私の彼は、空飛ぶカエルに乗っている
饕餮
私の事情
初めてその機体を見たのは、両親が離婚する前だったと思う。確か五歳だったはず。
自身も自衛官の仕事が忙しいだろうに休みを取ってくれて、父が連れて来てくれた航空祭で見たのだ。
長い胴体に、頭上のプロペラはふたつ。胴体にある窓は左右に五つずつあるけど、一番後ろにある窓だけが球状で他は平面だ。そこだけ丸いのは外を覗くためで、哨戒のためだったり確認のためだったりすると父から聞いたことがある。
正面から見たら丸っこくてなんとも愛嬌がある可愛い顔で、後ろから見たら厳つい顔のカエルさん。
それが、私がその機体を最初に見た時の感想だった。
『パパー! 大きなカエルさんがいる!』
『ははは! カエルさんか! 確かにカエルに見えるかもしれんなあ』
そう言って、日焼けした父が楽しそうに笑ったんだ。
『これはUH-47、通称チヌークって名前の大型ヘリコプターなんだ。チヌたんと呼ぶ人もいるな』
『チヌたん?』
『ああ、チヌたんだ。今からあのカエルのお口から中に入るぞ』
『わたしたち、チヌたんに食べられちゃうー?』
『そうだな。お腹の中から空を眺められるぞ? ほら、耳が痛くなると困るから耳栓をしてやろうな、
父に抱っこされて、そう説明されたっけ。迷彩柄のチヌークは小さかった私にはとても大きく見えて、後部ハッチから入る時はなんだかドキドキして父にしがみついたんだっけ。耳栓をしていてもプロペラの音がすごくて、でもチヌークの中から見た景色はとても素晴らしかったことを覚えてる。
そこから見えた雲ひとつない青空と、ちょっとだけ雪が被った富士山やそれに連なる山々がとても近くに見えて雄大で、眼下には小さく見えたヘリコプターや大型輸送機などを見学している人がアリのように小さかったっけ。
それ以来チヌーク――チヌたんが大好きで、日がな一日窓を眺めてチヌたんが飛ぶのを見ていた。両親が離婚してからはそれができなくなってしまったけど。
離婚の原因は母の浮気。たまに任務で長期間家を空ける父に対して寂しさが募ったようで、その期間中に同窓会に行き、当時付き合っていた人と燃え上がったらしく浮気したと、高校生になってから聞いた。
姉が高校生、兄たちが中学生になっていたとはいえ、『子供をほっぽって行くなんて! 紫音はまだ小さいのに!』と姉や兄たちが怒っていたことをなんとなく覚えてる。
そんな母親だったから、父は『子供たちを任せられない』と私を含めた全員を引き取って育てると言ってくれたし、私も母よりも父のほうが好きだったからそのつもりでいた。なのに、母は私がまだ幼稚園に通っていて小さいことを理由に、強引に母に引き取られた。
だけど結局母は、母親らしいことはほとんど何もせず、浮気相手と一緒に過ごすことのほうが多かった。そんな母だったから母方の祖父母も伯父夫婦も母に対して怒っていて、叱っても態度を改めなかったから祖父母の家で過ごすことになった。
私の命が危険に晒されかねないという理由で。
そこで思ったのは、やっぱり泣き叫んでも、家出してでも父と一緒に行けばよかったと思ったし、最初から父のところに行きたかったと、夜な夜な泣いた記憶がある。
一番上の姉は私と十歳違うし、八つ上と六つ上の兄もみんなで仲良く暮らしていてとても羨ましかった。私もそっちに行きたいと何回か駄々を捏ねたことがあって、伯父夫婦は賛成してくれたのに祖父母が反対し、月に一回か長期休みの数日しか会わせてもらえる以上のことはなかった。
何度帰りたくないって思っただろうか。でも、結局は泣く泣く帰ったのだ。
中学生になって祖父母が私の養育費を使い込んでいて、それをあてにして生活をしていたから父たちのところに行くのを反対していたと知った時は、母となんら代わりがないと祖父母を罵った。
自分の両親がまさか妹と似たようなことをしていると思っていなかった伯父は、それを知って以来私と祖父母を遠ざけ、私宛ての養育費を振り込んでいた私名義の通帳とカード、判子を全て祖父母から取り上げて私に渡し、使い込んだお金も全額返してくれたのは余談だ。その時に暗証番号を変えなさいと言ってくれたから変更したけどね。
祖父母に『二度としないから、一緒に住んでほしい』と言われたけど、全額ではないとはいえ七年近く黙って勝手に使われていたし、伯父からも父の代理人である弁護士さんからも『またやるだろうから、二人の話は聞かなくていい』と言われていたので、無視をして祖父母の家を出た。住んだ場所は伯父夫婦の家で、私が高校を卒業するまでそこで過ごさせてもらった。
もちろんバイトもして、食費を納めていた。伯父夫婦は『そんなことしなくていい』と言ってくれたけど、住まわせてもらっているし伯母はお弁当も作ってくれているしで心苦しいからと、毎月渡していたのだ。
結局それは就職祝いと成人祝いとして全額戻ってくることになるとは、この時の私は考えていなかった。
それから数年、私も成人を迎え、今は二十四になった。高卒で働きに出たからそれなりのお給料はもらっていたし、養育費は使わずにほとんど貯めてあったから洋服で成人式に出ようと思っていたのに、『私たちからよ』と姉や二人の兄、父が着物などを贈ってくれたのだ。
この時には既に伯父夫婦の家から出て会社の寮で一人暮らしをしていて、母は浮気した人とどこかに逃げちゃっていなかったから、それがとても嬉しかった。伯父夫婦からも前述した通りかなりの額のお祝い金をもらってしまったし。
ただ、この時にはもう私は彼らとは会うことはできなくなっていて、特に父や自衛官になっていた兄二人は常に転勤していたから無理だった。勤務している基地の名前は教えてもらっていたけど行くのに遠い場所もあったし、住所も一応教えてもらったけど、一人でそこまで行く自信はなかったのだ。
かろうじてスマホの電話番号とメールアドレスだけは交換していて、姉は比較的近い場所に住んでいたこともあり、姉経由で着物をプレゼントしてくれたものだった。とても嬉しかったし任務とかで電話に出られないと困るから、全員にメールでお礼だけは伝えた。
もちろん、スマホで撮ってもらった成人式の写真も添付した。
本当は就職してすぐ、父たちに会える機会があった。姉が結婚することになって招待状をもらったけど、直前になって予防接種をする前にインフルエンザをうつされ、泣く泣く諦めたのだ。
父や兄たち、姉のパートナーとようやく会えると思っていたから余計に残念だった。
もちろん、回復してから姉にはお祝いのお金と品物を贈ったよ。そして結婚式当日にはお祝いのお花付きの電報も贈った。
そうしたら姉は、父や兄たちと一緒に撮った集合写真を送ってくれたのだ。
久しぶりに見た家族の顔になんだか泣けて来て、嬉しくて泣いちゃった。
その写真は、父は陸自の制服姿で上の兄も陸自の制服、下の兄は空自の制服姿だった。兄たちは結婚したか恋人がいたみたいで、お互いのパートナーも一緒に写っていた。
『いつか一緒に写真を撮ろうな』
『会えるのを楽しみにしている』
そんな言葉を筆頭に、小さい色紙に寄せ書きが書かれていて、余計に涙が出た。
二十四になってすぐのある日、不況の煽りをうけて会社が倒産。以前から売り上げが伸びなかったり前年よりも下回ってきていたし、そろそろ危ないかもと噂が出ていたから転職をしようか……と会社の人と話している矢先の出来事だった。
会社の寮に住んでいたからそこも出なければならず、どうしよう……と悩んで住む場所を決めたのは、今いるところ。
東京都立川市――。防災拠点のひとつである陸上自衛隊の駐屯地や警察署、ハイパーレスキューがいる消防署があり、電車で一時間圏内には米軍横田基地と航空自衛隊の入間基地に行けて、大きな国立公園のある場所だった。都内に出るにしても電車一本で行けるし、一時間もかからない場所だ。
父がこの駐屯地にいることは聞いていたし、上の兄はわからないけど、下の兄が入間基地にいることも聞いている。だから、もしかしたら父や兄に会えるかも……という淡い期待もあったから選んだ、というのもある。
だけど実際は私が仕事探しに奔走していて、それどころじゃなかった。
仕事探しをしにハローワークに行った帰り、買い物に行ったスーパーにバイトの募集が載っているフリーペーパーを見つけた。それを家に持って帰り、それを見ていた時だった。
とても珍しいことに、立川駐屯地内の食堂で、お掃除のバイトを募集していたのだ。
ただし、募集人員は一人で期間は一年と短いものの、それでも仕事がないよりはマシだと思えた。
「珍しいなあ。一人だから受かるとは思えないけど、電話だけでもしてみようかな」
どうせ無理だろうと軽い気持ちで電話をかけ、「バイトの募集広告を見たのですが」と担当の人に変わってもらった。もう締め切ってしまったと思ったらまだ締め切っておらず、「面接に来てください」と言われたので、必要なものを聞いたり面接の日時を聞いたあとで電話を切る。
面接は明日なので、慌てて写真を撮りに行って履歴書に貼り付け、必要なことを書いていく。
「ないと思うけど、お父さんに会えるといいな……」
そうは思うものの、会えるとは限らないので期待しないようにしようと思い、明日持っていくものを確かめてから鞄にしまうとご飯の用意をして眠った。
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