其ノ二






 真夜中の月が綺麗な城の中。偶然であったのはこの国の王女様! しかも後一週間後には女王様になっているお方だ!

 ……とだけ話せばどこかの恋愛小説などを思い浮かべるかもしれないが、実際のところそんなロマンスは欠片もない。

 むしろ本当に厄介事でしかない事が分かってしまって、胸がドキドキするのは別の理由から。

 そんな、これから国を背負って立つ次期女王様が、堂々と「城から抜け出す」と言っているのだ。どこの誰とも分からない男の手引きで。

 どうにも嫌な予感はしていたが、こんな大事に首を突っ込むだなんて誰が思うだろう。しかも、お姫様は完全にオレをその手引きした男の手先だと勘違いしている。


「……お、驚きましたね~、あ、あの男がこんな王女様を連れ出せなんて言うとは、」


 動揺で言葉が滅茶苦茶担っているオレを気にしていないエリザベス王女は自慢げに語り初める。


「そうよ! なんたって将来を誓い合った仲ですもん! 彼が約束を破った事などありはしませんでしたし!」


 ――なるほど、そういう事か。

 惚れた腫れたってやつは全く。


「彼はね、元々私の館の庭師だったの。

 ある日、私に庭に咲いている薔薇をくれてね、「綺麗だね」って、貴方もあっているから知っているでしょうけど、彼は双子月の物語に登場する男性のようで、月光がとても似合うハンサムな、」


 オレが黙ったのを良い事に、情報をドンドン吐き出してくれる王女様。

 こんな頭の中お花畑なお姫様が一週間後には王位継承で女王陛下になるんだから、この国の未来が心配になってくるが、判断材料をくれるのは有り難い。

 このままこの姫様を警備兵に突き出して一件落着とする。これが常識的な行動だといえるだろう。もしオレが普通の客だったらそうしても良かった。

 だけど、簡単にそれをやって良い状況ではない可能性が出てきた。


「……失礼。実は個人的にもう一個この城に用事がありましてね。もし良ければ、ここでしばらくお待ちいただけないでしょうか」


 ペラペラと惚気話を話し続けているエリザベス王女に……いや、面倒だからもうエリザベスで良いか。話しかけると、少し残念そうな、そして疑問の篭った眼差しを向ける。


「あら、貴方の事情など関係ありません。貴方は雇われたんですから、その仕事だけをすれば良いじゃないですか」


 ああ、うん。こういう女いるんだよ。痛くなってきた頭を掻きながら小さく溜息を吐く。

 傭兵時代にも、護り屋の仕事で遭遇した。護衛を小間使いだと勘違いしている奴が。

 まぁ今回は案内(という事になっているだけ)だが。そういう奴には適当にあしらってやるのが正解なんだが、今回ばかりはやったら首が飛びかねないな、物理的に。


「いえいえ、これも込み込みです。少し荷物を移動させ、隠れられるようにしていきます。警備兵に見つかれば厄介でしょう?」

「それはそうだけれど、その心配はないように思うけど。私は一人でここまで来ましたが、一度も兵士とは鉢合わせていないのですから」


 ――そこが問題なんだって気付かないのか。

 思わずそんな言葉を吐き出しそうになるのを嚥下してから、出来るだけ好意的に見えるように微笑む。


「では、ここでお待ちいただいて結構です。なに、直ぐ済む事ですから」


 これ以上面倒な言葉を聞く前に、オレは直ぐにその場を離れる。通路を入り、真っ直ぐに自分の部屋に 向かう。装備は整っているが、財布なんて持って城をうろつく訳にも行かなかった。

 このまま城を出て王女様の家出に付き合うなら、金は必要だろうからな。

 そう、オレは王女様の愛の逃避行に早くとしてお付き合いしようと、既に決めていた。

 これがじゃじゃ馬姫の無謀な作戦だったらオレも問答無用で止めているところだが、無謀ではないって彼女の考えは間違っていない。


「クソッ、最初に気付けば良かった」


 誰もいない廊下を歩きながらぼやく。

 そう、誰もいない。夜中であっても寝ずに御用聞きをするはずの侍従メイドも、定期的に仲を巡回しているはずの警備兵も、誰もいない﹅﹅﹅﹅﹅

 そんな事があり得るはずがない。オレが夜中抜け出し、中庭で少し鍛錬をして帰る。その間に誰にも出会わない偶然はあるだろう。

 だがあの忍ぶなんて言葉を頭の中に入れていないお嬢様一人が、大きな荷物を引き摺ってとろとろと城の中を歩き回って誰も会いませんでしたってのは、おかしい。異常だと言っても良い。

 もしそれが、その庭師のリチャードくんのお膳立てなのだとすれば、それはもう庭師ではない。計画的な犯罪者。勝手に暴れるだけ暴れる犯罪者とは違う、知能犯のそれだ。

 城の警備兵や侍従の動きをごまかせるだけの伝手、夢見がちなお姫様を篭絡できる手腕……はいらないな、あの姫は見るからにちょろそうだ。

 そこまで出来る人間が、次期女王である王女を攫って何をするのか。その後ろに、何らかの政治思想を持った誰かを付けていないとも限らない。


 ――これはもしかしたら、政治抗争の一環なんじゃないか。


 そいつを引っ張り出す為には、王女は相手の思惑通りの動きをするしかなく、護衛はどうしたって必要だ。

 どっちにしろ、少なくともその可能性が消えない内は、ここに王女を置いておくのも危険。連中がいったいどんな目的で王女を外に連れ出そうとしているのか分からないからだ。

 考えたくはないが……外に連れ出すのは、もしかしたら城で殺された責任追及をされない為かも知れない。


 考え事を続けながら、自室として空けられている部屋に入る。


 オレとサシャ、そしてウーラチカに一人一部屋ずつ。そう言われた時はサシャの警備が面倒そうだと考えていたが、今はありがたかったかもしれない。

 この状況でオレが姫と逃げますなんて言ってみろ、ウーラチカはどう思うか分からないが、サシャは躍起になって止めにかかるだろう。

 サシャには事情を知らないで、このまま城に残ってくれていた方が良い。もし城で何かあったり、反対にオレに何かあったとしても、ウーラチカが何とか出来るだろう。

 鞄の中から、傭兵時代よりも外見も中身もしっかりした皮袋の財布を二つ取り出し、いつものように一つを胸甲の中に押し込み、入っている金額が少ない方をブーツの中に滑り込ませる。

 そして近くに覚書用に置かれている紙とペンを取り出し、短い文章を書く。


『王女家出、政治抗争の可能性有り』

『オレは同行する。行き先は追って連絡』

『読んだら即処分』


 たったこれだけだが、サシャなら分かってくれるだろう。

 入ってきた時と同じく、音を立てないように扉を開けて外に出る。

 中庭に向かう途中にサシャの部屋があって助かったと思いながら、その扉の隙間に紙を放り込んでおく。あいつなら普段の習慣で侍従が伺いに来るより先に起きてきて、手紙に気付いてくれるだろう。

 歩きながら、剣帯や《飛鱗》が入っているベルトに弛みがないか確認し、廊下の道順を頭の中で追う。 《勇者》の護衛でもある《眷属》には、そういう情報だってしっかり開示されるのだ。

 まぁ、警備兵の心配をしなくて済むのはありがたい。

 そう思いながら、中庭に近づくと、



「――放しなさい無礼者!!」



 ――あのおてんば姫の声と共に、その場から駆け出す。中庭までほんの目と鼻の先立ったおかげで、すぐに現場に到着する事が出来た。

 エリザベスが自分の荷物を取ろうとする誰かと争っている。一瞬こんな所で暗殺者アサシンに襲わせているのかとひやりとするが、その姿を見て別の意味で冷や汗を掻く。

 使い込まれたことが月明かりでも解る革鎧レザーアーマー片手剣ショートソード。あんまり身なりを気にかけていないようだが、その足運びや姿勢を見るに、それなりに仕事をしてきた人間だと分かる。

 仕事と言うのはこの場合暗殺者でも、ましてや盗人でもない――戦闘、人との戦い。

 傭兵元同業だ。


「いい加減にしてくれお嬢さん、俺はあんたを迎えに、」

「嘘はおよしなさい。もう案内は来ています!」

「だからそれは、」


 言い争いに気を向けているソイツの背後に素早く忍び寄る。


「仕事の邪魔をして悪い兄弟。今日は譲ってくれッ」

「なん――、」


 最後まで言葉を聞く前に、右腕で首を絞め、左手で口を塞いだ。


「――ッ! ~~~っ!!」


 じたばたと暴れる男の体を足で絡めとってその場に倒しながら、ゆっくりと十数える。最初は力強く動きと、口を塞いでも聞こえてくる怒号が籠もっていながらも中庭に響いていたが、数える数字が減っていく毎に力をなくして行き、最後にはだらりと力を失った。


「……こ、殺したのですか?」


 先ほどまでの勢いを失い、顔面蒼白で聞いてくるエリザベスに首を振る。


「安心しろ、ちょっと気絶させただけ。本当はこのままじゃまずいんだけど、まぁ死にはしない」


 ごめんよ元同業。こんな事したくはなかったが今回は許してくれ。心の中で懺悔する。


「それより、何か縛るものはあるか? このままこいつも連れて行く」

「暴漢も一緒に逃げるのですか!?」

「城の中にいたんじゃコイツも危ないからな。せめて外に放置してやらんと」

「嘘を吐いて、私に乱暴を働こうとした男ですよ!? それをこんな慈悲、」

「恩は売っておくもんだ。ほら、早く」


 オレの反論を許さない押しに気圧されたのか、「また敬語が無くなっている」とか「そもそも私が何故縛る物を用意しなければ」とか文句は多い。

 が、素直に大きな荷物の一つを漁って、女性用の革ベルトと、絹で出来ているのだろうガウンの紐を取り出してくれた。

 拘束具にしては価値が高くて貧相だが、背に腹は変えられない。即座に相手の両手を革ベルトできつく縛り、ガウンの紐は起きてきて叫ばれないように口を塞ぐのに使った。

 ようやく安心できる状態にしてから、オレはその男を肩に乗せ、両手にお嬢様のお大事なお荷物をお持ちしてやる。

 ……装備も含めて相当の重さだ。持てない訳じゃないが、今ほどサシャの大我マナ供給が恋しい瞬間もないだろう。


「さぁ、とっととここを出ちまおう。長居はしないに越した事はない。王女様は、リチャードから手紙を預かっていないか。案内図が描かれているとか」

「え、ええ、これです」


 肩掛け鞄から取り出された紙片を広げてもらい、覗き込む。

 エリザベスにも解り易いように簡潔に描かれているが、紛れもなくこの城の地図。この中庭から抜け、使用人や業者用の勝手口に抜ける経路が記されている。

 城の詳細な地図まで教えてもらっているとは、リチャードの怪しさは増えるばかりだが。


「了解、ならこのまま進もう。悪いがこっちは荷物持ちでね。足取りはゆっくりになるが、勘弁願いたいね」

「解りました……でも先ほどから敬語が抜けている事を許すつもりはありませんからね」


 ……初めて会った時のサシャより性質が悪いかもしれない。

 オレは小さく溜息を吐きながら、頭の中に浮かんでいる地図と、史料としての地図を照らし合わせながら前に進んだ。





 王女様の大脱走。それはオレの予想を遥かに超える簡単さだった。

 結局警備兵に会うどころか侍従の一人とも会う事はなく、勝手口を通過。堀を越える為の橋を渡り、呆気なく城下町に到着した。

 時間としてはまだ早朝だが、民家からは既に朝食の用意をしているのか、煙突から煙が上がり、早くに出る行商人や鮮魚、野菜屋などは既に商売のために動き始めていた。

 赤レンガの整備された道、統一された家々。まだ商店街は大きく活気付いてはいないが、ここが立派に栄えた都であるというのは間違いないだろう。

 実際昼間通った時には、暇な時間に歩いてみるのも良いかもしれないと思ったくらいだ。

 《シルヴァリア王国》の首都リットライトは綺麗な場所だった。


「先ほどの暴漢。あんな場所に放置していって良かったの? もうあのベルトと絹のナイトガウンの紐も、使う気にはなれないし、そのまま縛ってきても良かったんじゃないの?」


 オレの後ろを歩いているエリザベスの顔は先ほどからずっと不服そうだ。先ほどの〝本物〟の案内役である元同業を、拘束を解いて表通りからは見えにくい路地に置いて来た事が気になるらしい。


「あのまま縛られた姿で見つかってみろ、何があったのか聞かれる。その時にアイツが嘘を言うとは限らない。あの状態で寝転がっていてくれた方が、酔っ払いと間違われて変に騒がれないだろう?」


 出来るだけ優しく、諭すように言っているが、これは完全に嘘。

 あの傭兵の男のやっている事は、傍目から見たって内実を知ってたって『誘拐』以外の何物でもない。さらにそれに失敗しているのだ、ちゃんとした傭兵なら命を惜しんで、何も言わずに逃げるだろう。

 ポケットの中に入れておいた銀貨数枚が役に立ってくれる事を祈ろう。


「そう……まぁ、貴方の口が悪いのも含め不問にしましょう。可愛そうに、きっとまともな教育を受けていらっしゃらないのね」


 一言多いお姫様だ。いったいどんな教育を受ければ助けてもらった人間にそんな事が言えるのか。

 大人なオレは何も言い返さなかった。


「で、これからどうするんですの? リチャードは自分の故郷で待っていてくれているといってましたが。確か、《ブリーゼ》でしたわよね?」


 《ブリーゼ》……確か、ここから辻馬車で三日は掛かる村と都市の中間程度の町だったはずだ。遠いように感じるが、辻馬車ってのはそれはもう遅い。正直歩く方が早いくらいの速度で進んでいく。距離はさほどではないだろう。

 ……こんな所でサシャとの予習が功を奏するとは思わなかった。


「そうだな、停留所でブリーズに行く馬車を探そう」


 夏に入る前であれば、春の実りを地方に仕入れに行く商人も多いだろう。それに便乗出来れば普通の辻馬車よりも早く着けるだろうし、追っ手が来ても誤魔化せる。

 商品の荷台に乗っけて貰えれば上等だ。


「そう、ではその停留所とやらに案内してください。早くリチャードに会わなければ、」


 足早にオレの前を行こうとした姫様の――襟元を掴んで無理矢理止める。


「ぐへっ、ぶ、無礼者! 私の首を絞めようなどと、」

「はいはい、逸るなよ姫様。段取りってもんがあるんだ」


 こっちは列記としたお尋ね者になる。最長三日間の行程を何の準備もなしに行くのは自殺行為だ。


「まず、アンタはその口調を何とかしろ。さも貴族だって態度じゃ、自分の身分を明かして回るようなもんだ。こっからアンタはオレの上司じゃないし、オレはアンタの部下じゃない。

 そういう風にしていかないと、即座に追っ手がオレ達に押し寄せる事になるんだ」


 最初から上司でも部下でもないのだが、そこは言い始めたらキリがない。


「わ、私に平民にと同じように振舞えと!?」

「別に本心からじゃなくて良い。演技だ演技。それで確実にアンタの大好きなリチャードに会えるんだと思えば、それも苦じゃないだろう」

「それは……確かに、そうですけど、」


 言い返そうとはしているが、予想通り想い人の名前が挙がれば、高飛車な王女様でも弱いようだ。不承不承と言った感じではあったが、はっきりと首肯するのを確認する。


「うっし、じゃあオレはアンタの事をエリザベスって呼ぶ。アンタは、まぁ、トウヤとでも呼んでおけ」

「トウヤ……変わった名前ですわ、いえ、変わった名前ね。まるで《倭桑ノ国》の名前みたい」


 ――《勇者》サンシャイン・ロマネスの名前は各国の上層部にも広まり、噂レベルなら市民にも多少広がってはいるが、まだ《眷属》であるオレやウーラチカの名前はそう広がってはいない。

 特に隠されて育った王女様であれば、尚更だろう。特に変わった反応は見せずに、俺の名前を口の中で反芻した。


「まぁ似たようなもんだ――さて、朝飯に何か食ってから、一番大事な事を済ませよう」

「一番大事なこと?」


 ポカンとする王女様に、オレは優しい笑みを浮かべる。





「ああ、――〝お召し替え〟だ」






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