onちゃんですね

「岩を見に行きませんか」


 めったに向こうから連絡をよこさない森島もりしま章子あきこが、たまに送ってきたメールがこれである。本当にこれだけ。会社の昼休み、自分の席でごはんを食べていた私は、スマホを見て固まった。横を通る同僚が不審そうにこちらをちらりと見る。

 気を取り直して「いいよ。いつ?」と打って送った数日後、私は章子といっしょにバスに揺られて、札幌郊外のとある河原へやってきた。

 二月末の日曜日。ずいぶん暖かくなってはきたけど、川を渡って吹きつける風は刃物みたいだ。ぐるぐる巻きのマフラーに顔をうずめる。

 長靴を履いてきて正解だった。私たちはくるぶしまで埋まる雪にずぼずぼと足跡をつけて、河原を歩いていく。

「それにしても」と、歳下の友だちは眼鏡の奥の目をおかしそうに細めた。「時間も場所も聞かずに『いいよ』と返信するなんて、沙織さおりさんは変わっていますね」

 変わり者ほどこうやって他人を変わり者扱いします。

「アコちゃんのほうからデートに誘ってくれるのは百年に一度の機会だから」

 デート、と声を出さずにつぶやいて、章子は微笑んだ。

「今度は沙織さんのお誘いに無条件でお応えしましょう」

「いきなりハワイまで行こうっていってやる」

「では、パスポートを取っておかなくては」

 十分ほど歩いて、目的の場所まで来た。沢の中央に鎮座している大きな岩は、なるほど、確かに――


onオンちゃんだ」

「onちゃんですね」


 丸い身体に短い手足を生やした、テレビ局のマスコットキャラクターに見える。誰かがSNSに投稿したこれの写真が話題になっており、カメラが趣味である章子も撮ってみたくなったのだという。

 背負った鞄から愛機を取り出し、章子はレンズをonちゃん岩(仮)に向けた。私はそんな章子を見守る。写真を撮る瞬間の、この子の凛とした表情が、私は好きだ。


「――どうしたの」

 二十秒ほど待ってから、私は訊いた。夏ならもっと待ったけど寒くってさ。

 章子はシャッターを切ることなく、カメラを下ろして首を傾げる。

「ひと目見て、それで満足しちゃった?」

「そのようです」

 章子は申し訳なさそうにいった。


 岩の実物はこの子の表現欲を刺激しなかったらしい。私の好きな表情にならなかったので、それがわかった。

「せっかくつき合っていただいたのですが――」

「いいよ。少し歩いてみよう。アコちゃんがピンと来たものを撮ってよ」

 きっと章子は、私が気に留めないような何かにインスピレーションを受け、鮮烈な写真を撮るだろう。それを楽しみに、私は自分のスマホにonちゃん岩(仮)のごく平凡な写真を収める。

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