第76話 愚かなる血の石を探せ!⑦


 ほおをつたう涙のように、ワインクーラーの赤に水滴が滑ってゆく。

 手前ばかり見ていた俺は窓から外を眺めた。そこに誰も居なかった。



(華僑の分断)→→(気の弱いピアノの調律師に【蛇の目】が具現化)→→(殺戮)


(窟の誕生【みなしご達】)→→(核・抑止力みたいな平穏)→→(蛇の目の拡大)


(【蛇の目】から【血の石】権力継承)→→(拡大・拡大・拡大)→→(窟の独立)


(蛇の目の専守防衛。権力とのパイプ拡大)→→(窟の【血の石】捜索開始・失敗)


(新華僑台頭)→→(蛇の目の交渉拒否)→→(新・新華僑増加)→→(交渉拒否)


呂雉リョチ=ロリおばさん発狂【かごの鳥】のイデオロギー抗戦)→→(専守防衛発動)


(超イケメン救世主【血の石】捜索開始。手がかりなし。ヒントなし。将来性なし。




 真っ白なノートを汚すような内容、だけどまあ、美紫メイズからの聞き取りを整理すればこんな感じでまちがいはなく、俺は再び救いを求め、手元の紙上しじょうから視線をあげ、窓の外に向けた。やはり空き地には人っ子ひとりいなかった。



 古株の商店主たちにはデイビス経由で話を聞いた。地元出版社の大容量アーカイブにアクセスし、マリアにも詳しく調べて貰った。だけどなにもわかるはずがない。

 そもそも普通に生活をしていれば、知る由もない事柄だ。マフィアの存在は識っていてもそれは風俗だとか労働者の斡旋だとか、社会の経済活動のほんのわずかな点のぽつぽつとした手触りに過ぎない。実際の新聞紙面を賑わすことも皆無に等しい。


 それにあまり深入りするのは禁物だ。

 なにか探せばその波は相手に伝わる。

 殺すとは殺される可能性の中にある。



 氷で薄まったワインクーラーに嫌気が差して、雪香シュエシャンにおわかりを頼もうとしたが、衝立ついたての影に隠れてしまった。あれれ?


「広東料理の店なのに、上海料理も北京料理も四川料理もおまけにイタリア菓子まで置いてある。さほど上等な店とは思えんな」なるほど……羅森ラシンが入ってきたからか。


 どすんっ。と音を立ててニヤニヤしているジャンさんの隣に羅森ラシンが座った。


「来て早々、人のなじみの店を貶すなよ。日本のインド料理店なんかネパール人ばっかじゃねえか。それぞれ事情ってもんがある。余程の高級店にでも通ってんのか?」


「中華街は自称ナンバーワンが多すぎるから好まない。私は一人で飲むときは野毛の飲み屋街にしか行かない。刺身が安くて旨いうえに、謙虚な小料理屋だ」


「野毛町の小料理屋? 横浜で一番ディープじゃねぇか……」


「少なくともこの店よりは差別主義者が少ない」

 羅森ラシンは隠れている雪香シュエシャンのことをチラリと見てそう言った。身振りと手振りで俺と同じものを注文している。日本語通じますけど……それと点心とチマキと大盛り野菜サラダがセットで出てきますけど……いいかほっとこう。





「ヒロユキ。おまえの予想は当たっていた。窟だけじゃない。30年の間には様々な組織がブラッド・ストーンを探った。なのに誰も見つけることができなかった理由がようやくわかった」

 ワインクーラーにストローを突っ込んで、羅森ラシンが本題を切り出した。


「つまり?」


「例の寄付をしていた風俗のチェーン店から本牧の会社に資金が流れているのは確認した……が、その金はそっくりそのままある政治団体へと流れている」


「つまり?」


「健全に経営し税金を納めた上で、利潤は寄付と献金に消えている。身の危険があるから全部を洗い出すことは不可能ではあるが、蛇の目のシノギがすべてこの状態だとすれば、金の出口はひとつもない」


「つまり?」


「ヤクザにおける上納金のようなものが存在しない。蛇の目の組織維持とメンバーの報酬の他は寄付と献金に消えるシステム……つまり、ブラッド・ストーンは無給だ」



「やっぱそっか~」俺は天を仰いだ。



 無給。我欲がない。凡人……恐ろしいまでのお人好し。


 つまり、美紫メイズの想定が半分、正しいことが証明された。



「スネークアイのどこからでも、ブラッドストーンへの金の流れが有りさえすれば、そこをたどれば正体を突き止めることは可能だ。銀行送金だろうが、幽霊会社を経由しようが、海外に飛ばそうが、クレジットを利用してもそれは同じ。かりにカバンに現金を詰め込んで運んでいるならそっちのほうが見つけやすい。そもそもの金の移動がない。つまり中央とのパイプとは賄賂だ。命令も賄賂も一方通行……」


 だが羅森ラシンの言葉はあとから出てきた点心各種とチマキと大盛り野菜サラダによって中断された。


「なんだこれは……」















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