火事場の馬鹿力、というやつなのだろうか。

 皆川に背中を撃たれてもなお、ぼくはもはや根性でその激痛に耐え、ほとんど失われかけた全身の力をなかば前借りするようにふりしぼり、間一髪で火馬の突きを避ける、とまではいかなかったが、胸元に浅い傷を負う程度で済んでいた。

「往生際の悪い」

 火馬が不快そうに顔を歪めた。

「あきらめの悪さには自信があってね」

 ぼくはしたり顔でそう言い、火馬の大剣を両腕ではさみこみ、彼の鳩尾みぞおちに向けて思いきり軍用ブーツでの前蹴りをたたきこんだ。

 ぼすん、と、豪快な音が響きわたったものの、巨大なトラックだかクレーン車だかのタイヤを蹴ったような手応えで火馬はびくともせず、反動でこちらがふっとばされてしまいそうになった。

「何かしたか」

 まったく表情を変えずにそう返し、また彼の腕の筋肉がぼこんとふくれあがったので、ぼくは急いで飛びのいた。たぶん剣をかかえたぼくごとそのまま持ちあげて、地面にたたきつけるつもりだったのだろう。このゴリラは。

 そして同じてつを踏むまいと皆川に意識を向けたとき、ぼくはある異変に気づいた。

 先ほどぼくを撃った彼女は、なぜか自分の首を締めるように、掴んでいた。

 ご自慢の二挺拳銃(おそらくベレッタM84)の片方を地面に落とし、全身をふるわせながら、何もせずにその場で佇立ちょりつしていた。

 彼女の喉元に、銀色の棒が、突き刺さっていた。

 投擲とうてき用のナイフだった。

 おそらく皆川がぼくに意識を向けた隙に、赤月が投げたのだろう。

 咳きこむごとにグロテスクな赤い液体が、スプリンクラーのごとく口から射出された。気道をふさがれてしまってうまく息ができないのか、彼女は胸や肩を大きく上下させ、鮮血で染めあげられたまっ赤なその口で苦しそうに呻きながら、左手に残った拳銃を赤月に向けた。

 しかし狙いが定まらないのか、阿佐ヶ谷に当たってしまうことを恐れてか、引き金を引けずにいた。

 皆川という障害から解放された赤月は、眼の前の阿佐ヶ谷をたおすことに全神経を集中させた。

 一対一での戦闘なら、阿佐ヶ谷に遅れをとる彼女ではない。

 阿佐ヶ谷の三節棍の軌道を読み、かわし、彼女は初めて攻撃へと転じた。

 赤月の両切刀による嵐のような斬撃が、阿佐ヶ谷に襲いかかる。

 サンドバッグ同様に赤月をただ一方的に攻め立てていた阿佐ヶ谷は、眼の前に突然現れた白刃の嵐に防戦を強いられることになった

 否。防戦すら、ままならなかった。

 ごとり。

 阿佐ヶ谷の三節棍は、彼の右腕ごと、地面に落下した。

「げっ」彼の眼が、大きく見開かれた。

 ぱあん。

 阿佐ヶ谷を助けるために皆川が発砲したが、弾丸は赤月に命中することはなく、白壁に吸いこまれていった。

 そして……

 次の瞬間、阿佐ヶ谷の背中から、紅い網をまとった銀色の物体が、突き出ていた。

「く。そ」

 阿佐ヶ谷の全身から力が抜け、握り拳の作られていたその左腕も、だらりと下を向いた。

 赤月が串刺しになった阿佐ヶ谷の体を足蹴にして強引に両切刀を引き抜くと、彼の腹と背からスプリンクラーのように勢いよくあかい水が、噴射された。

 自ら作った赤い海の中へ倒れた阿佐ヶ谷は、びくびくと全身を痙攣けいれんさせ、やがて動かなくなった。

「――」

 口の端から同じ色の水をこぼしながら、皆川が何かを必死に何かを叫ぼうと、口を動かしていた。冷淡だった仏頂面は、今や苦悶に歪んでいた。

「介錯します」

 赤月は両切刀についた血を振り払い、ゆっくりと皆川に歩み寄った。


 がし。


 赤月の足を、つかむ手があった。

 阿佐ヶ谷の手だった。


「や。やめ」

 すっかりか細くなったその声で阿佐ヶ谷がささやくと同時に、赤月の両切刀が手もとをひとぎ。彼女をつなぎとめていた彼の手が、〈外れ〉た。

「介錯します」

 ひゅんひゅんと両切刀を回転させて血を振りはらい、赤月はいつものように、冷たく皆川にそう告げた。

 絶望。

 ……そう呼ぶには似つかわしくない、毅然とした眼差しを向けて、皆川は赤月をにらみつけていた。

 直後、皆川の頭部は、ごとり、と、地面に落ちた。

 表情ひとつ変えずに皆川の首を落とした赤月は、すぐさま阿佐ヶ谷の方を振り向き、やはりその首に向けて両切刀を一閃、切断した。すでに彼がぴくりとも動かず、事切れていたにもかかわらず。

「さて」

 ふたりをたおした赤月は、まっさきに火馬へと襲いかかった。

 形勢逆転だ。

 ぼくは赤月から手ほどきを受けているうちに、彼女の戦い方における動き、癖のようなものを感覚で理解していた。

 防戦一方だったぼくは、赤月と驚くほど息のあった連携攻撃で、次第に火馬を追いつめていった。

はえどもが」

 捨て台詞も虚しく、ぼくの小太刀が火馬の腹を切り裂いた。

 火馬は一瞬びくりと硬直した。

 その大きな裂け目からは桃色の臓物が顔を出し、おびただしい鮮血の滝が勢いよく流れ出していた。

 ……が、すぐ何ごともなかったかのように、彼はその大きな剣を振りまわし続けた。

 世界最強の米軍により徹底的に殺人マシーンとして鍛えあげられたその肉体と精神力は、切り裂かれた腹から腸がはみ出してもなお、ぼくたちを殺すべく刃を振るい続けることすら可能にしていた。

 だが、それも長くは続かなかった。

 首から上を失った体で動き続けられる人間は、この世に存在しないのだから。

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