INTERPLAY TEXT (1999-2024)
千住白
1999.08 TEXT 『嫌な奴』について
■1999.08 『嫌な奴』について
木原音瀬先生の『嫌な奴』に関する雑文です。現在は講談社文庫で読めますが、この雑文はビーボーイノベルズ版を参照しています。
ネタバレありなのでご注意ください。
□OUTLINE
主人公の子供時代から青年時代をめぐるクロニクル的な話。
杉本和也は子供のころに見捨てた友人、三浦恵一を見舞うため十二年ぶりに故郷を訪れる。和也は子供のときから乱暴な三浦を毛嫌いしていたが、三浦を恐れてずっと親友を演じつづけていた。
退院した三浦はのちに杉本のアパートを訪れ、一時的に同居するようになる。が、三浦は自分のネフローゼという慢性疾患を楯に、杉本のもとへ居座ろうとする。和也は三浦を拒絶するが、三浦は和也のもとを離れようとしない。関係は悪化し、二人は互いを精神的に追いつめていく。
□REVIEW
杉本の一人称で書かれています。人物にモデルがあり、書いている場所も実在するそうで、風景の描写の比重が高いです。
三浦を嫌っているのに親友を演じてきた杉本と、それを知りながら杉本に執着する三浦の心の変化が見所です。
三浦は共依存の人間だと思います。杉本の内面をほんとうに好きなわけではなく、杉本を優しくしてくれる対象として見ているのではないでしょうか。杉本も三浦の共依存的なところに気づいていて、それが三浦を正当な友人として見られない理由のひとつになっています。
三浦は本質的にストレートな人間で、だから悪いことも平然と行う部分があります。杉本は善くも悪くも社会的な人間で、その性格が悪い方向に出れば偽善となります。杉本こそが嫌な奴だという意見も散見しますが、三浦のようにストレートな人間と付き合うには、杉本の性格ではこうするほかなかったのではと同情したくなるような部分もあります。
ふたりの関係はひたすらマイナスの方向へ転がりつづけ、三浦の強姦というかたちで関係が結実します。BLのテンプレの真逆の方向に行っているお話です。BLの極北のお話という感じがします。
『四万十川』の最後、「お前はひどいな」と三浦が呟いて車窓に泣いているシーンが映るところで、はじめて三浦に感情移入した人も多いのではないでしょうか。あれは木原作品の名シーンのひとつだと思います。
□和也について
和也は生理的に三浦を嫌いながらも最終的には三浦と離れようとしません。
本当に嫌いな人間ならば、どんな地の果てに行こうとその人間から離れると思います。
和也がこれだけ三浦を嫌うのは、他人にはない特別な理由があるということでしょう。それはなにか。
抗原抗体反応という言葉があります。一度ハチに刺された人間が、もう一度同じハチに刺されたらショック死した、という現象がそうです。抗体とは人の身体が抗原の侵入に対抗して体内につくる物質のことで、抗原の毒素を中和したり、ときには過剰反応を起こしたりします。ハチに刺されて死んだ人は過剰反応を起こしたわけです。
で、和也が起こしたのもその過剰反応ではないでしょうか。
和也は社会の規約のなかにいたい人間、三浦は人間の本質に忠実な人間だと思います。だから三浦は残酷で容赦がないです。和也は自分のなかに三浦と同じ部分を持っていますが、それが社会的には悪であることもわかっています。だから過敏に三浦に反応して、嫌う。しかし三浦を軽蔑しながらどこかで羨んでいる部分があるのかもしれません。
和也が三浦を受け入れられないのは、自分の一番低い階層に三浦と同じ残酷さがあり、自分でそれを否定したいからではないでしょうか。自分の一番嫌な部分を三浦に転移して嫌っている。
そして和也は自分がまとう社会性を自分が嫌っていることも知っている。
社会性は人間が生きていくうえで必要であり、同時にひどくうとましいものでもある。それを持たずに生きている三浦のような人間は、和也にとってはひどく危険で、魅力的な人間でもある。だから和也は三浦を否定する。あるいは三浦を否定することで、自分を肯定させたがっているのではないでしょうか。
□三浦について
三浦は最初に会ったときに優しくしてくれた和也になついて、和也を支配しようとします。
最初に三浦が和也を苛めたのは、自分が和也を否定しても自分を肯定してほしかったからでしょう。幼い子供が母親を試すように。
が、大人になった三浦は和也がずっと自分を嫌っていたことに気づき、それでも側にいるようになります。自分が近づけば近づくほど、相手は三浦を拒否する。
それがわかっていて和也のそばにいるのは、
強烈なマイナスを上回るプラス(奇跡ともいう)を求めている。
強烈な拒絶を求めている。
のどちらかである。ここでは後者を説明します。
その理由として、
相手の憎悪によって相手を支配できるから。
永遠に叶わない思いを求めているから。
が挙げられます。ここでも後者を説明します。
相手とひとつになりたい、というのは必ず叶わない願いです。だから叶わない願いを求めるのは単なるわがままにすぎません。人はそれをセックスや空想やさまざまな快楽で擬似的に埋めています。
しかし、たまに擬似的な快楽では納得しない人種も出てきます。三浦は本質的であるがゆえにそういう人種なのでしょう。妥協しない人間。しかし無意識では、和也とひとつになりたいという自分の願いが叶わぬ願いであることを知っています。
絶対に叶わない願いごとをしている人間が、それでもその願いを望む場合、
叶わない願いごとをしているから悪い、のではなく、
叶う願いを相手が叶えてくれないのだ
というような論理のすり替えを起こし、絶対に叶わない、という事実を無意識に抑圧します。
三浦は無意識に自分で願いの叶わない状態を作り出し、「いつかそれが叶うかもしれない」という希望を持ち続けています。三浦が和也を好きでいるためには、和也は三浦を拒絶しつづけなければならないのです。和也が三浦を拒絶するから、三浦は和也をずっと好きでいられるわけです。そして、三浦と和也が近づいても、三浦の願いは本当に叶うわけではなく、それは変質して何らかの『社会的』な様相を呈しています。どこかで妥協して、和也の方向へ近づいていくのではないでしょうか。
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