OUTLINE&REVIEW 天秤木馬

天秤木馬 小説JUNE1989年8月号


 野枝と亮太は、子供のころにカメラマンの晋作に引き取られて以来三人で暮らしている。姉弟はそれまで灯台守の父といっしょに灯台に住んでいた。そして父親が野枝を強姦した次の日に、父親は「どこまで行けるか、行ってみる」といって海へ入っていった。

 亮太は子供のころから晋作のことが好きだった。が、野枝が晋作の子供を身ごもったというので晋作のことを諦めようとする。が、晋作にはその覚えがないという。野枝の精神は崩壊し、野枝は晋作を求めてさまようようになる。晋作の友人の淳之介は、亮太が本当は狂いたかったのではないかという。淳之介は亮太の晋作への思いに気づいていた。そして、そういう亮太を受け入れながら、淳之介は自分を好きになってほしいと亮太へ告げる。


 挿し絵は信田琴美さん。


 子どものころに父親に犯された野枝は妊娠(それがほんとうに妊娠かどうかもわからない)することによって精神が崩壊する。崩壊することで子どもの世界へかえり、純粋に晋作を求めるようになってゆく。大人になることへの拒絶が、ここにもひとつのテーマとして出てくる。野枝の狂いには、子どもがはじめて世界に触れたときの驚きや感動に満ちている(思えば森茉莉のエッセイもそんな感じだった。森茉莉が狂っているというわけではないが)。

 野枝が子どもに戻ってからの亮太の心情がすばらしい。亮太は野枝の狂いを容認している。世界から疎外された子どもだった亮太が、淳之介に愛されることによって周囲の人への愛に目覚める。自分の周囲の人を赦し、すべてを受け入れる。その多幸感は一種の超能力である。でもそれはあくまでも子どもの世界の論理で、社会の通念からは外れたものである。かろうじて社会の接点として、高校に行かなくなった亮太に高校へいくよう薦めたピカソ君というクラスメートがいるくらいである。

 灯台守の父親は、母親が死んだショックからか野枝を犯し、その贖罪として海へ入って死んでしまう。そんな父親を亮太は「波に足を浸した父さんが子供のようで無性に嬉しく、かっこいいと思った」と述べている。子どものように果敢に、絶望的な拒否をうけて父親は死ぬのだ。子どもじみた無垢さと残酷さが大人にたいして向けられている。が、ふたりをひきとった晋作のことは、姉弟ともに慕っている。晋作はふたりにとって「ドラキュラ」みたいな存在で、こちらがわの人間だと認識されている。が、じっさいの晋作はきちんとした大人に見える(だから淳之介よりもつまらない)。

 灯台守だったころのふたりの孤独さが、話の根っこになっている。ひたすら晋作の帰りをまつ子どもとしてのふたり。ひとりは心が壊れ、ひとりは淳之介という伴侶を得た。淳之介は子どもの心を持った大人だ。晋作のようにフフンと笑って亮太を置き去りにはしない。

 嶋田さんは子どもの感性の描き方が巧みだと私は思う。それは夏の思い出のようで、とおくはかないものだが以前は確実に手の内にあったものだ。だからそれがなつかしくいとおしいのだ。こういうふうに小説を書けるひとはなかなかいない。キラキラしたテレパシーのような伝播力をもつ小説を書けるひとは。


 以下は好きな文章のピックアップ。


人を楽しませるものの素顔はとても淋しい。


 たぶんそこは孤独の淵と瀬の、きわなのだと思う。まだ亮太の孤独のつまさきは、さらさらした流れのほうをむいている。暗くよどんだ淵に足をとられないよう、倒れるまで走り飯を食い、いいやつになろうと祈ってみたりする。そして心はいつでもひとつのところへ流れつく。どこへ行っても、どこに居ても。胸はおなじ言葉をくりかえしている。 

 ――晋作のそばがいい。どんな人も晋作の越えではなく、あの懐かしい、胸のつまる匂いもしない。どんな人も晋作ではない。


 きれいだ、と思った。神さまは手づくりで人をこしらえるのだろう。ひとりひとり時間をかけ、腕カバーして。やさしい人や無口な人。神さまは不器用だから同じ人はつくれない。泣いてばっかりの子供でもある日ふっと涙が止まる、そういうネジをちゃんとからだの奥に仕込んで、まちがいなく操作するか、どきどき息を詰め、見てるんだ。けっこう神さまも忙しいな――。


 ――自分のまわりにいる人の、泣き顔を見るのがこわかった。淋しかったから赦せる人になりたかった。灯台守の子だったこと、細長い搭で、忘れ去られたように育ったこと、父さんが野枝に触れたことも。なにも、まちがってなどいない。あの日々はあたたかかったとさえ思う。野枝も父さんも淋しかったのだと、今わかる。目の前で、大きな瞳をもっともっと丸くキラキラさせて飯を食っている野枝が、今こんなにも胸を打つ。

 今の野枝に、ほんとうの事うその事なんてない。澄んだ瞳でじっと世界を捜し、手に触れ、抱きしめるだけだ。野枝はぬいぐるみと人のこころも同じにたぐり寄せ、そして育む。何ひとつ古いものをたずさえず、ぴょんぴょん生きてる。

 どんなにいろんな事が彼女のなかで起こったろう。野枝は野枝の淋しさをかかえ、晋作と出会った。晋作が灯台を訪れた、あの日から少しずつ、野枝のこころの天秤はかしいでいったのだろう。晋作への思いを銀の錘にして。野枝はいちばん輝くものになりたかったのだ。くもりのない、キラキラした結晶に。

 これは芝居ではない。夢でもない。バカなふりもやさしいふりも持続しない。愛さなければみんなこわれてしまう、いなくなってしまう、あの緑の木馬のように――。

 野枝にやさしくしよう。ずっと側にいようと亮太は思った。誰のかわりでもなく、側にいよう、と。


 亮太は光を胸にかかえた。

 この光がいつか自分の胸から滲みだすように。光を生み、はるか遠くを、岸までも街までも照らしだせる力が、からだのまんなかに宿りますようにと、月の光に祈った。

 自分の流れからいつかみんな泳ぎ去ってしまうかもしれない。そのとき、野枝や淳之介や晋作が、沈まずに笑って渡ってゆけるように、岸にちゃんと足がのっかるまで、何度も何度もくりかえし照らしてあげられるように。

 そのことだけのために生きてる時間を使いきってしまってもかまわないと亮太は思った。

 自分のまわりにいる人が、どんなふうに笑い、なにを食べ、どんな歌が好きか。誰を愛しく思っているか。それらすべてを、空気に触れるように感じられるいまは、たとえようもなく幸せだ。自分には、ここしかないのだ。ここでよかった、淳之介のそばで。晋作のそばで。


 ――今日だけ生きのびればいいって、お守り抱いて進んでく、戦士みたいなのだ、いつも。さきに何が待ってるのかも知らないで、ひじを張って地面を突き進む。神様に忘れ去られた人間なのだ。

 考えても、運命は自分で決めるもんだって言われても、どうしようもない。

 だっておれはいつのまにか、むくわれないことが好きになってしまった。しあわせになりかけると何もかもだめになれと心の底で祈ってる。愛されずにいること、永久にひとりきりだと思うことが好きなのだ。自分は人混みの下の石ころだって感じることが嬉しいのだ。


(どんなにたくさんの“生まれて初めて”を晋作はくれたろう。それはひとつひとつ胸の奥深くに刻みこまれ、消え去ることがない。なんだって、どんなことも起こりうると、赦す力を生みだしてさえくれる。人が狂うこと、死ぬこと。野枝がひろって歩いたハンバーガー屋のスプーンや葉っぱ。みんな同じ重さだ。淋しさも、ひとりずつの分量でその人の胸にあるのだ。晋作のフフンの裏の淋しさを、いつかすくってやれる日がくる。晋作が幼い日自分にしてくれたように――)

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