僕が彼女と出会った日03
♢ ♢ ♢
『……――イくん、レイくん?』
誰かが名前を呼ぶ声で、ぼうとしていた意識がはっきりとしてくる。
『!?』
意識がはっきりとしてくると、まず目の前に飛び込んできたのは“彼女”の大きな瞳。思わずびくんと肩を震わせた。“彼女”はというと、右手をひらひらと振りながら、心配そうな表情を浮かべていた。
そうだ。“僕”はさっきの“彼女”の笑顔に見惚れて……。それで、どうやらそのまま惚けてしまった。
『ごめんなさい、少しぼんやりしてました』
まさかそれを正直に言えるはずもなく、“僕”は曖昧に笑って見せた。先ほど見た“彼女”の笑顔が脳裏にちらつき、つい頬に熱を持った気さえする。どうしちゃったんだろう、“僕”……。
幸いにも辺りは暗く、それを“彼女”にはバレていないようだが。そんなことを思い、ほっと胸を撫でおろしていると
『今から、消毒液かけるね。ちょっと沁みるかもしれないけど、ばい菌を追い出すために大事なことだからね』
“彼女”はそういって水とは別の容器に入った消毒液を“僕”に見せた。話題が変わり、これ幸いだとばかりに“僕”は『うん』と一つ頷いた。すると、“彼女”は“僕”が頷いたのを確認して、消毒液のふたを回して、“彼女”は、“僕”の傷口に数滴、垂らした。
その途端――……
『……っ……!!!』
膝に強烈な痛みが走った。悶絶しそうになる。予想はしていたが、幼い“僕”には刺激が強すぎた。思わず拳に力を込めると
『え?』
その拳に“彼女”の手がふわりと重ねられていた。見ると“彼女”は“僕”を安心させるように優しく笑っていて、“彼女”の手は温かくて、なんだかほっとする。“僕”は拳に込めた力を緩めた。
“彼女”は“僕”を治療する間、“僕”の気がまぎれるように色々な話を語り聞かせてくれた。
例えば、花の話。
『もう少しすると屋敷の庭園に紫陽花の花が咲くのよ』
『それは咲くのが楽しみだね』
『うん。青色に、ピンク、それに紫。場所によって紫陽花の色が変わって、とても綺麗なのよ』
『素敵だね』
『紫陽花のあとは向日葵が咲いてね、黄色い絨毯が広がるのよ。あとは――……』
そういって屋敷に咲く季節の花について“彼女”は、楽しそうに語っていた。
他にも星の話や街の話。本当に他愛のない話なのに、“彼女”は楽しそうに話す。“僕”は聞き入るように“彼女”の声に耳を傾けていた。彼女の優しい声色は耳に心地よく、コロコロ変わる“彼女”の表情は見ていて飽きない。
“彼女”の笑顔を見るたびに、胸が小さくドクンと音を立てる。両親、兄さんやお付きの執事、メイドに、周囲にいる令嬢たちと話してもこんな感覚になったことがない。初めての感覚だけれど、不思議と嫌な感覚ではない。
『……――イ君?レイ君?』
考え事をしてしまい再びぼんやりとしてしまっていたらしい“僕”は、“彼女”の声で現実に引き戻された。
『もう、消毒は終わったから、あとは包帯を巻くね』
気が付けば傷口は綺麗になっていた。コクンと一つ頷くと、“彼女”はポシェットの中をゴソゴソと漁っていた。包帯を探しているようだ。あと少しで治療が終わってしまう。何故だろう。それが名残惜しくてたまらなかった。それが何故なのか、“僕”は自分の“彼女”に対する気持ちを考える。
窘めるように“僕”を正してくれた“彼女”の真剣な表情、そのあと『偉いね』と褒めてくれたとろけるような微笑み。他愛のないことを話していた楽し気で優しい“彼女”の声色。コロコロと変わる表情はどれも愛しくて……。愛おしい?
“僕”の“彼女”に対する気持ちが何故なのか、“彼女”の“今”、ふいにわかった気がした。
『なんだ……』
“僕”は包帯を探しているふうの“彼女”の横顔を見ながら微かに呟いた。思わず口元が緩んだのは今でもよく覚えている。
わかってしまえば、非常に呆気ない。
“僕”がこの人の笑顔をずっと見ていたいと思うのも、
“僕”がこの人の笑顔一つで胸が高鳴るのも、
“僕”がこの人の心地いい声色をずっと聞いていたいと思うのも、
“僕”がこの人と離れがたいと思ってしまうのも、全部――……。
【“僕”が“彼女”に恋をしているだけなのだと。】
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