EP10-8 白い同行者

 蒼天の雲海に浮かぶ巨大な白い独楽ウィラ本部に、同じく白い球体ムーヴィアが辿り着く。――本部の外壁に張り付いたそれは、そのまま溶け込むようにして壁面に吸収されていき、建物の中の通路にリアムを残すと跡形も無く消え去ってしまった。

 リアムが降り立った真っ白な通路の先には、局長のジョルジュと、その隣に見慣れぬ顔の規制官黒スーツが一人。


「ご苦労。すまないな、リアム」と、抑揚の無い声でジョルジュ。


「いえ、局長の判断であれば」


 リアムは爽やかな快諾の笑顔で返し、ジョルジュの隣でなんとなくが悪そうに立っている人物を見下ろす。

 ――規制官お馴染みの黒いフォーマルスーツをぎこちなく纏った少女。年齢は10代半ばから後半である。髪も瞳も肌の色すらも、色を塗り忘れたかのような白。色素を失った身体は一見して華奢だが、女性として特別背が低い訳ではない。ただ脂肪とは無縁な細身の身体は、ガラス細工の様に危ういイメージがあり、同時にその姿は朝陽を待つ月見草の如き儚さと美しさを持っていた。


「彼女が――?」とリアム。


「そうだ。准規制官のマナ・ジュ・パンドラだ」


 ジョルジュの素っ気ない紹介を受けて、少女マナはおずおずと挨拶をする。


「ぼ、ボクは、准規制官……なりまシた。パ、パンドら?と申しまス。……宜しクお願いしまス」


 畏まり緊張した面持ちで、不慣れな新しい自分の名前をたどたどしく名乗る彼女に、リアムは包み込むような優しい微笑みで言った。


「そう緊張しなくても大丈夫だ。それとここではファーストネームで呼び合うのが通例なんだ。――私はリアム・義・ヨルゲンセン。だからリアムでいい。こちらこそ宜しく頼むよ、マナ」


「あ……ヨ、宜しくお願いシます!(良かった、この人は優しそう……)」


 自分なりに精一杯の声を発したマナは、聳えるようなリアムの体躯を安心の瞳で見上げる。


「彼女はまだ源世界こちらに来て日が浅い。プログラムも終えたばかりだ」とジョルジュ。


「(更生プログラムを……)――彼女も元ディソーダーですか」


 というその台詞にあった、ディソーダー彼の発した単語に一瞬身を固まらせるマナ。その様子を見て。


「気にしなくていい。私も元はディソーダーだよ」と、リアムは笑みを見せた。


 その彼の頭の中にOLSによってジョルジュが説明を加える。無論マナには聴こえていない。


[彼女はクロエが担当しているグレイターヘイムの元ディソーダーだ。薬物投与向こうの事情で人格が極端に捻じ曲げられていたが、サルベージの際にそれは排除した。ただ亜世界においても実生活の経験が殆ど無い為、人格は年齢よりも幼く極めて純真な性格だ。道を違えることのないよう、よく面倒を見てやってくれ]


[なるほど――了解しました]


 リアムは裏の無い笑顔で握手の手を差し出す。


「?」とマナ。


「握手だ。互いの手を握る、友好の証だよ」


 そう言われてマナは恐る恐る、細く繊細な白い手でリアムの手を握る。


(大っきい……でも暖かい……)


 悪夢から目覚めた幼子が親の胸にギュッと抱かれる安心感――マナが覚えたのはそのような感覚である。そして同時にリアムが彼女に感じたのも、その逆の立場の印象であった。


 言うまでもなく彼女マナ・珠・パンドラは、ユウが『超能力者の世界グレイターヘイム』で死闘を演じた相手――神堂マナであった。彼女は源世界で肉体の復活を遂げ、WIRAウィラでの取り調べを受けた後、1ヶ月のディソーダー更生プログラムと源世界の基本的な教育を受けていた。そして自分の進む道として規制官を選んだのであった。とは云え、マナのアルテントロピーは現段階ではユウにも劣るレベルであったし、理解力と吸収力は飛び抜けて高かったものの、如何せん精神が幼いという理由から、三等規制官にはなれなかったのである。


「ではリアム、マナ。早速現場に向かってくれたまえ」


 ジョルジュはそう告げると後は任せたと言わんばかりにすぐさま彼らに背を向け、淀みない足取りで壁の中に消えていった。


 それを見送る二人――。


「…………ボク、あノ人、少し怖いデス」


「局長がかい? 彼は優れた上司だよ。そういう人間は得てして厳しく映るものさ」


 早速リアムに寄り添うマナに、リアムはそう言った。


「じゃあ行こうか、マナ。君の初任務だ」


「任務……どコに行きまスか?」と、少し不安げな顔を見せるマナ。


「ダークネストークス。――怪物の世界オバケ屋敷の中で迷子になった女の子を捜し出す仕事さ」



 ***



 亜世界『宵闇と黄昏の世界ダークネストークス』は、所謂怪物と称される存在が確かなものとして棲息し、その人外の者達と人間達とが互いの版図を守りながらも、時に争い、時には交わりつつも、幾つもの奇異な物語を紡ぐ――そんな世界である。そこには多種多様な怪物達が闇の住人として存在するが、中でもその代表格とも云うべき存在は吸血鬼、或いはバンパイアと呼ばれる怪物であった。

 彼ら『吸血鬼バンパイア』は普通の人間よりも優れた身体能力や異能の力を持つ者であるという点では、『超能力者の世界グレイターヘイム』の殊能者や『正しき守護の世界ジャスティスフィア』のヒーローなどに似ているものの、その正体が異形であるが故に人間と相容れることは極めて稀、という決定的な違いがあり、そういった意味では『剣と魔法の世界アーマンティル』のモンスターに近い存在であった。

 そしてまた彼ら闇の住人達の世界は、ただ力によってのみ立場が決まるという徹底的な縦社会であり、就中なかんずく吸血鬼の中に存在する第一世代吸血鬼――通称『真祖しんそ』と呼ばれる極小数の種族は、絶対的な支配力を持つ高粘度情報保持者プロタゴニストであった。


 吸血鬼最大の特徴はその名の通り、血液に対する嗜好が極度に強いという点で、人間の3倍程もある犬歯きばを使って人間えものの首筋に食らいつき生き血を啜る。それによって更に能力を活性化するのである。また第二世代と呼ばれる血統以上の者に血を吸われた場合、一部の適性ある者は第三世代の吸血鬼へと変化し、そうでない者の多くは『屍食鬼グール』と呼ばれる吸血鬼の従者となる。

 彼ら吸血鬼やグールには寿命や老化が無く、血液さえ摂取出来れば永遠に生きるとされているが、血液が無くとも100年程度は活発に動くことが出来る。しかし本能的な吸血衝動狂おしい渇望を抑えられる者は少なく、往々にして――そしてごく当たり前の事として彼らは人間を襲うのである。特に若い異性の血を好む為、彼ら吸血鬼は人間にとって天敵とも云える存在だったが、一方で信仰心と太陽の光、そして銀製の武器に弱く、人間の中には弱点それらを以て吸血鬼を滅することを生業とする者もいた。

 そんな恐れを知らぬ者らのことを、ダークネストークスの人々は『吸血鬼狩りバンパイアハンター』と呼んでいた。

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