第82話 愚かなる血の石を探せ!⑬


 一芳イーファンの執務室を辞して、気まぐれにビルの屋上に登った。


 古くていびつで小汚い。背の高いマンションと周りの高層ビルに囲まれて、まるでNASAに捕らえられた灰色の小型宇宙人のような佇まいである。だけどまあ、こんな物件でも買い取ったとなれば相当な金額にはなるだろう。


 誰が一番金を出したのか? 

 自分たちの計画が一つ間違えれば死に近づいているという緊張感の中で、それでも主導権を握ろうと蠢いている。建築基準法無視の増築やら看板やら後付けの室外機がごてごてと押し固められたこの塊は、アウトロー達の欲望の象徴のようにも思えた。



「ヒロユキ」ゴミ溜めみたいな屋上で、俺がラジオ体操する寸前に声が掛かる。



 ……そう言えば居たなぁ、こんなやつ。薄汚れた場末には似つかわしくない美しく輝くサファイアが如き蒼い目。金色がかった褐色の髪をビル風になびかせてスタイル抜群でスッと姿勢良く立っている。おまえは主人公かっ!!!



「頼む。蛇の目のボスを見つけてくれ」ひも野郎は真剣な顔だった。


 なるほど。末端の人間には今の危険な状況は知らされていないが、この男は一芳イーファンから特別にそこそこの話は聞かされているのだろう。


「見つけろって言われてもなぁ。俺みたいな一般人には無理だ。そもそも配下の誰も正体を知らないんだぜ。ま、お手上げだな」

 俺はラジオ体操で健康になるのをあきらめた。


「このままではビルにいる主要メンバーは蛇の目に皆殺しにされる。ボスを暗殺してロンジョイがボスになればすべてが変わる。すべてが変わるんだ……」


「ヤン・クイの姉さんも自由になれるってか? ふんっ! まあそりゃぁ、目出度めでたいがあんたのことは前から気に入らなかった。さんざん姉さんに食わして貰っておいて自分は働きもせずブラブラしやがって。それを今さら、人に頼って自由になるだ? そもそも中東だかヨーロッパだか、あんたみたいな人間がいったいどんな理由で日本のしかも中華街なんかに迷い込んだ?」 ―― 甘いんだよ ――


「………………ヒロユキには不思議な力があると聞いた」

 窟に居る中東系の人間にでも話を聞いたのか? ―― スイートなんだよ ――


「そんなアニメだか都市伝説かわからねぇような話を信じて馬鹿じゃね? まあ、一芳イーファンがその内、探し出すだろうよ。やつらも命がけだ。そうすりゃ姉さんも晴れて自由の身だ。おっ、そうだ。だったらその前に一晩くらい姉さんを買ってみようか。見てみろここに100万ある。いくら接待用の高級娼婦でもこれだけありゃぁ、一晩くらい自由にでき……」


 俺の顔面にむかい、ひも野郎の拳がゆっくりと近づいてくる。例えるならば、英国紳士が自慢の庭園で優雅にティータイムを嗜むほどの時間が流れた。



【蝶の目】あたっ!


【蝶の目】うゅっぅ グギッ!


【蝶の目】バキッ! 痛っ! ごぉふっ!


【蝶の目】あがぁぁ! げっほっ! お、ツツッッッう!!



 ガクッ ズウゥーン。


 ・

 ・

 ・

 ・

 ・






「イツツツツ! ふぅ~~~~~~~~」


 ひも野郎が立ち去った後、俺はごろんと仰向けに大の字となって狭い空を眺めた。

 心ない言葉は男の琴線にふれた。それはまあ当然なのだけれど、これで安心した。

 欠損するわけにいかない。人は大切な怒りの感情を失っちゃいけない。安堵した。


 こちらも命がけだ。ひも野郎の気持ちが確かじゃなきゃその甲斐がない。




――――――――――――――――――――――――――――――


キュルキュルキュルだからこそ失敗は許されない。この希有なバランスを崩さず問題を解決するにはどうすればいい? どうだろう、根っこを取り除けば良いのではないだろうか。実は……、私は彼女の父親の信奉者でもあるので心苦しくはあるのだが、居なくなればそもそもの火種は消える。と言うより、抗争が終結しても誰も不思議には思わない。実際は呂雉リョチはもう我々の身内。【かごの鳥】が壊れれば、蛇の目の面目は丸つぶれ、彼女の行く末は長崎、神戸はもとより全国の華僑……台湾、香港などの海外からも注視されている。なので同じ死ぬにしても疑いようのない事故、もしくは陰謀と勘ぐられない人物による犯行であることが望ましい。それがまったく関わりのない無関係な生粋の日本人ならどうだろう? それならば、組織がじっくり育つまで時間稼ぎが出来る。時間さえあれば、ロンジョイは一人だ。やがて自然な形でボスの継承が行われる。そうすれば権力とのパイプを失うこともない。なぁに、責任は専属のボディーガード一人と役にたたない赤怒羅魂レッドドラゴンの跳ねっ返りが二・三人、汚い河口に浮かべばいい。実行犯は逃げおおせ、大金を手に入れる……


――――――――――――――――――――――――――――――




 甘いんだよ、ひも野郎っ! マフィアなんて所詮、マフィアでしかない。

 

 天からの恵みの雨を期待してるなら愛しの彼女は守れない。


 俺には、一芳イーファンから5千万円が提示されている。


 

 支払う気はないだろうけど(笑) そんなの信じるほど、俺はスイートじゃない。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る