2:やはり恋は盲目?

 王立図書館を出て馬車に乗り、そのままリーグル伯爵家にやってきたエミーリアは、すぐにデリアの部屋に案内される。

 伯爵家の使用人たちにもすっかり顔を覚えられているし、マティアスの婚約者となってからは以前にも増して歓迎されているような雰囲気があった。

 それはどんな家を訪ねても同じことなので、エミーリアはいちいち気にしてはいない。にっこりと微笑み、完璧な令嬢として対応するだけだ。『未来の王妃』というのは貴族にとって無視できない、あわよくばお近づきになっておきたい存在なのだろう。

(ああいう方たちは、王妃になる前の今なら、付け入る隙があると思っているんでしょうね……)

 エミーリアはそれがわからないほど無知ではない。下心を持って近づいてきた人々も、ただ友好的なだけならいいが、問題のありそうな人はもちろん記憶している。

 その都度こっそりとあとから父である公爵に確認しているので、もしかしたらマティアスにも報告しているのかもしれない。


「こんにちはデリア」

「いらっしゃい、エミーリア」


 デリアは昔から変わらずにエミーリアを迎えてくれる。マティアスの婚約者となろうがそれは変わらず、デリアはたとえエミーリアが完璧な令嬢ではない振る舞いをしても気にしない。エミーリアにとっては無二の友人だ。

「さて、今日はいつものようにのんびりとはいかないわね」

 デリアは悪戯っぽく笑いながらそう言う。いつも二人のお茶会は世間話やちょっとした愚痴や相談だけの、のんびりとしたものだ。

 しかし今日はそうもいかない。

「育児院の話よね」

 エミーリアはきりっと気を引き締める。

 今度デリアと、王都にある育児院で奉仕活動をすることになっているのだ。育児院は身寄りのない子どもたちを保護し育てている施設である。マティアスもその支援には力を注いでいるし、ここはエミーリアも役に立たねば!とおもったのだ。

 奉仕活動といっても、子どもたちへの本の読み聞かせや簡単な文字の読み書きを教えようという程度のことだ。エミーリアたちにとってはなんてことのないことだが、育児院の子どもたちが本に興味を持つ第一歩になればいいと思っている。

「今日、王立図書館で読み聞かせに使えそうな本がないか見てみたんだけど……」

「なかったでしょ」

 知っていた、という顔でデリアが即答するので、エミーリアは残念そうに頷いた。

「そうね、あそこにあるのはちょっと難しい本ばかりだから……わたくしの持っている本を持って行くわね」

「育児院にも本がないわけではないけど」

 少ないから、とデリアは苦笑する。

 小さな頃からエミーリアは本を読むのが好きだったので、子ども向けの本もシュタルク公爵家に残っている。いくつかはそのまま寄贈してもよいだろう。

「冒険譚なんかあると女の子も男の子も喜ぶわね。男の子は王子様よりも騎士が活躍する話のほうが好きだったり」

「さすが、詳しいのね」

 いつもより少し饒舌なデリアにエミーリアは「ふふ」と笑う。デリアは少し照れくさそうに目を逸らした。

「それはまぁ……こうやって堂々と支援できることは嬉しいし……私にとっては、古巣でもあるわけだしね」

 最後のほうはとても小さな声だった。

 デリアは間違いなくリーグル伯爵家の令嬢だ。しかしその育ちは少し特殊で、彼女は幼い頃は庶民として生活していた。

 デリアを女手一つで育てていた母親が亡くなり、育児院に引き取られ、そしてそのあとすぐに父親であるリーグル伯爵がデリアを迎えにきたのだという。

 それ以来、デリアは伯爵令嬢として暮らしている。育児院には令嬢としての奉仕活動の一環で関わるだけで、普段はあまり足を運ぶことはないらしい。おそらく伯爵家に遠慮してのことだろう。

「そういえばエミーリア、なにかいいことでもあった?」

「……顔に出てるかしら?」

 もしかして少しにやついていただろうかとエミーリアは両頬を手で隠す。そんなだらしのない顔を見られていたとしたら恥ずかしい。

「機嫌がいい、というのはなんとなくわかるわね」

 まぁ、あなたの機嫌が悪いことなんて滅多にないんだけど、とデリアは笑う。

「今日はここに来る前に、偶然陛下とお会いできたから……」

「……偶然?」

「ええ、陛下も休憩でいらっしゃったみたいで」

「……休憩で?」

 デリアが片眉を上げて繰り返し問いかけてくる。

「そうなの。最近は王城に行ったときに陛下とお会いすることが多いのよ」

 ふふ、と嬉しそうにエミーリアは笑った。

 エミーリアは読書家かつ勉強家なので、王立図書館にはよく通っている。王城に足を運ぶ機会は多い。


「……それって、偶然なの?」


 低い声でデリアが問いかけてくる。

「え?」

 エミーリアは目を丸くして、偶然? と首を傾げた。だって約束していたわけではないのだから、偶然以外に何があるといいのだろう。

「国王陛下が休憩で王立図書館に行くなんて不自然だし、そんなに高確率であなたと遭遇するのも不思議なんだけど」

 ぱちぱちとエミーリアは瞬きをして、デリアの言葉を咀嚼する。

 いくら愛しい婚約者のことであったとしても、エミーリアは友人の言葉を考えなしに否定するほど愚かではない。

「……言われてみると、ちょっと変かしら?」

 エミーリアは全然まったくこれっぽっちも気にしていなかったけれど、指摘されると不思議だなと思う。

 だってエミーリアが王立図書館によく行くのはマティアスと婚約する前から変わっていないのに、以前は図書館でマティアスを見かけるなんてことはなかった。司書たちが国王陛下の姿に驚かなくなったのも最近のことだ。

 それに図書館に行ったときだけではない。先日は王城にある研究室にこもっている義兄・グレーデン侯爵のもとへ姉のコリンナと一緒に訪ねたけど、その帰りにもマティアスと偶然顔を合わせて、少しだけ庭を散歩した。コリンナはすっかり研究に没頭している義兄に長々とお説教していたので帰りは別々になったのだ。

(……王城に行って陛下に会わなかった日のほうが少ないかも?)

 マティアスに会えて嬉しいという気持ちでいっぱいになってしまって気づかなかったけど、これはどう考えても変ではないか。

「でも、偶然でなかったらどうして? 陛下はもしかして本当に魔法か何か使えるのかしら……!?」

 だとしたらとんでもない秘密なのでは!?

「そんなわけないでしょう。あなたが王城に来たら知らせるようにでも命じてるんじゃないの」

 呆れるようなデリアの言葉に、エミーリアはなるほどとあっさりと頷く。もちろんエミーリアだって魔法が本当に使えるとか思ったわけではない。……使えたらそれはそれで素敵だとは思うけれど。

「びっくりするほどの変わりようね。愛されていて良かったじゃない」

「あ、愛されているなんて……」

 そんな、はっきりと第三者に言われると照れてしまう。

「だって、あなたに会いたくてそうしているってことでしょう?」

「あ、会いたくてって……」

 デリアからの容赦のない追撃に、かあぁ、と赤くなりながらエミーリアは口籠もる。

 マティアスからの愛を信じていないわけではないが、未だエミーリアは『愛されている』という状況に慣れずにいるところがある。長い片思いがようやく実ったことを喜ぶことで精一杯だ。

 今日のように甘く触れられることも、やさしい目で見つめられることも、まだまだ慣れない。マティアスといると、心臓はいつだってどきどきと忙しなく働いている。

「陛下の変わりっぷりに周りも驚いているかもしれないわね」

 くすくすと笑うデリアに、エミーリアはあれ? と思う。

 マティアスに会えることは嬉しい。嬉しくて嬉しくて飛び跳ねてしまいそうなほどだ。

 けれどこれはエミーリアとマティアス二人だけの話ではないのではないだろうか?

(わ、わたくしと会っている間の執務は!? お仕事は!? 陛下は国王陛下なのに!!)

 エミーリアはそのことに気づいて真っ青になった。

 エミーリアと会っている間、マティアスがやるべき執務は滞ってしまう。国王がどんなに忙しい人なのかはマティアスからの手紙で十分に伝わっている。


「ど、どうしたらいいのデリア! もしかしたらわたくし、とんでもない悪女になってしまうかもしれないわ!」


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