罠
ユリーを追うシュガーの心は、不安に苛まれていた。
勢い余って来てしまったはいいが、シャーリーと離れて大丈夫だろうか。
これでもいっぱしの
しかし、不安や恐怖というものは目に見えないからこそ大きくなり、それは理屈でどうこうできるものではない。
口を大きくあけ、わざと呼吸を荒くすることで鼓動の高鳴りを鎮める。
点々と続く血痕は、大きなビルの中へと消えていた。
シュガーは入口の前で立ち止まり、中を窺った。
当然ながら明かりはないが、ある程度は夜目も利くので、ようすはわかる。
元はデパートのような商業施設であったらしく、空になった商品棚がいくつも並び、シンバルを持ったサルのおもちゃ、化粧品などが床に散らばっている。
ユリーの姿はない。
元より擬態で周囲の景色に溶け込んでいたのだから、これも当然である。
シュガーは手がかりを探して回ったが、血痕はおろか、床にうっすら積もった埃の上に足跡すら残っていなかった。
体臭もあまりないのか、それらしき匂いもつかまらない。となると、頼りは音しかないわけだが、どこかにじっと潜んでいるのか、さっきからまったく物音がしない。
逃げたのでなければ、こちらを攻撃する機会を窺っているはずだ。
(この状況が続くのはまずい。なにか仕掛けるか――)
そう思ったとき、奥の通路で、なにかが床に落ちたような音がした。
振り向く――しかし、誰もいない。
頭上に気配。天井に張りついていた? 落ちてくる。白刃のきらめき。
三尖刀をかざして受けた。間一髪。罠を警戒していなければ、やられていたかもしれない。
跳躍して距離を取ったユリーは、シュガーに背を向け、またしても逃げようとする素振りを見せた。
「こら、待て!」
追いかけようとシュガーが床を蹴った瞬間、四方で小さく爆発音が響いた。
(しまった!)
姿を見せたのも、逃げようとしたのも罠。
この位置に、誘い込むための――
コンクリートの床が崩れ、シュガーは下の階に落下した。
とっさに身体を丸めて回転し、足から着地したので大事には至らない。
だが落ちてきた穴は、シュガーが見上げたときには、すでに塞がれてしまっていた。
地下にも爆弾が仕掛けられているのかと思ったが、しばらく待っていても爆発するようすはない。
どうやら、最初から地階に閉じ込めるのが目的だったようだ。
となると、シャーリーの身が心配だ。
シュガーが足止めを食っているあいだに、二人がかりでやられてしまうかもしれない。
すぐさま上の階に昇るルートを探すも、階段は瓦礫で埋まっており、エレベーターも止まっていた。
落ち着け。ここは、密閉された空間ではない。
シュガーは三尖刀を足許に置いた。
そして、目を閉じゆっくりと息を吐いていく。
頭の先から天に昇っていくイメージで――
徐々に身体を、細い細い糸状に変化させていった。
肉体の一部ではなく、全身を変化させるのは初めてだったが、難度としてはヨーヨーを作って操るほどではない。
できるという確信が、焦りを拭い去ってくれていた。
わずかな瓦礫の隙間を抜け、一階にもどると、意外にもユリーがまだそこに留まっていた。
「なんで? てっきり……」
「一人でやりたいんだってさ。あの脳筋」
初めて聞いた彼の声は、見た目通りの、とても澄んだ響きをしていた。
しかし同時に、気だるげで、退廃的で、仲間であるはずのゾルダへの明らかな軽侮が混じっている。
「ねえ」
ユリーはあごを反らせ、見下ろすような視線をシュガーに向けた。
「ずいぶん気合が入ってるよね。君も、君のパートナーも」
「そりゃあ、あたしの復帰がかかってるからね」
「真面目なんだ?」
「……ちょっと違うかな。あたしには、追っかけないといけない人がいるんだ」
ヘルラ。ヘルラ。
たまにこうして思い返さないと消えてしまいそうになるほど、儚い絆しか感じられないけれど。
いや、それすら本当は失くしてしまったのかもしれない。
それでも――いかなければならない。
彼女の残した足跡と、記憶の残滓を求めるために。
「ふぅん。じゃあ、コアラの子のほうは? 君の都合のために、ノリノリで協力してるってワケ? へぇ。へぇぇ――」
正面に向き直ったユリーの表情は、おそろしく冷たいものへと変貌していた。
「仲いいんだ。まったく……反吐が出るね!」
ユリーの両腕が閃き、手裏剣が放たれる。
腕を硬化させ、手裏剣を弾くと、ユリーは間髪入れずに小太刀を構えて突っ込んできた。
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