EP1. *Ignorance《災厄竜と勇者》

EP1-1 剣と魔法の世界

 剣と魔法――言わずもがな剣とは、牙や爪を持たぬ人間が有史以前から磨き続けた、最も身近な武器である。そして魔法とは、体内に秘められた魔素まそと呼ばれるエネルギーをイメージによって呼び起こし、古の言語を用いた呪文によって作用を決定付ける、謂わば意図的な超常現象である。


 ――亜世界コードHFー3、通称『剣と魔法の世界アーマンティル』。

 この世界は、人々がその2つの力と勇気を以て、束の間の栄光と平和を手にする為、モンスターと呼ばれる獰猛で恐るべき力を持った異形の魔物達と戦い続ける――そんな世界であった。


 しかしある日、前触れもなく現れた巨大なドラゴン『災厄竜ガァラムギーナ』の手によって、その世界のパワーバランスは大きく崩された。幾人もの戦士や魔法使い、そして世界中の名だたる騎士団が果敢にもその竜に挑んだが、結果は無慈悲。絶対的なガァラムギーナの力の前に、彼らの生命は儚く散っていったのであった。

 そしてそれから数百年、山や大地を焼かれ、何千万という人間と数多くの国々をガァラムギーナに滅ぼされたアーマンティルの人々は、絶望と恐怖の闇に包まれながら、すがる希望も持てず暮らしていた。



 ***



 瞼を通して感じる穏やかな光――目を覚ました少年の目に最初に入ったのは、騎士と姫が寄り添って星を眺めている絵であった。それが天井ではなく天蓋に描かれたものであると認識できたのは、彼の身を包む柔らかな布の感触がベッドのそれであると気付いたからである。

 ベッドの周りは天蓋から垂れ下がる薄いレースの幕で囲まれており、その向こうに映る小さな影から少女の鼻唄が聴こえてきた。


(ここは……? 僕はなんで――?)


 少年は自分の身体の至る所に包帯が巻かれていることに気が付いた。それは非常に丁寧に施されたものではあったものの、包帯の下には何かの葉っぱがそのまま貼り付けられていて、少年にはそれが酷く原始的な処置のように思えた。


(なんだこれ……。何が――あったんだっけ……思い出せない)


 頭の中には白い靄が立ち込めているような感覚で、少年が何かを思い出そうとするとそれが記憶の行く手を阻んだ。


「(なんで僕は……)――っ!」


 彼が何気無く起き上がろうと身体を動かすと、全身に鋭い痛みが走る。するとその声に反応して、レースの向こうにいた少女が少年に声を掛けた。


「あら、気が付いたのね? でもまだ動かないほうがいいと思うわ」


 するりと垂れ幕を抜けて姿を現したのは、淡い金色の髪をした可憐な少女であった。彼女は小さな銀の吸飲みを手に、少年に優しく微笑みかける。


「私が見つけた時は、死んでしまっているのかと思うほどだったもの。ううん、王室魔法医がいなかったら多分、本当に死んでいたところだわ」


「君が……助けてくれたの?」


「いいえ、私は見つけただけよ。――そうそう、それよりあなたお名前は?」


「えっ――?」


 正に今それを思い出そうとしていた少年は思わず口ごもったが、靄の中から掴み取れたその答えを、少女の瞳を見つめながら返した。


「僕の名前は……ユウ」


 しかし憶えていたのは、唯一その自分の名前だけ。


「ふぅん、変わった名前ね? 私はフェメ、このトラエフ王国の第三王女。よろしくね、ユウ」


 そう言って微笑む彼女の姿はまるで、小さくとも誇らしげに咲く一輪の清廉な花――そんな印象を得て、ユウもまた自然と笑みを返していた。



 ***



 ――4年後。


 緩やかな傾斜を覆う朝霧の中に、騎馬隊と思しき影。カチャカチャと鎧や剣の鞘が鳴る列の前を、雑草と湿った土を跳ね上げながら伝令の手旗を掲げた早馬が通り抜けていく。そして伝令兵は軍の最前列にいる一際大きな鎧騎馬の前で止まると、開戦前の昂る空気に当てられて嘶く馬を「どうどう」と抑えてから下馬し、速やかに片膝を突いた。


「将軍、全軍準備整いました!」


「ご苦労」と頷き返した巨馬の男は、全身を頑強な鎧で包み込んだ巨躯の戦士。残ばらの黒髪と強い顎髭がいかにも豪放な大丈夫を演出している武人で、背にはその長身に見合った分厚い2本の曲刀があった。

 男の名はレグノイ。この軍をあずかる将軍の一人である。彼は野太い声で、隣に並んだ白馬の少年騎士に声を掛けた。


「正念場だ、覚悟はよいか? ――ユウ」


「大丈夫だよレグノイ。もう覚悟はできてる」


 あどけない顔をした十代半ばの少年。輝く銀髪と澄んだ翡翠色の瞳。白銀の鎧を纏い、腰には神が造ったと謂われる伝説の剣。

 かつて交通事故によって命を落とし、そしてこの見知らぬ世界で目を覚ました少年ユウは、今やこの剣と魔法の世界アーマンティルにおいて人類最強と謳われる勇者と成っていた。そして彼は人々の夢と希望を背負い、災厄竜ガァラムギーナとの決戦の場に赴いたのであった。


 レグノイに決意の眼差しを返したユウが手綱をググッと強く握り締めると、それを見たレグノイが言った。


「力み過ぎるな。今のお前は正しく勇者として大成したのだ。伝説の勇者と呼ばれるほどにな。最早この世界でお前が勝てぬ相手などおりはすまい。たとえそれが彼の災厄竜であろうとも」


「ああ。もうこれ以上……犠牲を出すわけにはいかない」


 彼が勇者として歩んできた苦難の道程――そこには数々の出逢いと別れがあった。

 いつも元気だった少女フェメ、剣を教えてくれたレグノイ、親身に相談に乗ってくれた町の老人や、勇気をくれた子供達。粗野だが気の置けない傭兵団の仲間、信念と誇りを教えてくれたドワーフの騎士、挫けそうな時に優しく諭してくれたエルフの長老。


(皆が僕に……勇者の力に託した夢――)


 その者達の殆どは、世界や己の誇りや愛する者――そして彼の命を守る為に死んでいった。ユウはその彼らの想いを、片時も忘れたことはない。


「この世界は、僕が守ってみせる!」


 決意を胸に、ユウの翡翠色の瞳と心は一層熱く燃える。

 すると後ろから深い霧を掻き分けて進み出たもう一人の男が、そんな彼の緊張を解すように背中を軽くポンと叩いた。


「背負い過ぎはよくないよ、ユウ。それを言うなら僕たちが、でしょ?」


 魔術師らしい灰色の長衣ローブを着て、紅色の髪から尖った耳を覗かせるエルフの男性は、気の抜けたような笑い声と顔でユウに微笑みかけた。


「レンゾ……」とユウ。


 男の名はレンゾ。軍の指揮を執るには若すぎる見た目の青年であったが、その正体は大陸全土に名を馳せる大魔法使いである。

 彼は元々細い目を更に糸のようにして微笑むと、快活な声を上げた。


「じゃあパパッとモンスターをやっつけて! ガァラムギーナもやっつけて! 帰って皆で昼寝といこうじゃあないか!」


 そのお気楽な様子に失笑するユウ。そして神妙な空気は払拭されたものの、些か気の抜け過ぎるその内容をレグノイが軽くたしなめる。


「まったく、お前という奴は寿命が長いからといって、昼寝以外にやることは無いのか。――とは云えまあ、お前や俺が気兼ねなく寝ていられる世の中というのは望外かもしれんが」


「ははっ、そうそう解ってるじゃない」


 パッと明るい笑顔を見せたレンゾは、腰の装飾帯サッシュに差していた短い木の杖を徐に引き抜いた。そしてその杖を前に翳すと途端に真面目な顔つきに切り替わり。


霧よ、晴れよオウグル・ファウ」と一言。


 直後――彼を中心に光の魔法陣が拡がり、レンゾが発した古代語に呼応して陣から巻き上がった旋風が、丘を包む霧を瞬く間に掻き消した。

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