3/国と旅路の落とし影 其ノ一






 部屋の一室のテラス。

 そこでサシャは、メイドから手渡された手紙を再び読んでいた。

 書いてあったのはたった一文。『《ブリーゼ》に向かう。途中の街は《ステラ》《コテーズ》《グリーンリバー》、そこで連絡を待つ』とだけ。

 説明が足りなすぎる、と文句を言いたくなる気持ちを抑える。

 誰がこの手紙を見るのか分からない。本当だったら暗号文でも書くべきなのだろうが、そのような符丁を決めていない以上どうしようもない。


「……まったく、言った傍からこんな事になるとはね」


 確かに自由行動を許可していた。

 だがサシャも、まさか家出しようとする次期女王についていくとは想像していなかった。いやそもそも、次期女 王が家出しようとしているとも思っていなかった。

 確かに、王とは責任重大。その代わり、この国の頂点に座し、権力と大量の金を手に入れる事が可能だ。大半の人間はその重責の前に利権に目が行きがちだ。

 彼女はどうやら、少数派の選択を選べる何かがあるのか、あるいは本当にそういう物に興味がないのかの二択だ。

 ……いや、もっと厄介な問題はある。

 どうやらトウヤは、この姫様の家出に政治抗争の匂いを感じたらしい。ざっくりとした情報だけでも、サシャにもそれは理解出来る。

 外から手紙が持ち込まれたという事は、トウヤと姫様は無事にこの城から出られたのだろう。

 普通そんな事は出来ない。

 トウヤは確かに優秀な人間だが、箱入り娘おにもつを抱えながら仮にも一国の城から、なんの助力も無しに行うのは無理がある。


 しかも、それを姫様は当初トウヤの手助け無しで実行しようとしたのだ。


 ――『逃げれる』と断定出来る何か﹅﹅がないと難しく、そしてそれを断定出来る人間は限られる。

 警備に口が出せて、城の造りや状況に詳しい人間――内部の人間。

 実行したのは、あるいは情報を流したのは下っ端だろうが、下っ端だけでそんな事は出来ない。

 サシャはテラスからそっと下を覗き込んだ。

 丁度そこからは城の中が見渡せるが、最初にやってきた時のように、継承式のための準備に様々な侍従や使用人が走り回り、慌しい空気があるものの、それを差し引けば平穏な日常そのものと言えるだろう。

 トウヤから姫様家出の話を聞いていなかったならば、何も起こっていないと錯覚しそうなほど。

 つまり、内部の誰かが隠蔽しているという事だ。


 誰が?

 ――枢密院院長、ギーヴ・フラグレント侯爵だ。


 姫を囲っていたのは枢密院、つまり貴族派の頂点達。何の騒動も起こさせないでいられるのは、彼らの隠蔽工作以外に考えられない。

 現に先ほど面会を申し込んだところ、ギーヴ院長直々に『まだ姫の体調は優れず面会は無理だ』と断りを入れてきた。

 いないでも、会わせられないと強く突っぱねるでもなく、単純に大嘘を吐いていた。

 ……しかし、目的が見えてこない。

 姫を囲っていたのだから、どのようにするのも自由だったはずだ。洗脳しておく事だって難しい事ではなかっただろう。話術と社交辞令を武器に、血の流れない戦場を戦う枢密院の人間が、それを行えないはずもない。

 なら、何故わざわざ姫の脱出、ひいては誘拐をしたのか――もしかしたら、されたのか﹅﹅﹅﹅﹅


「まずはトウヤの側がどう動くか、あるいはどういう動かれ方をするか、ね」


 重要な姫君カードにはこちらが既に手をつけている。そこにどのような人間が関わってくるのか。

 貴族か、平民か、あるいは殺し屋か。

 それによって、状況は変化するだろう。

 サシャはそこまで考えて、憂鬱な溜息を大きく吐き出す。


 ……お荷物、カード。


 人間に対する言葉ではないそれを無意識に使っていた自分に、苛立ちを覚える。話を聞いている限り、明らかに姫は被害者なのに。

 ただ普通(勿論、貴族としての〝普通〟だったが)に生きて、王族などの責任から意図的に引き離されていた人間が、いきなり王族として即位するのだと、貴族に無理矢理連れてこられる。

 権力や地位、金銭に興味を抱かない理由があるならば、それは転じてそのようなものを無理矢理切り捨てさせられてここに連れてこられた事になる。

 それはあんまりな話だろう。逃げ出したくなる気持ちも分かる。


 同時に、コレは必要な事だと自分を納得させている。


 王を戴かずに国を動かす事は難しくはないだろう。いくつかの国でそのような動きは起こっているし、世権会議の外を見れば五商都市国家ペタゴラムなどは、五つの都市の代表の合議制。そういう道だってある。

 だが、まだ早い。

 この国にそのような下地はまだ出来ておらず、法整備も進んでいない。もしやるとしたら、もう一、二代先になってくるだろう。

 その間は、王という存在がどうしても必要なのだ。

 彼女が望むと望まざるとに関わらず。


「出来れば、進んで王になる事を選んでくれたなら」


 同行しているトウヤは自分では不出来だと言っているが、頭は決して悪くはない。この国の現状を把握し、それとなく姫に助言するだろう。

 本当に王になりたくないと胸を張って言うのならばそれなりのやり方はあるが、それも彼女がこの国を見てどのようなものを感じるのか。

 皮肉にも、今回の家出はそういう意味では都合が良かった。


「――サシャ、今、ちょっと良い?」


 ドアの向こうからノックと共に、ウーラチカの拙い声が聞こえる。

 相変わらず話し方は少し子供っぽいが、ここに来る前にしっかり教え込んでおいた「入る前にノックと声かけ」はちゃんと覚えてくれていたようだ。少し安堵しながら、少し喉を整えてから口を開く。


「ええ、どうぞ」


 その言葉と同時に、扉が開く。そこには、片腕一杯にお菓子を抱えているウーラチカの姿があった。


「……誰から貰ったの?」

「使用人のお姉さん達に貰った。教えられた通り、おれウー、最初は遠慮した」


 そういう意味で教えたものではなかったはずなのに、ウーラチカは器用に使いこなしていた。カップケーキから貴族御用達の高級店でしか買えないお菓子まで、その種類は多種多様だ。

 侍従とはいえ、その大半は行儀見習いの為に仮で働いている貴族の子女も多い。こういうものも自由に買える地位と財産を持っているのだろう。


「お菓子だけじゃない。ちゃんと情報、持ってきた」

「情報」


 そういう働きを期待していなかった事もありサシャが目を見開いて聞き返すと、ウーラチカはいつも通りの無表情で頷いた。


「……お姫様、いる﹅﹅。今日の朝、朝食持って行ったら、お姫様と挨拶したって、侍従の女の子、言ってた」

「それって――、」


 サシャの頭には、「替え玉」という言葉が浮かんでいた。

 ……二種類の可能性がある。

 姫が攫われた事を誤魔化す為に必要な替え玉。

 そして――殆どの人間が知らない姫様を、完全に別人に変えてしまう。最初から自分に従順な人間に挿げ替える。そうすれば、洗脳なんて面倒な手間をかける必要性はない。

 だとしたら、計画はまだ途中段階。

 既に挿げ替えは終わっていたとしても、挿げ替えられた人間が生きている以上安心は出来ないだろう。用意周到な人間であればそれから姫を、


「……いいえ、これはまだ確定ではない。今夜のトウヤの報告次第かしら」


 何もかもを決めて掛かるには危険過ぎる内容だ。下手をすればこの国の組織構造そのものが再編される可能性すらある危険な答え。

 とにかく、全ての情報を揃える必要性がある。

 まずは、片方から。

 そう思い、サシャはテーブルに置いてあったベルを鳴らしながら、「誰かある」と声をかけると、それほどときも掛からずに、白と黒を基調としたお仕着せを纏っている侍従が二人ほど現れる。

 まだ自分と同じ年齢である彼女達は、今回逗留するに当たってサシャ専属に指名された侍従達だ。


「何か御用でしょうか、《勇者》様」


 いくらか年上に見える侍従が答える。


「ええ、お誘い頂いた会食の中に、ギーヴ・フラグレント侯爵とランドルフ・オーレン議長からのお誘いはあったかしら?」


 ――この二週間と言う、式典のまでの時間が無駄である訳ではない。

 貴族も政治家もそうだが、こういう隙間の時間に繋ぎを作ったり、今後の方針を摺り合わせる為の会食を容易する。

 パーティーも勿論開かれる場合があるが、それにもまた種類があり、呼ばれるかどうかは向こう次第。

 今回はサシャがまだ就き立ての《勇者》であるが故に、多くの人から誘いを貰っていた。最初は乗り気ではなかったが、一対一の会食ともなれば多少なりとも情報を掴む事は出来るだろう。


「御座います」


 侍従からの返事は即座に返ってきた。


「二十七件中二件。オーレン議長様は明日の昼食、フラグレント侯爵様からは二日後の夕食に招待されています。両方とも、個人的な会食です」

「流石、王族のお世話をする侍従です。記憶力が凄いわ」

「勿体無いお言葉で御座います」


 サシャの言葉にも、静かに礼を返す。

 二人共誘ってくれているとは、好都合だ。


「では、その二件はお受けして、他の予定は……そうね、一件一件精査していく必要があるわね。申し訳ないのだけれど、リストか何かある?」

「手配しておきます。他に御用は?」

「じゃあ、紅茶のお変わりを持ってきてくれる?」


 サシャの頼みに、侍従は二人で静かに礼をし、音も立てずに部屋を出て行く。離れていく時間をしっかりとってから、サシャはウーラチカの方に視線を向ける。


「ウーラチカ。貴方に無理を承知でお願いするんだけど、そのまま侍従を中心に情報を集めてくれないかしら」


 帰ってきたのは、静かな首肯だった。


「うん、分かってる。トウヤいない分、ウー、頑張る」


 表情はいつも通り薄いが、それでも多少の時間を過ごしているサシャには、ウーラチカが真面目に頷いているのは理解していた。

 トウヤ一ノ眷属がいないと状況での初仕事だ。彼にも何か思う所があるのだろう。それに笑顔で頷き返す。


「サシャは、何する?」




「私は――上層部中心で情報を集めてみるわ」








 この《世権会議》の中に存在する《勇定律法ブレイブ・ルール》には、様々な条項が記載されているが、その中でも『貨幣の統一』というのはこの世界では革新的だっただろう。

 この共通化されている貨幣は全部で四種類。

 金貨、銀貨、銅貨、銅銭貨。それぞれ二十枚あれば上位の貨幣一枚に相当する。

 その国々の財政状況、景気に拠っても価値は変動するが、基本的な価値基準はこうだ。

 まず金貨一枚あれば、平均的(どこを平均的と見るかは別として)な農民の父、母、子供二人の四人家族が一ヶ月生活する事が出来る。

 結構なやりくりがそれには必要なんだが、まぁ大金だと判断してくれて問題はない。

 もう少し値を下げて、銀貨十五枚もあれば、質の良い農耕馬を購入する事が出来る。

 牛であれば十枚。驢馬だと五枚より下になってくる。これでも農民にとっては重要な財産だ。『役畜を殺す位ならば子を一人売り飛ばす』なんて話があるくらいだし。

 銅貨。こいつは平民が普段使っている、かなりポピュラーな貨幣だ。一枚あれば安くはあるが昼飯が食え、五、六枚あれば安宿にも泊まれる。

 銅銭貨はざっくり言えば補助通貨。俺の前にいた世界で言うならば、一円や十円、良くて五十円玉みたいなもの。これ四枚で常温だが水じゃない飲み物にありつける。子供の駄賃として渡されたりもするな。


「つまり、何なの? 私はあの果実水で余計にお金を支払ったって事?」


 小刻みに揺れる荷台の中で不機嫌そうな顔をするエリザベスに首を振る。


「いや、確かに平均的な国だったらそうなるんだが、この国は慢性的に経済難が続いている。アレくらいの値段じゃなきゃ、店側も満足に商売出来ないだろうさ」


 確かにざっくり言えば倍額払わされた形になるが、実際質は悪くなかった。良心的と言えなくもない。

 ――むしろ、これからの道程はもっと酷いものになるだろう。

 先ほどまでは国の中心都市だったからこそ、働き口もあり、経済難でも対応しきれる金そのものが廻っている。食糧事情は宜しくないから自然と割高になってくるが、働き口の少ない田舎よりマシだ。

 そういうのを見ていくとなると、少しだけ憂鬱だ。


「……で? 貴方コレを見て一番に決めたけど、本当に良かったの? 馬よりも遅いような気がするんだけど」


 御者台から顔を覗かせてみれば、確かにゆっくりだ。

 この世界では普通の馬だって人間が全力疾走すれば一瞬だけでも追い越せるくらいの速度だが、コレ﹅﹅はそれよりもなお遅い。不安になるのは当然だろう。

 何せエリザベスは一刻も早く城からの警備厳重な首都から離れ、田舎にいる恋人の下に向かいたいのだろうから。


「こっちの方が都合良いんだ。まさかこれに人が乗っているのは、あんまり思わないだろうからな」


 オレはなだめるようにそう言いながら、進行方向を見る。

 きっとオレと同じ渡世者エグザイルだったらこう思うだろう。

 ――カバとサイが融合した謎の生き物が、荷台を牽引しているってな。




 この世界では、一般的に乗り物と言うのは、生き物が牽引するものを指す。

 学術都市では確か自分の足で漕ぐ、言わば自転車が作られたと聞いているが、これは一般的とは言えないだろう。細かいのを挙げるとキリがないが、代表的なものは三つ。

 まずは馬。

 一番ポピュラー。価格も比べてみれば安い方だし、食費も安い。世話にも手間が掛かり過ぎるって事はない。平民でも貴族でも使っている場合が多い。

 

次に疾走竜ランナー。エリマキトカゲを大きくしたような、どこかの恐竜図鑑に載ってそうな、竜の下位種の亜竜種の中でもかなり下の生き物だ。

 かなり足が速いし、頭も良いから兵士が騎乗する場合が非常に多い。でもだからこそ高額で、とにかく飼育が小難しい。

 軍では専門の飼育員が軍隊に追随するから良いが、普段使いや平民が持つにはあまり向いていない騎獣だろう。


 そして今オレ達が乗っている荷台を引いているのは、鈍甲竜アーマード。さっきも説明した通り、カバとサイを足したような、分厚い皮膚と鼻先に角を持っている大型草食亜竜だ。

 特徴としては、まずかなりの力持ちだ。二千キロある体重で、その倍の重さの荷物を長時間運搬する事が出来る。おまけに皮膚のお陰で頑丈だし、一度勢いがつけばその突進は半端な壁に穴を開ける程。

 突撃騎兵の騎獣や、物資運搬に利用される場合が多い騎獣だ。

 世話も非常に楽。一度怒らせるとしばらく手はつけられないが、普段はとても温厚で扱い易い。

 唯一にして最大の難点を言うならば、餌代が馬鹿にならない事だろう。

 百キロ近い草を食事に必要とするし、水も相当量必要になってくる。そんなもんを一介の平民が飼えるはずもなく、殆ど市井では見かけない。

 見かけないんだが、今回は運が良かった。乗り合い所でこいつを見たとき、驚きで声を張り上げてしまったのは、今にして思えば恥ずかしい。


「本当に珍しいよな。一介の商人さんがこんな物を持っているとは」

「へへっ、まぁそうでしょうね。あっしも自分以外に知りやせんぜ」


 手綱を緩く握り締めながら、御者台に座っている壮年の商人はどこか気恥ずかしそうに笑みを浮かべていた。


「ちょっと前まで大店で働いていたんですがね。この不景気で退職金も次の仕事場への斡旋もせずに、旦那が夜逃げしまして。

 従業員全員で話し合って店にあるもんを分け合ったんですが、あっしはこいつと荷台、それに魔術具マジックアイテムを頂きました。

 ほれ、あそこに置いてある奴でさぁ」


 首を後方に向け指し示した先には、両腕で抱えなければ持てなさそうな手持ち付きの壷が置かれていた。模様も何もないごくごく平凡なもので、言われなければ魔術具だと思わないだろう。


「原理はあっしには解りかねますが、あいつは蓋を開ければ、その辺の草をまとめて中に収めちまう魔術具でして。おかげで餌にこまらねぇんでさぁ」

「へぇ、そりゃあ便利だ」


 一介の商人が鈍甲竜を養っていける理由がはっきりして、思わず興味深そうに頷いてしまった。

 とにかく有り難い話だ。まさか一介のお姫様が、こんな乗り物に適していないモノに乗っているとは、追っ手も思わないだろう。

 普通の貴族、普通の騎士の感性だったら、馬車と馬を買い、御者を雇って旅をしていると思っているに違いない。

 逃げる事は、そう難しい事でもないだろう。

 時間は掛かるが、それも問題にはならない。


「ねぇ、ちょっと! 一人で納得してないで説明しなさいよ」


 ……このお姫様に教えなきゃいけない事は山ほどある。時間はいくらあっても足りないくらいだ。





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