07.衛星の名前

 ここが、目的地の研究室ラボラトリーだ。

 これまでの白亜の色彩からはうって変わって、藍色を基調とした、やや薄暗く感じられる室内。

 約二十メートル四方のラボラトリーの中心には、五メートルほどの高さの天井まで届く炉型の機械が設置されている。


霊子同調炉SSR〟だ。


 天井にはLEDの室内照明もあるが、ほとんどいつも使われていない。

 代わりにぼんやりと研究室内を照らしているのは、霊子同調炉SSRや壁際の操作盤上に並ぶ、計器やパネルの電光表示が放つ淡い光。

 さながら、SFアニメなどでよく見られる宇宙戦艦の操縦席のような、近未来感の溢れる佇まい。


 奥の壁にはモニタリング用の大きなガラスがはめ込まれていて、そこから漏れてくる隣室の明かりも、こちらの室内の照度を高めている。


 そしてもう一つ、室内照明の役割を果たしているのが、左の壁際に天井から吊り下げられて設置されたオブジェ――


「でっかぁ――い! なにこれ!?」


 人工衛星の模型レプリカだ。

 花音かのんが、クリーンルームを出るとすぐに、間接照明の中に浮かび上がったそのオブジェに向かってパタパタと駆け寄る。


 二分の一スケールだけど、それでも太陽光パドルの両翼端間は十メートル超。

 本体部分は高さ約三メートル、幅約一.五メートルの直方体。もちろん、実物はその倍だ。

 下部には、各種アンテナやレーザーリフレクタなどが見て取れる。


「それがさっき、2010年に打ち上げられたって話してた――」

「あ~~、言わないで! あたし、知ってる! あれでしょ? えっと、スズメだったか、カラスだったか……」


 やけに庶民的な鳥になったわね。


「ハヤブサ、って言いたいの?」

「そうそう、それ! ……って、言わないで、って言ったじゃん! もうちょっとで思い出せそうだったのに!」

「スズメやカラスから? そもそもこれ、ハヤブサでもないけどね?」

「え? そうなの? だってさっき、クレーターを作ったとかなんとか……」


 ああ、なるほど。さっき私が話した小惑星探査機の話から繋がってるのか。

 それが鳥の名前だと知っていたのは、花音にしては上出来だったけど。


「さっきのは単に、たまたまテレビで見たJAXA関連のニュースの話をしただけ。この衛星の名前は、え~っと――」

「準天頂衛星初号機〝みちびき〟」


 私の後ろでそう呟いた声の主は……手嶋さん!?

 振り向くと、人工衛星のオブジェを見上げながら、眼鏡の奥でこれまでにないほど瞳をキラキラと輝かせた彼女の姿が目に留まる。


「そ、そう、それ……。よく知ってるね、手嶋さん」


 まあ、2010年九月十一日という日付からロケット打ち上げを言い当てたくらいだし、何が打ち上げられたのかだって当然知ってるよね。


「日本独自の衛星測位システムを担う準天頂衛星みちびき。開発費四百億を投じた初号機がH2A十八号機で打ち上げられたのが、2010年九月十一日……」


 ほんと、よく知ってるなぁ、手嶋さん……。


「当初は2009年度中に打ち上げ予定だったのが、原子時計の調達や姿勢制御装置の不具合によって2010年に延期、2017年にJAXAから内閣府に運用を移管され……」

「ご、ごめん……人工衛星オタク!?」

「ああ、えっと、昔から宇宙とか海底とか遺跡とか、そういうの大好きで……」


 宇宙と海底と遺跡……。関連が、あるような、ないような……。


「ああ――……、そっかそっか、それがあったかぁ! みちびきね、みちびき。なにかこう、あれよね、いろいろ、導くやつ……」


 花音がまた、やけにふんわりとした……というよりも、ないに等しい知識レベルで相槌を打つ。

 これまでの会話から、この方面で手嶋さんと張り合っても無駄だってことが分からないところが、花音の花音たる所以なんだろうな。


「でも、QZS(準天頂衛星)はGPS(米衛星測位システム)の信号と組み合わせることで国内での測位精度を上げる……いわゆる国家プロジェクトですよね?」


 手嶋さんの淀みない質問。

 人工衛星のことになると、こんなにも饒舌じょうぜつになるのか。


「う、うん……まあ、そう、かな?」

「それがなぜ、飛鳥井この研究所にかかわりのあるプロジェクトなんですか? なにか、技術供与でもしたんでしょうか?」

「わ、私もそこまでは詳しく知らないけど……何か、あったみたいよ、いろいろと」

「あやふやだなぁ、咲々芽ささめは」


 花音が小バカにしたように鼻を鳴らす。


花音あんたが言うな! 確か、何かを用意したとかなんとか……」

「何かって、何です?」


 手嶋さん、すごい食いつき方ね!

 もう、琢磨おとうとくんの件、すっかり忘れちゃってない!?


 私が困ったように首を回すと、拳で口を押さえてニヤニヤ笑っているビリーと目が合う。

 さてはビリーめ、私を試して楽しんでるな? 性格悪っ!

 たまきさんとあまねくんも、霊子同調炉SSRの前でノートパソコンを広げながらなにやら話しこんでいて、こちらには気づいていない。


「なんだったかなぁ……なにか大事な部品を用意したとかなんとか……」

「部品や技術が提供された国や民間団体のリストは一通り目を通したことはありますけど、飛鳥井研究所という名前に記憶はないんですが……」


 これだからオタクってやつは!


「原子時計じゃ」


 不意に、室内に響く女性の声。

 この声は――!?


 顔を向けると、隣室の入り口からこちらへ向かって歩いてくる白衣を着た女性の姿。

 ……とはいえ、百五十センチにも満たない背丈は、その出で立ちとはあまりにもアンバランスに映る。

 いや、ソールが十センチはありそうな厚底パンプスを見る限り、実際の身長は百四十センチ未満だろう。十歳くらいの女の子の平均身長がだいたいそれくらいだ。


 とかされた様子もない、鳥の巣のようにもつれあった柿色のセミショートは、女児……というよりもむしろ、粗雑がさつな中年女性を思わせる。

 唯一、研究所員であることを証明している白衣の裾は、まるで緞帳どんちょうのように、床に引き摺らんばかりの位置にまで垂れ下がっていた。


 近づくにつれはっきりと見えてきた彼女の表情も、体つきと同じく幼く見える。

 声質も若い女性のそれだ。……が、しかし――


「本来は2009年に前倒しで調達できるはずじゃった原子時計が、計画が狂って四年ほど遅れることになったのじゃ。それを一年に短縮できたのが――」


 その口調と淀みのない説明は、大人の女性研究者を彷彿とさせるには十分なものだった。いや、むしろ、ババくさいとも言える。

 物珍しい生き物でも見るかのように、ポカンと口を空けている手嶋さんと花音に向かって、さらに白衣の女性が言葉を繋ぐ。


「……一年に短縮できたのが、飛鳥井家の口利きだったというわけじゃ。その見返りとして当研究所は〝みちびき〟に、とある物を搭載する許可を得たのじゃよ」

「…………」「…………」

「もっとも、前倒し調達を裏で頓挫させたのも実は飛鳥井家の仕業という噂も――」と続けられる説明の途中で、手嶋さんと花音がほぼ同時に呟く。


「のじゃロリ……」「ロリババア……」

「誰がロリババアじゃ!」


 両手を振り回してプンスカと怒りだしたのは、もちろん、白衣の女性――

 佐枝子さえこさんだ。

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