悪魔であり、天使だなんて
諸根いつみ
第1話
「叶宇(かなう)さん、入れましたよ」
鏡乱(きょうらん)が、脂ぎった笑顔で振り向いた。
わたしは、爪をやすりで整えていた手をとめ、鏡乱の前のパソコンのディスプレイに目をやった。
「みんなを驚かせることができそう?」
佐藤と一緒にエクスマシンのコンサートに行ったのは、約一か月前のことだった。巨大スタジアムには、約五万人の人々がひしめいていた。
わたしはスタジアム後方の席から、個人フィールド越しにその暑苦しい光景を眺めていた。
「今最も注目されているバンドを見ておいて損はないだろう」
佐藤クリスは言った。わたしのディレクター。白い饅頭のような顔をしている。
「確かにそうかもしれませんね」
わたしは皮肉っぽく言った。
「でも、明日はレコーディングだから、休みたかったんだけどな。三か月後のフェスの前には完成させようって、誰かさんが急にせかすから――」
「すまん。急に思い立ったもんだから」
「それに、なんで一般席なんですか?」
「急に思い立ったもんだから。関係者席へもぐりこめなかった」
「どうせフェスで共演するのに、わざわざ来る必要あったんですかね?」
「すごいバンドを見ておいて損はないから」
「もちろん、わたしよりはすごいでしょうね」
「そんなことはないけど。きみには才能がある」
「そりゃどうも」
そんなことを話しているうちに、ショーが始まった。
荘厳なSEとともに現れた濃厚なスモークに退廃的な映像が投影される。映像が溶けたむこうに登場したのは、五人のバンドメンバーと二十名ほどのオーケストラ。まずは、オーケストラが叙情的メロディを奏でる。それからバンドがひきついで古典的なメタルのビートを刻み、長い髪を振り乱す女性ボーカルが地鳴りのようなグロウルを発しだした。マイクはない。クリーンなソプラノボイスに変化すると、オーケストラがバンドサウンドに絡み合う。
間髪おかず次の曲。テノール歌手のような深い低音の声。きりもみするようなヴァイオリンのソロ。一瞬のブレイクののち、ドラマーが後ろ手で弾くキーボードで、電子音をさく裂させた。
三曲目からは、バンドメンバーが広いステージを駆けて散らばった。弦楽器三人が所定の位置につくと、ステージの床から空気が噴射され、三人は宙へ打ちあがった。
三人は、それぞれ別の空中サブステージへ上手く飛び乗った。会場は大歓声に包まれる。
歓声が落ち着かないうちに、ボーカルが助走をつけ、黒いマント状の衣装をムササビのように広げ、客席方向へダイブする。後ろから空気が噴射され、ボーカルは百メートルほど空中を飛び、中央サブステージへ優雅に降り立った。
残ったドラマーは、ドラムセットごと打ち上げられ、スタジアムの後方まで飛んできた。わたしは、すぐ横に衝突してきたドラムに身を縮めた。
ドラムとドラマーは、巨大な滑り台を滑り、わたしから見るとはるか下方の中央サブステージへ到達した。ほかのメンバー三人も、宙に浮いたいくつものサブステージを飛び移り、中央のステージへ合流した。空飛ぶサブステージは、統制された動きで位置を変えていく。もちろん、この演出の間、ずっと演奏は途切れることなく続いている。
その後も、MCも一切なく、弦楽器の三人とボーカルは踊りながら、多数のサブステージを飛び移りながらパフォーマンスを続け、ドラマーは四本の腕で特殊なドラムを叩き、要所でキーボードを弾く。ボーカルは、高音で叫び、低音で叫び、悪魔のような声を出すかと思えば、天使のようなクリーンボイスで歌い、時にはオペラ歌手、時にはラッパー、時には詩人になってみせた。オーケストラは古典的な音楽的美を提示し続けた。それらが混然一体となって、ひとつの音楽になっている。
もちろん、それだけのことで心が動かされるわけではないけれど。
無事に終了したコンサートのあと、佐藤にディナーをおごってもらった。
「ファンの熱気がすごかったな」
佐藤がエビチリのソースをしたたらせる。
「こぼれてますよ。でもまあ、音楽性は単なるシンフォニックメタルじゃないですか。新しく登場したアンドロイドバンドだから面白がられてるだけですよね」
「確かに、新しい音楽ジャンルを作ったような伝説的バンドとは違うな」
「新人のコンポーザーが曲を作ってるらしいですけど、作曲AIの使い方がなってないんじゃないですか」
「確かに、きみの作る曲のほうがセンスいいよ。歌手としてはどう思った?」
「どうもこうもないですよ。アンドロイドでしょ?」
「でも、市場は同じだからな。ライバルだとはっきり認識したほうがいい」
「バーチャルアーティストとも比べられ、アンドロイドとも比べられるって、ぞっとしませんね」
「彼女は肉体を持ってるから、バーチャルとは違う。歌声は合成じゃなくて、実際に声帯を震わせて出ているものだ」
「それがそんなに重要なんですか?」
「少なくとも、彼らを作ったアンドロイドデザイナーはそう考えてるらしい。インタビュー記事を読んだだけだけど。オーケストラも全員、同じデザイナーの作品らしい」
「そのアンドロイドデザイナーは、えっと確か、肉体主義者っていうんでしたっけ?」
「ああ。VR市場が拡大し続けている中、肉体性の重要さを説いているわけだから、そうだな」
「なんだか古臭いですけど、わたしも歌手なんかやってるわけですから、ひとのこと言えませんね」
「でも、きみは肉体主義者っていうわけじゃないだろ?歌いたいから歌っているだけで」
「その通りです。思想とかよくわからないですし」
「それでよろしい。きみは歌いたいように歌えばいい。それは人間の特権だからな」
「佐藤さん、歌のクオリティでは、わたしはバーチャルやアンドロイドには勝てないと思ってますよね?」
「いやいや、そんなことはないよ」
「別にいいんですよ。わたしも勝てるとは思ってませんから」
わたしは少し微笑んで見せ、緑茶をすすった。
翌日、レコーディングを終え、スタジオのロビーに出ると、数名の人々がソファに座って話していた。四本腕の青髪の黒人男性に目を奪われる。そこにいるのは、エクスマシンのメンバーだった。
「お待たせ」
廊下からロビーに出てきたのは、緑に金色のメッシュの入ったロングヘアの女性だった。視線を向けているわたしに気づき、笑顔になる。浅黒い肌の右頬にえくぼができた。
「もしかして、剣持叶宇さんですか?」
彼女は言った。話しているところは初めて見たが、間違いない。エクスマシンのボーカルのリサだ。
「ええ、そうです。はじめまして」
わたしは戸惑いつつも落ち着いた声を出した。
「こちらこそはじめまして。あなたのライブ映像はよく見てます」
「剣持叶宇さん?」
赤褐色の髪をモヒカンにした白人女性が驚いたように言った。エクスマシンのギタリストだ。
「どうも、あなたのことはよく知ってます」
片手をあげてそう言ったグランジロッカー風の金髪碧眼の白人男性は、エクスマシンのもう一人のギタリスト。
「僕たちのことご存知ですか?」
エクスマシンのベーシストであり、一番一般風な外見の中東系の青年が言う。
「この様子を見ると、知ってくれてそうだな」
脇のあいたポンチョのようなものを着た、強烈な外見のドラマー兼キーボーディストが笑顔を見せる。
「昨日、コンサートに行きました」
わたしが言うと、みんな驚きの声を上げた。知識はあったが、こんなに自然なリアクションをするアンドロイドを前にすると、彼らが人権のない物だということが不思議に思えてくる。
「ありがとうございます」
そう言って立ち上がったのは、四十歳くらいの女性だった。
「わたしは、エクスマシンのプロデューサーのイーヴィー・ツイといいます。ご連絡いただければご招待しましたのに」
「いえ、とんでもないです……レコーディングですか?」
「プリプロです。初めてこのスタジオを使わせていただきました。日本の設備は最高ですね」
お世辞だと思いながら、わたしはうなずいて見せる。
「わたしはいつもここを使わせてもらってます」
「これからわたしたちは、プロモーションもかねてクラブへ行くんですが、よろしければ一緒にどうですか?」
そう唐突に言ったのはリサだった。やはり間近で見ても、中東とアジアのハーフのような、とらえどころのない顔をしている。しかし、ほかのメンバーと同じく、すさまじい美貌であることには間違いなかった。
「クラブですか」
エンターテイメント施設にサプライズ的に登場するというプロモーションは、最近復興してきた手法らしい。実は、わたしもそのようなことをしてみようかという話が佐藤からあったばかりだった。
「みなさんがよろしければ、ぜひ」
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