憎悪

 こんなナリではあるけれど、怪人ノワールとしての経歴はそこそこある。

 すくなくとも、あの脳筋ゾルダとちがって、本物の戦場をいくつも渡り歩いてきた。


 ああ、そこでは――

 戦場という、効率と不確定要素の坩堝では――


 なにもかもが道具であり、同時に人とそれ以外に明確な一線が引かれている。

 とりわけ怪人ノワールなど、動いて、喋りはしても、命あるものとして扱われない。

 使い捨て。

 交換可能な兵器のひとつ。

 意思の疎通が可能かつ自分で歩ける分、便利であるだけ。

 そして、最低の待遇を受ける怪人ノワール部隊の内部においてすら、自分が生き延びるために、誰かが誰かを踏みつけにしていた。

 いい顔をして近づき、利用するだけ利用し、その価値がなくなれば容赦なく切り捨てる。

 結局のところ、自分だけだ。

 大事なものも。

 信じられるのも。

 アルタンユーズが復活したと聞いて、すこし驚いた。

 彼女について知らぬ者は、おそらくこの研究所にいるまい。

 ケット・シー・ラボのエースの一人で、ダイトウムースとの名コンビぶりもよく話題になっていた。

 二体のあいだには、絶対的な絆があったそうな。


 さて、いま。


 その片割れが死に、生き残ったほうも片割れの記憶を失っているときた。

 果たしてどんな痴態が見られるかと期待していたのに、ガッカリだ。

 ちょっと隙を見せてやったら、一目散に仲間のところへ向かうなんて。

 噂通りの甘ちゃん――いや、それよりももっとひどい。

 吐き気がする。

 お前らみたいなのが、遠足気分で戦場にくるんじゃないよ。


 だから、壊す。

 いま、ここで。


 ああ、僕は優しいだろう?

 戦場という地獄に、場違いなお前らが出ていかないよう、止めてあげるわけだからね。

 大丈夫。

 実戦形式の訓練で、事故が起こるなんて日常茶飯事だもの。

 だから、ねえ。

 安心して引退していいよ、アルタンユーズ。





 瓦礫の散乱する通りを走るシュガーの耳に、シャーリーの声が届いた。

 内臓が裏返されたかのような苦悶の叫び。

 途中の道にまた罠が仕掛けられているという懸念もあったが、シュガーは構わず全力で駆けた。

 姿が見えたとき、シャーリーは磔刑にされたような恰好だった。

 両腕をハサミでがっちりとつかまれ、空中に持ち上げられている。

 ゾルダが力をこめるたびに両脚がピンとなり、首を左右に振って苦しげな声をあげた。


「やめろォ!」


 シュガーが叫ぶとゾルダは視線を動かし、忌々しげに吐き捨てた。


「チィッ! あのクソガキ、足止めもまともにできねえのか」


 やはり、意図的に分断されていた。

 シュガーは、手首の肉を変形させ、あたかもそこから取り出したように三尖刀を作り出した。


「動くな! 動けばコイツの――」


 皆までいわせず斬り込んだ。

 不意を衝かれたゾルダは、シャーリーを放り出し、ハサミでシュガーの斬撃を受けた。


「ごめん! よけいなことした!?」

「いいや。助かったぜ」


 シャーリーは、挟まれていたところをさすっていたが、腕を動かすだけでつらそうだった。

 彼女のカミソリは装甲にもなるが、圧し潰す力には弱いはずだ。


「ちくしょう、ザマァないぜ。タイマンの誘いに乗っておいてこれじゃあ……」

「とりあえず休んでて」


 ゾルダが力任せに押してくる。

 張り合っても分が悪い。こちらも押すと見せかけて横に逃げる。たたらを踏んだところへ連撃。脇腹部分をガシガシ叩く。


「ヘッ。効かねえなあ」


 ハサミでの殴打を屈んで避け、続く尾による刺突も跳んでかわす。

 ゾルダは一発いっぱつの攻撃が重い。

 しかも、全身を装甲で覆われているのが厄介だ。


(つかまる前に、仕掛ける!)


 死角に回り込み、さらに連撃を叩き込んだ。


「効かねえっつってんだろ!」

「気をつけろ! 松明がまだ残ってる!」


 シャーリーにいわれるまでもない。

 熱源を感知することで、松明の位置は把握している。

 ゾルダは松明の方へシュガーを追い込もうとしているようだが――


「その手は」

「食わない、とか思ってたか?」


 ゾルダの両手のハサミがくわっとひらく。

 肉食獣のあぎとにも似たその内側から炎が噴射された。

 とっさに腕で顔を庇い、後方に跳んだ。

 直撃は避けられたものの、前髪がすこし焦げた。

 ゾルダが追撃してくる。後ろは壁。振り下ろされるハサミを、三尖刀で受けた。


「ハッハァ! 今度こそ潰してやるぜェ!」


 のしかかってくる重みに抗いながら、シュガーはニヤリと口許を歪めた。


「してやったりとか、思ってる?」


 シュガーの右脇に、三本目の腕が生える。

 その先端は鋭いナイフ状になっており、ツタのように伸びて、ゾルダの脇腹にある装甲の隙間に突き刺さった。


「なんだと――うぐっ……ぐわああああああッ!!」


 驚愕の叫びが、すぐさま激烈な苦痛を伴ったものになる。

 ただ突き刺しただけではない。

 腕は先端を枝分かれさせながら伸び続け、ゾルダの体内を掻き回したのだ。

 偽物の三尖刀は、ゾルダの目を引きつけるための囮。

 本気で斬りつければシュガーにもダメージが返ってくるが、手加減したことで、逆に油断を誘う狙いもあった。

 つばぜり合いになったところで腕をもう一本生やし、相手の弱い部分を衝く――ちょっぴりズルいと思わなくもないが、有効な戦法なのは確かだ。

 ゾルダががくりと膝をつく。脇腹からは大量の血が噴き出していた。


「この――ッ!」

「させねえよ!」


 ゾルダが三本目の腕をハサミで切断しようとすると、すかさずシャーリーが体当たりしてハサミの軌道を逸らした。

 腕を引き抜いて距離を取る。

 ゾルダは傷口を押さえ、顔だけをこちらに向けた。仮面の下の素顔は、きっと憤怒で真っ赤だろう。

 臓器は傷つけていないから、致命傷にはなるまい。

 だが、戦闘続行するには深すぎる傷だ。


「降参しなさい」

「だ……誰が……!」

「訓練で意地を張ることないでしょ」


 ゾルダが押し黙る。

 こんな小娘に諭されるのも癪だろうが、冷静な判断を下して欲しい。

 この訓練の主眼は各々の能力のテストであり、ここで敗けたからといって実戦に出られないというわけではないのだから。


「めんどくせーし、気絶させちまうか?」


 待って、といいかけたところで、シュガーの背筋に悪寒が走った。

 なにか音や気配を感じたわけではない。

 なんだかわからないが、とにかくじっとしていてはマズいという勘が働いたのだ。

 とっさにシャーリーを突き飛ばし、自分も地に伏せる。

 ほとんど同時に、稲妻にも似た閃光が走った。

 光はさっきまでシュガーたちの立っていた場所をえぐり取り、その先にうずくまっていたゾルダをも吹き飛ばした。


「へえ、いまのを避けるんだ」


 先ほどまでなにもなかった空間に、忍び装束の少年が現れる。

 その額には、黄色く輝く第三の目がひらいていた。

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