タツと別れた鍋島は病院の玄関でタクシーに乗り込み、船場せんばに向かった。そして川辺明美のマンションでの喧嘩騒ぎを蒲生署に通報した長沢辰雄を勤務先に訪ね、河村忠広の写真を見せた。しかし長沢は写真の男が喧嘩の中にいたかどうかははっきりしないと言った。鍋島はたいしてがっかりもせずに、今度は地下鉄中央線でもりのみやを目指した。森ノ宮には本山茂樹と岡部美弥の通う高校があった。


 高校に着いたのは、ちょうど七限目が始まった頃だった。

 鍋島は最初、放課後まで時間を潰し、校門前で二人のうちどちらかが出てくるのを待とうかと思ったが、何しろこの高校は全校生徒が千人を超えるマンモス校だ。同じ制服姿で校門を出てくる多くの生徒たちの中から二人を見つけだすのは自分一人では難しいと判断したので、ここはあえて校長に面会を申し入れ、二人を呼び出してもらうことにした。

 もちろん、学校側は鍋島を警戒した。相変わらず刑事らしくない彼の服装も悪かった。バッジを見せ、丁寧に事情を説明し、あくまで二人は参考人であることを強調したが、校長はなかなか首を縦に振ろうとはしなかった。

 激しい校内暴力や生徒による犯罪などが発生したときなどは、その処理をさっさと警察に押しつけて自分たちはまるで無関係とばかりに高見の見物を決め込むくせに、こんなときはやたら教育現場の自治を守ろうとする。子供が学校にいる間はその保護責任は親ではなく学校にあるのは否定しないが、何も二人を連れていこうとしているわけではない。ちょっと話を聞くだけなのにこの疑いようは何なんだと、鍋島はもう少しで校長たち──即ちその向こうには大阪府教育委員会の存在がある──を相手に喧嘩をふっかけるところだった。

 結局、校長は西天満署刑事課に電話を入れて鍋島の身分と捜査の意図を確認した。

 そのあいだ鍋島は憮然とした表情で校長室の椅子に座っていた。まるで父親のおつかいで酒を買いに来た子供だ。酒屋の親父は疑って、子供の親に電話して彼の言い分が本当かどうかを確認しているのだ。いくら童顔の上にラフな服装のせいだとはいえ、やがて二十代最後の年を迎えようかというのにこの扱いは情けなかった。

「──教頭先生、二人を呼んできてもらえませんか」

 受話器を戻しながら校長はそばに立った教頭に言った。

「分かりました」と教頭は頭を下げ、部屋を出て行った。

「刑事さん、話はここで聞いて下さい。私も同席させていただきますので」

「どうぞご自由に」

 鍋島は校長を見ずに答えた。

 やがて、教頭に引率された茂樹と美弥が校長室の入口に姿を現した。

 二人の後ろには、ご丁寧にもそれぞれの担任らしき男性教師が付き添っていた。

 校長に促されて部屋に入った二人は明らかに戸惑っていた。たぶん、飛び抜けて悪くもなければ優等生とも言い難いごく普通の生徒であろう二人にとって、普段から校長や教頭と面と向かって話をすることなど皆無だったろうし、ましてや名指しで校長室に呼ばれたこともないはずだ。それが今、わざわざ授業の途中に連れてこられたのだ。しかも教頭や担任も一緒についてきて、明らかにただごとではないと思ったに違いない。お互いに先を譲り、なかなか部屋の中央まで進もうとしない様子にその不安な胸の内が現れていた。

 ところが、二人は部屋にいたもう一人の人物の顔を見ると少し安堵の色を浮かべた。自分たちがなぜ呼ばれたのか、その事情が少しは見えてきたようだった。

「あ、こんにちは」と茂樹は鍋島に挨拶した。

 こんにちは、と鍋島も挨拶を返した。美弥を見ると、彼女もぺこりと頭を下げた。芹沢が一緒でないのが残念そうだった。

 二人はソファーに並んで座った。

「ごめんね、授業中に。すぐに終わるから」

 鍋島は懐から写真を取り出した。「この前のオヤジ狩り──というか、喧嘩のことやけど」

「オヤジ狩り?」

「喧嘩?」

 二人の担任が口々に言った。

「この二人が目撃したそうです。あとで詳しく説明します」

 教頭が素早く答えた。担任たちは頷いた。

「その中にこの男はいてなかった?」

 鍋島に差し出された写真を、茂樹と美弥は交互に覗き込んだ。

「……分かりません」と美弥は首を振った。

「よーく見て。きみ、一人だけ手を出さずに見てる男がいたって言うてたやろ。その男のことはちょっとは分かるんと違うかな」

「はい。似てるような気もしますけど、暗かったから──よく覚えてないんです。すいません」

 まともな言葉遣いもやったらできるんやな。それにしてはこのあいだとえらい態度が違うやんけと思いながら、鍋島は頷いて茂樹に振り返った。

「本山くんは?」

「……たぶん、この人やと思います」

「本当に?」

「はい。この人でした」と茂樹は言ってすぐに首を捻った。「と、思うけどなぁ……」

 美弥が茂樹に振り返って顔をしかめた。余計なことを、と言いたいのが鍋島には分かった。そうか。もう関わり合いになりたくないんやな。学校に知れたから、ちょっと面倒に思い始めたんや。

「本山くん。自信がないならそう言えばええんやで」

 校長が言った。「ええ加減なこと言うたら、刑事さんも困らはる」

「あ、はい。でも、きっとこの人です。間違いないと思います」

「──分かった。ありがとう」

 そう言うと鍋島は茂樹に頷いた。そして写真をブルゾンの内ポケットにしまうと、立ち上がって校長に向き直った。

「お手数掛けました。私はこれで退散しますけど、あとでこの二人をあれこれ問い詰めないであげて下さい。二人は何も悪いことはしてません。ただ公園を散歩してて、偶然に喧嘩を目撃したっていうだけなんですから」

「ええ。分かってますよ」

 いや、絶対に分かってないでと思いながら、鍋島は校長室を後にした。

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