OUTLINE&REVIEW ユーモレスク・ピカレスク
ユーモレスク・ピカレスク
小説JUNE1991年4月号/2000年12月号
山谷の日雇い人夫のモクは、おなじ日雇い人夫の自称インドネシア人、泉に押し掛けられて恋人になる。二人はドヤ街を出てモクの家に帰る。モクには文治という飲んだくれの父親がいた。文治は腕のいいかんざし職人だったが、酒と博打に溺れて仕事を辞めていた。そして妻がモクのせいで死んだことを怨んでいる。文治は妻の墓が家の井戸のなかにあるという。
モクは文治にこいつはお前の何だと聞かれて「インドネシア人だ」と答える。泉は逆上して家を出ていこうとするが、「お父んからもお母んからも離れて大きなった子供は、なにで心、埋めたらええのや」といって、この家にいたいと訴える。
挿し絵はハルノ宵子さん。栗本薫が、これは自分には書けない、と言った話。ドヤ街の日雇い人夫のJUNEというヨゴレ系の話はたしかにほとんどないでしょう。
作品の世界観はいちばん安定しているのに、話に入り込めないというふしぎなお話。モクや泉に感情移入できず、こういう人がいてこういうエピソードがあって、そしてまたユーモレスク体操がはじまって……のくりかえしみたいな感じ(と以前栗本薫も言っていたような)。父親の文治も賭け事に目のないろくでなしで、話に発展性がない。それが話に入り込めない要因になっているような気がする。
山谷の下町の風景がリアルに描かれている。賭場やもぐりっぽい医院のようすなど、嶋田さんの子供時代の原風景かと思えるほどである。
話のなかに「ベルリン・天使の詩」が出てくる。「BIRDS」にも「ブルーベルベッド」の1シーンが出てきたので、嶋田さんは映画好きなのだろうか。
以下は好きな文章ピックアップ。
「……おれ、あんたから、離れたない。あんたらから離れたら、おれもう、行くとこない。出てったら、これからどうやって心、埋めたらええんや。お父んからもお母んからも離れて大きなった子供は、なにで心、埋めたらええのや。……おれ、ほんまは、逢いに来てくれるの、待っとったんや。すごいすごい愉しみにしとったんや。サンタもお父んもお母んも信じとった。心ンなかにちゃあんと場所とって、お雛さんみたいにすわるとこ用意しとったのに、誰もおれのこと迎えに来イへんかった。そんとき、あきらめたんや。強なったんや。もう泣かんようになった。決めたんや、誰にも期待せんとこ、て。あんたらに、なんの期待もしとらんけど、おれ、行くとこないよって、意地でもここに居たるぞ。この、野島泉が居たる、ゆうとるんや。あんたら、ちったアうぬぼれてや」
みな。
誰もかれも。
発展途上のクロマニヨンだ。
モクは、足をとめ、うなだれた。
おれも泉もおやじもあの医者も爺さんらもハッカケのノブも、解きほぐされたいと願いながら、この世にとらわれ、現実の重みに背をかがめて生きている。こうじゃないこうじゃないとあがきながら、別の方向へ流れていってしまう。大切な思いを胸に埋めて。
しかし、いつか。目の前がパーッとひらけ、キンコンカンと鐘が鳴るのだ。人生が自分のツケ目になるのだ。
だから、壁のなか、ひっそりと眠る、アンモナイトにはなるまい。ずんべらぼうな心はもつまい。
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