは、人間の闇。その咎を山神様や蓮に背負わせる訳にはいかない。
「私に出来ることなら……お願いします、やらせてください!」
華鈴は初めて、蓮の眼を真っ直ぐ見て言った。
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