其ノ二






「なんで――、」


 言葉が続かない。

 なんでここにいるのか。

 なんでここにいる事が分かったのか。

 そんな事を思い浮かべているのだろう。呆然とするウーラチカに、オレは笑顔を浮かべる。


「お前の得意な狙撃をするなら、ここが一番良いだろう。お前の弓だったら、簡単に届く距離だ。向かってくる連中を見境無く射れる格好の場所。

 と予想した訳だが、まぁ正解だったわけだ」


 オレだって戦場を経験した。

 高所からの投擲・射撃武器の恐怖ってのは身に染みているつもりだ。


「――まぁ、当たって欲しくはない事もあった。

 お前、酷い顔しているぞ」


 強い感情に歪んだ顔というのは、どいつもこいつも変わらない。

 まるで獣のような顔だ。


「お前には、関係ない」

「まぁ、そうだな」


 拒絶の言葉を受け止める。

 オレには全く持って関係ない。

 ウーラチカの考えている事、やりたい事、そういうのにオレは関われない。個人の感情に関われる訳がない。

 個人の感情は、その個人にしか理解出来ない。


「……おれウーがやっている事、おかしい? 復讐は悪い事?」

「――いいや、全然。したけりゃ、すれば良いと思っている」


 復讐は何の益にもならない悲しい事で、新たな復讐を生むばかり。そんなものに何の意味がある、過去に囚われず前を向け。

 ――いやいや、どこの聖人君子の話をしているんだ?

 人間そんなに簡単に人を赦せる訳がないだろう? 相手が死ぬまで――いいや、自分がその死を生み出すまで、悲しみは無くならず、憎しみが無くならない時もある。

 ようは自分の中で〝けじめ〟をつける為に、復讐が必要な時がある。

 誇りや理念、あるいは無念を晴らす。

 理由は様々だが、それは故人の代弁ではない。

 自己の救済だ。

 それさえ分かっているならば誰をぶっ殺そうが、誰に復讐を果たそうがオレの知った事じゃない。


「……じゃあ、なんでウーの前、立っている」


 そんな考えを持っていても、オレは結果としてウーラチカの前に立っている。

 どうして? どうしてだって?


「――お前、復讐それは一体誰の為にやっている?」


 ウーラチカの眉がピクリと痙攣する。


「お前、こう考えているんじゃないかなと思ってさ。

 『これから俺は善い事﹅﹅﹅をする。これから翁の為﹅﹅﹅に善い事をするんだ』ってさ」

「――――――ッ」


 ウーラチカの眉が、もう二度動く。

 表情を隠すのが下手だなぁ。


「……生憎だが、お前のそれはもう復讐でも何でもない。




 お前はこれから、『免罪符を掲げた虐殺』をしに行くんだよ」




 自分のやっている復讐が、同義的に善ではないと認める。

 死に、もう思う事が出来なくなった個人の代弁ではなく、自分の感情を持って行う。

 本物の〝復讐〟はそうでなければいけない筈なんだ。

 それを失い、復讐を善い事と自らを偽り、故人の思うはずも無い感情をでっち上げて行う復讐は復讐ではない。

 単なる子供の言い訳だ。


「――なにが、わるい?」


 ウーラチカの声が丘に木霊する。


「それ、何が悪い? どっちも同じ。やる事は変わらない。大鬼族オーガも、呪師も、〝影〟も、殺す。それだけ、」

「いいや、賭けてもいい。それだけじゃ絶対に終わらない﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅


 そんな無茶苦茶な理論と感情を持って復讐相手を殺したら、その次はどうなるか。

 復讐は終えた、もう俺は未来に生きる事が出来る、自分の心に、過去に終止符を打ったんだと笑って新しい人生に踏み出せるか?

 あり得ないね。

 歪な正義を掲げ、無いはずの神輿を担いで歩き始めればもうその足は止まらない。


 復讐が済めば、次は何もしなかった近隣住民を恨み始めるだろう。


 それが済めば、呪師と同じ悪魔系デモンズ種族を断罪する。


 それが済めば、今度は自治区を半ば放置していた国に悪意を抱く。


 それが済むと、今度は大鬼族の難民を見逃した世権会議に矛先が向く。


 それがもし済んだとしても、今度は形の無いもの、関係のないものにも憎しみを抱く。


 こんな結末を持ってきた運命、救ってくれなかった精霊、《勇者》とその《眷属》、自分の大事な人が死んだのに笑って暮らしている男女老人子供――そして、世界そのものも怨み始める。

 大袈裟だって思うか?

 いいや、大袈裟でも何でもない。

 戦場でも、護衛の仕事でも、魔獣退治の現場でも。


 そういう奴はいた。


 他国を憎み正義と旗を掲げれば、関係の無い女子供も平気で殺す悪鬼が生まれる。

 自分の商売の邪魔をし家族を路頭に迷わせた盗賊は、どんな理由があろうと縛り首になって当然だという強硬派が出来上がる。

 自分達の家族を殺した魔獣は全て敵だ。例え利口な、賢獣と呼ばれ調和を保っているものも殺せ、魔獣は全て殺せ、魔獣になりそうな動物も全て殺せと喚く狂人が現れる。

 人間、くびきを一端外してしまえばそこら辺の獣と大差は無い。

 理屈も何も通用しない、周囲を呪うだけの化け物になる。


「そんな風には、オレ、ならない、」

「そう断言できるか?

 今も思っているんじゃないか? 『何で俺の家族だけこうなった?』『もっと不幸になるべき人間は沢山いる』『なんで俺だけ』ってな」


 それが始まりだ。

 虐殺の始まりだ。

 まぁ、大体の奴は途中で死ぬ。そんな自分の身の丈に合わないものを、強い感情で恨み続ければ、心身衰弱して死ぬ。

 うわ言のように憎悪を垂れ流しながら、だがな。


「――だから、何だって言うんだ!!」


 走っているときに持ってきたのだろう木の枝を弓に番える。一瞬で枝は矢に変わり、その切っ先はオレに向けられている。

 それでも、オレは動かない。


「だったら、なに? それでも良い﹅﹅﹅﹅﹅﹅、ウー、殺せればそれで良い」

「……オレが、良くねぇんだよ」


 目を逸らさずに言う。




「それじゃあ、お前の心を護れないじゃないか」




 ウーラチカがやろうとしている事は、自分の心も体も壊していく行為だ。

 その憤怒と憎悪は自らを自傷し続け、惨たらしい死を迎えるだろう。

 ――それは、翁の望んだ事か?

 これが翁の望んだウーラチカの〝未来〟なのか?

 ――違うだろう。こんな結末が欲しくて、オレも、サシャも頑張ったわけじゃない。死ぬ瞬間まで翁は笑顔を浮かべていたわけじゃない。

 もっと良い結末があると、ウーラチカにとって未来が待っているだろうと思って、託して、自分になんか囚われず前を向けといって死んで行ったんだろうが。

 それがこれじゃあ、誰も報われない。

 誰も幸せになんかならない。


「――射るなら、とっととやれよ」


 《顎》を抜き、起動する。

 魔力物質エーテルで編まれた刃の切っ先を向ける。




「お前の気が済むまで、その喧嘩、買ってやるよ」




「――ウァ、」


 ウーラチカの声は歪んでいた。

 今にも泣きそうな涙声を上げながら、弦を一層強く引く。

 こいつにとってはもう止められない。自分でその感情をどうにか出来るなら、最初っからこうなっていないだろう。

 そりゃあそうだよな、

 だから、


「ウァアアァァアァアアァアァァアァアアァアァ!!!!」


 ――俺が止める。

 無数の矢がこっちに真っ直ぐ飛んでくる。普通の矢なら失速して弧を描くが、こいつの弓は特別製。威力を損なわず、矢はこっちの眉間を、心臓を、腹を、様々な急所を狙ってくる。


「――ッ、ッ!!」


 それを《顎》一本で丁寧に払いのける。

 確かにコイツの矢は神業だ。正確さでは他の奴には勝てないだろう。

 遠方から、あるいは障害物の多い森やなんかではコイツの弓矢は脅威だ。どこから、どのように襲ってくるか分からないものを受け止めようとはオレだって思わない

 だが、それもそういう前提﹅﹅ならって話だ。

 距離は十メートルもない、遮蔽物も無い、こんな状況こいつの矢は、ちょっと早いだけ、ちょっと数が多いだけで他の矢とそう変わらない。

 何より、こいつが狙ってくる所は一撃で殺せる急所〝だけ〟だ。

 一撃で獲物を殺す狩人としては正解だが、人間との戦闘では不正解。どこにどのタイミングで射って来るか分かっているんだから、弾くのは簡単。

 今の混乱して、そんなことも見えていないウーラチカに、オレは負けない。

 一歩ずつ近づく。


「――なんで、なんで護る、言う」


 弓を間断なく射掛けながら、ウーラチカは言葉を紡ぐ。

 一歩、足を前に出す。


「お前、関係ない。ウー、お前ら、関係ない、」


 一歩、また近づく。


「関係ない、――はず、なのに、」


 一歩――矢が顔を掠めたが気にしない。


「嫌だ、殺したくない――本当は、殺したくないのに、」


 一歩――あいつの手を取れるように。


「でも、無理、誰も赦せない、ウー、大鬼族も、呪師も、〝影〟も、誰も赦せない」


 一歩――ウーラチカを止められる様に。


「だって、皆殺した。翁、何も悪くなかったのに」


 一歩――立っているのも辛そうなこいつを、支える為に。


「翁、もうすぐ死んだかもしれないけど、もうお爺ちゃんだったかもしれないけど――それでも、生きたかったはずなのに、」


 一歩ずつ、前に――、




「ウー、赦すなんて、出来ない」

「――おう、赦さなくてもいい。オレは何度だって、お前を護るとめる




 目の前にあるウーラチカの拳を握る。弓を握り締め、その感情から力強く握り締めたのか、血を出している手を、痛みを与えないように握る。


「感謝しろよ。野郎の手なんざオレは握らないんだぞ? 普通はな」


頬からジンジン痛みを感じる。血も出ているんだろうが、その痛みも気にせず笑みを浮かべる。

 安心させるために。

 大丈夫だと言ってやる為に。


「……お前、やっぱ変。殺されそうになってたのに、笑ってる」


 既に涙が零れ、ぐちゃぐちゃになった顔でウーラチカは言う。

 オレはその言葉に、より一層笑みを深めた。




「まぁ、《勇者》の《眷属》ですから」









「ハァ、ハァ、トウヤ、ちょっと、あんた、無事、なんでしょう、ね、」


 先に走っていったトウヤを追いかける為に走ったのだが、慣れている《エレメント・フォレスト》ならばいざ知らず、初めて入った《エント・ウッズ》。木の根っこに引っかかり、転び、それでも足を止めずに走り続けたサシャの息は荒れていた。


「お~、全然平気。なぁに、オレのこと心配してくれたの? ご主人様は優しいなぁ」


 そんなサシャを迎えたトウヤは頬に傷があり、派手に血は出ているものの大事にはなっていなさそうだった。

 その事に心の奥底で胸を撫で下ろしてから、サシャは鼻を鳴らす。


「別に貴方を心配したわけじゃないわよ、貴方がウーラチカに無茶しないかって心配だっただけ」

「あぁそう、そりゃあ失礼を。

 まぁ無事かといえば無事だが……ちょっとお先真っ暗状態だからな」


 トウヤはそう言いながら丘の先を指差した。

 ウーラチカの後ろ姿だろう。足を組み、大鬼族の集落を見下ろしていた。

 何をするでもなく、ただただ眺めている。


「復讐するって言ってたんだがな。ちょっと説教したら、ああなっちまった」

「……まぁ、人を殺す殺さないの事に関しては、貴方実感篭ってるから」


 実感の篭った言葉は短い時間で紡がれたものであろうと、強いものだ。そんなものを真正面からぶつけたのであれば、良いにしろ悪いにしろ、ショックだったのだろう。


「……話したいの。周囲の警戒、お願いできる?」


 サシャの言葉も、また短い。

 しかし察しの良いトウヤは、少し困ったような笑顔を浮かべてから背中を向ける。


「やぁれやれ、うちのご主人様は人使い……いいや、《眷属》使いが荒いなぁ」


 いつも通りの皮肉に少し安心する。

 その背中を見送ってから、サシャはゆっくりとウーラチカの傍に近づいた。出来るだけ相手を驚かせないよう、足音をさせず、音も立てずに隣に座った。


「――ウーの復讐、ダメって、トウヤ、言った」


 何の脈絡も無く、ウーラチカは言う。


「……そっか」


 それにサシャは、頷いただけだった。

 どんな経緯があったのかは知らない。でも、きっとトウヤが止めたのであればそれに何か理由があったのだろう。

 サシャは最初から復讐なんて碌なものではないと思っていたので、当然、それを納得した。


「言葉難しかったけど、言いたい事、分かった。けど、分からない事も、出来た。

 ――ウー、これからどうすれば良いか、分からなくなった」


 復讐する。

 憎い相手を殺す。

 一瞬でもその強い感情に囚われたなら、それを無くした瞬間、感情があった部分だけぽっかりと穴が空いたようだった。だからウーラチカは、無機質に、遠くを見つめ、考えていた。

 材料が少ないウーラチカの頭では、いくら考えても答えは出ない。


「ウー、どうすれば良い? 何すれば良い?」


 どうしても自分では答えが出ず、サシャに問いかける。

 それにサシャは、小さく首を横に振った。


「それはきっと、私には答えが出せないと思うわ」


 サシャは他人で、部外者だ。

 他者を強く憎む事よりも、自分を責める事を選んでしまったサシャには、分からない事だった。




「――でも、一緒に探す事は出来るわ」




 一瞬また無機質な目に戻ったウーラチカの目が、サシャに向く。ほんの少しだけ、色が戻ったような気がする。


「一緒に、探す?」

「そう、一緒に探すの。これからウーラチカがどんな事をしたくなるのか、どんなの事をすれば良いと思うのか、見つかるように一緒に探すの」


 人が歩く道は、交わる事はあっても混じわる事は無い。自分の行きたい方向や、歩く速度や、幅なんていうのは自分で決めていくしかない。

 自分達の前を歩いている多くの人がそうであったように。

 しかし、隣り合う事は出来るだろう。どこかでそれが離れていくのか、それとも死ぬまでずっと隣り合う事になるのか、それは分からないが。

 一緒に隣を歩いてみる事は、出来る。




「ウーラチカ。この問題をとっとと片付けて、一緒に森の外を見に行きましょう。きっと貴方の欲しがる答えも見つかるわ」




 なんて安易な事を言っているんだろう。

 自分でもそう思う。

 もしかしたら先を歩いても、ウーラチカの欲しいものが見つからないかもしれない。求めるばかりで見つからず、結局見つからないまま死ぬかもしれない。

 絶対に見つけられるなんて保証はどこにもないんだから。

 ――でも、前に進んでみなければ見つからないというのは、確かだった。

 サシャは立ち上がって、隣に座り込んでいるウーラチカに、手を差し出す。

 ウーラチカは直ぐに手を上げてそれを掴もうとするが、一瞬躊躇する。


「で、でも、ウー、外の世界、知らない。きっと、迷惑、かける。役、立たない」


 ……拙くてもこうやって人の心配を出来る程優しいのだろうと思い、サシャは笑顔を浮かべる。


「大丈夫。貴方弓の腕は良いし、森にも詳しいし、仮に役に立たなかったとしても気にしないわ。だって、友達ってそういうものでしょう?」

「……友達? ウーと、お前が?」


 ウーラチカの信じられないという言葉に頷く。


「そう。これからどういう関係になるかは、まぁもうちょっとだけ、本当にちょっとだけ様子を見ないと分からないけど、友達ならすぐになれるわ。

 だって、友達に理由は要らないんですもの」


 友達。

 その言葉を、ウーラチカは何度も、何度も口の中で反芻する。知識としては知っていても、それになった事も、出来た事もなかったから。

 戸惑いにも似た、でもどこか心地よい感情が体の底から湧き上がる。心がぽかぽかして、その場で飛び跳ねそうになるほど気分が良い。さっきの無気力な感じは、どこかに消え去っていた。

 ――人がそれを、〝嬉しさ〟というのを知るのは、




「――うん、ウーラチカ、サシャと、友達」




 その手を取った後だった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る