十五

「報酬の話、忘れてないよね。二千万。もし踏み倒したら、あんただけじゃなくて周りのお友達まで死ぬことになるから。地の果てまで追いかけてやるわ」

 満身創痍で帝に辛勝したぼくに容赦なく、霧崎はそう言い放った。

「ああ、うん」

 皮肉のひとつでも言ってやりたかったがそんな気力もなく、ぼくはただ生ける屍のように首を縦に振るのみだった。

 腹から血を流しすぎたせいか、事切れた帝とともにみっともなく地べたに這いつくばったぼくの意識は、もはやブラックアウト寸前だった。

「おい。死ぬな」

 ぱちん、と、霧崎の手がぼくの頬をたたいたが、ぼくの意識が覚醒する気配はなかった。

 霧崎は舌打ちして「くそ」と呟くと、帝の死体からサーベルをもぎ取り、ぼくの腹に埋没した彼の腕をばっさりと切断した。

「何を」

「今この腕を引き抜いたらあんた絶対失血死するでしょ。こいつの腕ごと病院まで持っていくから。言っとくけど、別にあんたのためじゃないんだからね。あんたが死んだら報酬を払う人間がいなくなる。今までの苦労が全部パーになるのが嫌なだけだから」

 弁解じみたことを言って、霧崎はぼくを帝の死体から引き剥がした。

 ぼくの腹から、帝の腕が生えている。まるで薄気味悪いB級ホラー映画だ。

「くそ。何で私がこんな、介護職員みたいなことを」

 霧崎はそのままぼくを引きずり、ひとまず雨を凌ぐべく屋内へ避難した。

「じきに青龍学院の応援が来る。あのオジョーも来る。それまで何とか持ちこたえろ。死んだら踏み倒しと見做みなしてあんたの友達殺すから」

 死にかけの人間に対して、無慈悲にも程がある。


「あら、縁人くん」


 唐突にぼくの意識に割りこんできた、麗那先輩の声。

 そう、いつの間にかぼくたちの眼前に、血まみれの大薙刀を持った、麗那先輩の姿が、あった。

 否。大薙刀だけではなく、彼女の全身が血にまみれていた。

「ちょっと。何」

 霧崎の表情が険しくなった。

 しかし麗那先輩は霧崎のことは眼中にないのか、彼女らしくもない覇気の抜けたような顔でぼんやりと、ヘリポートの中央に横たわった帝の死体を、眺めていた。

「帝くん、死んじゃったの」

「見てわかんないの。頸動脈ぶち切れてるでしょ」

 死にかけの金魚のように口をぱくぱく動かしていたぼくに代わって、霧崎が代弁してくれた。

「はー。これで戦も終わりかあ。残念」

 心底がっかりしたという様子で、麗那先輩は大きなため息をついた。

 そして彼女はぼくに手を伸ばし、お姫さまだっこの要領で、抱えあげた。軽々と。

「どうするつもり」

 霧崎が訊くと、麗那先輩は無表情のままこう返答した。

「どうするって、縁人くんを助けなきゃ。下にいるお嬢様に手当してもらおうよ」

 そのまま麗那先輩に抱えられ、ぼくたちは階下の玉座の間へと降りていった。


 機関銃で蜂の巣にされた学園長室、その中央の赤い絨毯じゅうたんの上で、大和は血の海に沈んでいた。

 彼の、その大きな体躯の中心に、ナパーム弾でも撃ちこまれたかのような大穴が、ぽっかりと開いていた。

 要するに、彼は死んでしまったのだ。

 その後ろにいる〈彼女たち〉を、守って。

 赤月を抱きしめた夢葉が、泣きべそをかいてがたがたと震えながら、麗那先輩をにらみつけていた。

「そんなに睨まないでよ。ほら。縁人くん死んじゃうよ」

 麗那先輩はぼくを夢葉の前に降ろすと、大きく伸びをした。

「何か今日はもう疲れちゃったな。帰ってお風呂入って寝よっと」

 彼女はそのまま見向きもせず、フロアから立ち去っていった。

 夢葉は霧崎から借りたナイフで自らの制服のスカートをびりびりと破き、ぼくの胴体に巻きつけながら、「赤い悪魔、赤い悪魔」と、ぶつぶつ呟き続けていた。破れたスカートから覗くももがちょっとセクシーだった。

 それから十分ほどすると、霧崎の予告通り青龍学院の増援部隊が到着した。

「まさか、てめえらを助けるはめになるとはな」

 返り血をあびて半分赤く染まった色素のうすいおかっぱ頭の男、〈人割り〉こと終零路は、満身創痍のぼくと赤月を指差してけたけたと下品なわらい声を上げていた。

「まあいい。任務は任務だ。さっさと歩け。死にぞこないども」

 終零路は部下とおぼしき男たちにあごで指示を出すと、さっさと階下へと降りていってしまった。

 ぼくも名も知らぬ青龍学院の男子生徒に抱えられ、歩きだす。

 そして、地面に大の字に倒れた大和の亡骸に、そっと、敬礼した。


 その後、指揮系統を失った白虎学園軍は徐々に後退をはじめ、青龍学院軍が学園内部へ侵攻し、帝ビルの前まで到達した時点で、一斉に降伏していった。現学園長である帝陽輝が死に、とりあえず臨時の学園長として返り咲いた前学園長の片田かただは帝グループの傀儡かいらいであったが、大部分の兵力を失い、白虎学園全土を制圧された今、半強制的に停戦協定に署名させられることとなった。これで正式に、停戦が成立した。

 ようやく、長く続いたこの地獄の戦に、終止符が打たれたのだ。

 見ててくれましたか。乾さん。

 ぼくたちは、勝ったんですよ。

 あの後ぼくは、青龍学院の軍病院で黒川先生に手当を受けた。帝に内臓の大半をつぶされてしまったらしいが、黒川先生の神業によって切除、および接合された。人間の体というものはすごいもので、切除してしまった内臓も年月とともに再生し、元の形を取り戻すらしい。しかし当分の間まともに飯が食えず、点滴での生活を余儀なくされた。そして数カ月後に退院し、青龍学院校長・和泉の計らいで白虎学園に編入することになった。赤鳳隊に入ってから一年以上経過していたため、一年留年してしまった形での入学になるが、それはまあ仕方がない。霧崎から(なかば強引に)背負わされた借金は、夢葉がぜんぶ払ってくれた。「私は最後まで皆さんの足を引っ張ってしまいました。だからこんな時くらい、お役に立たせてくださいませ」と、律儀に深々と土下座までして、すでに霧崎の口座に金を振り込んでいた。まあ幾ばくかは宛にしていたところがあったし、一生かけて返せるかどうかもわからない金額だったので、素直にお礼を言っておくことにしたのだけれど。夢葉とは、今も良き友達、文学仲間として交流が続いている。彼女もぼくと同じく、白虎学園に戻った。最近彼氏ができたらしい。

 白虎学園と青龍学院は停戦状態が続き、臨時の校長であった片田は更迭こうてつされ、かねてから停戦を訴えていた元三学年主任にして酉野先生の上司だったごうという男が就任した。彼が学園長の座にいる限り、この町は平和だろう。

 麗那先輩とは、あれから一度も連絡を交わしていなかった。彼女はすでに学園を卒業してしまったし、ぼくは彼女の連絡先を知らなかった。骨の髄まで自己中心的な彼女は友達付きあいをまったくと言っていいほどしていなかったので、誰も彼女の連絡先を知らなかった。山の中で動物を狩って暮らしているとか、地獄の釜の底にいるとか、返ってきたのはそんな頓珍漢とんちんかんな答えだけ。ぼくの方からも彼女に告白こそしたが、連絡先を渡したこともなかった。渡したところで彼女の方からぼくに連絡してくるとも思えなかったので。

 麗那先輩、今いったいどうしてるんだろう。どこかの戦場で、傭兵でもやってるのかな。

 

 そして一年と数ヶ月後。

 うららかな春の陽射しと、満開の桜に出迎えられ、ぼくと夢葉は無事、白虎学園の卒業証書を受けとった。

 軍事教練や演習は相変わらずきつかったが、あれから一度も実戦に投入されたことはなかった。少しずつではあるが、日本全体で内戦自体が鎮火しつつある。日本が、かつて平和ボケとまで言われたほどの天下泰平の世を実現する日も、そう遠くはない。

 夢にまでみた平和が、戦のない楽園が、現実になりつつあるのだ。

 しかし、代償は大きかった。

 父さん。母さん。乾さん。寿。鈴子。忍ちゃん。月野。大和。酉野先生。江口先生。そして任務で苦楽を共にし、犠牲となった多くの戦友たち。

 あなたたちと一緒に、今日という日を迎えられなかったことが、残念でならない。

 彼らの顔が脳裏をよぎり、ぼくの視界がぐにゃりとぼやけた。

 眼の奥が熱い。

 心の雨が、頬を濡らしていく。

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