ひどかった。

 四肢を失い、全員が血にまみれた達磨だるまのような状態で、〈彼女〉は固い金属製のベッドの上で拘束されていた。

 赤月はへなへなと床に座りこんだ。眼の前で無惨に〈解体〉された友人の姿を見れば、誰だってそうなるだろう。

「彼女は夢葉じゃない」

 ぼくは赤月に言った。

 髪型や顔の造形は似てなくもなかったが、別人だった。白虎学園の制服を来ていたのでスパイ容疑か、あるいは何らかの軍規に背いて処刑された白虎学園の生徒か。

 ごとり。

 彼女の五体の最後のひとつが胴体から離れ、地に落ちた。

「介錯、しました」

 赤月が彼女の首を切り落としたのだ。もはや致命的な傷と出血量で、助かる見こみはないと判断したのだろう。

 武士の情け。以前赤月は敵の首を切り落とすという自らの奇行を、たしかにそう呼んだ。昔は切腹してのたうち回る武士の首をひと思いに切り落として地獄の苦痛から解放していたらしいが、その真似事ということだろうか。ぼくも回復不能の重傷を負ったら、ひと思いに首を切り落として〈介錯〉してほしいと思うのだろうか。少なくとも今までの戦いでそう思ったことはない。たぶん。

 ただ「生きたい」と、必死に願い続けてきた。腹を切られても、四肢を失っても、死にたくない、生きたいという人間もいるのではないか。そうだとしたら、赤月の〈介錯〉は、ただの価値観の一方的な押しつけによる虐殺でしかない。もっとも戦場で敵にとどめを刺すというのは、兵士としてはごく当たり前のことで、五体すべてを失った名称不詳のこの少女も白虎学園の生徒、つまりぼくらの敵で、下でき殺してきた彼らと何ら変わりはないのだけれど。

 くだらない。偽善だ。

 ぼくは頭の中に浮かんだ迷いを消し去り、すでに上の階へと向かった三人に追いつくべく、走りだした。

 道中でひときわ大きな爆発音がとどろき、ぼくのすぐ後ろの天井が崩落した。あと少し遅れていたらそのまま生き埋めになっていただろう。

 ここは戦場。死がすぐそばにある場所。

 足元に転がる死体の数々。いつ彼らの仲間入りをしてもおかしくはない。

 階段を駆けあがり四十三階にたどり着くと、そこは階下したと同様、いやそれ以上の惨状さんじょうであった。階の壁のあちこちが黒く焼け焦げ、ところどころ燃え盛っている。スプリンクラーが作動していたが爆発の影響でところどころ壊れており、焼け石に水状態だった。

「ん」

 しばらく歩を進めたところで、ぼくの見慣れた横顔が眼に入ってきた。

「乾さん」

 壊れかけた壁によりかかっていた乾さんは、ぼくの声に気づいたのか、ゆっくりとこちらを向いた。

「あっ」

 ぼくは思わず呻いた。


 乾さんには、下半身がなかった。


「けけ、乾さ」

 乾さんの名前を呼び終える前にぼくの側頭部にごつんと鈍器で殴られたような衝撃が襲いかかり、ぼくはそのまま地面に昏倒した。

 ぴいー。

 そんな高周波の音とともに正面から発せられた一条のまばゆい光が、ぼくたちの真上をなぎ払った。

 そして……

 ずるずる、と、ぼくたちの後ろにあった直径二メートルほどもあるコンクリートの柱が斜めにずれ、倒壊した。柱の上にあった天井もろともはがれ落ち、鉄骨が露わになった。

「SFかよ」と、ぼくは呟くと、「SFだね」と、ぼくの頭を足蹴にしていた麗那先輩が笑いながら復唱した。彼女がぼくの頭を蹴飛ばして救ってくれなかったら、ぼくは今ごろ乾さんのようにまっぷたつにされて絶命していたに違いなかった。

 レーザー兵器。軍事力で世界の最先端をいくアメリカ軍がつい最近開発に成功したと噂には聞いていたが、それがこんなところでご登場とは驚きだ。一体いくらで買ったのだろうかと存外ぼくは冷静にそんなことを考えていた。

 寿、鈴子、忍ちゃん、月野、酉野先生や江口先生、そして母さん。大事な家族や友人、恩師を立て続けに失ってきたショックのあまり不感症になってしまったのか、それとも〈連中〉を倒すまでは感傷にひたっている暇はないという割り切りなのか、兄同然に慕っていた乾さんが凄惨な殺され方をしてもぼくは冷静さを損なわずに済んでいた。生き残りをかけた戦場においてもちろんそれはメリットだが、人として大事な何かを失ってしまったような気がする。地獄の連続でぼくもとうとう頭がおかしくなってしまったのか。あるいは眼の前の現実離れした光景に頭がついていってないのか。

「ちっ。外したか」

 ぼくたちの正面にいた黒く大きな影が言った。

「出たね」

 麗那先輩が嬉しそうに〈例の笑み〉を浮かべた。

 およそ二・五メートルの巨大な戦闘用パワードスーツに身を包んだ男、三星。鈴子を利用してぼくに差し向けた、殺害リスト第三号の男(ちなみに一号は谷垣、二号は八坂である)の、ぼくたちに向けて伸びた右腕に大きな望遠鏡のような筒状の物体が付属していた。おそらくあれがレーザー兵器だろう。

 ぼくは乾さんにふたたび眼をやった。意識が途切れてしまったのか、うつむいたままぴくりとも動かなかった。もうどう見ても助からないというか、すでに事切れているようだった。下半身どころか内臓も多くを失ってしまっている。あれで生きている方がおかしい。

 大和と秋月の死体は見当たらなかった。彼らも殺されてしまったのだろうか。

「ねえ。ここは私に任せて。先に行ってよ」

 麗那先輩が唐突に死亡フラグを立てた。いや、まさか麗那先輩に限ってあんな連中に遅れをとることはないとは思うが。

「却下します。戦力の分散は不合理です」と、赤月が一蹴した。一応今回の作戦においてぼくらの班を仕切るのは、隊長に任命された赤月である。まあ麗那先輩にそんな上下関係は通じないのだけれど。

「なんでよ」

 麗那先輩の顔から笑みが消え、抗議するように口を尖らせた。

 始まった、いつもの麗那先輩の我儘わがままが。

 あれだけ多くの武勲ぶくんをあげながら彼女がいまだに部隊長にすら昇格できていないのは、この自由奔放ゆえだろう。もっともそれが麗那先輩の魅力でもある。

「いいでしょ。縁人くん。ねえ。私を信頼してよ」

「う」

 ぼくは言葉に詰まり、つい年長者(たぶん)である霧崎の方を見たが、彼女は心底どうでもよさそうに「勝手にすれば」と一蹴した。

 そのままぼくが無言でいると麗那先輩はそれを賛同ととったのか、赤月に勝ち誇ったような顔で言った。

「多数決う。三対一。いいからここはおねーさんに任せて、さっさと帝のお坊ちゃんを倒しといで。ほら。行った行った」

「行かせはしませんよ。帝くんに仇なす者には死あるのみ」

 あのレーザー兵器は銃弾の〈点〉での攻撃とは異なり、〈線〉の攻撃である。触れれば乾さんのように見るも無惨な姿となるのは必至。恐ろしく攻撃範囲の広い〈人割り〉の斬撃、といったところか。おまけに多少の遮蔽物はまるごと切断されてしまう。非常に厄介だ。

「避け」

 赤月が叫ぶ前に、ぼくと麗那先輩と霧崎はもう動いていた。

 ぼくの眼の前をふたたび横切る一筋の光が、赤月の胴体を横切った。

「赤月」

 ぼくは思わず叫んだ。

「大丈夫です」

 赤月は右の脇腹を押さえ、顔を歪めた。彼女の制服の裾が少し焦げてそこから煙がわずかに上がっていた。

 ぼくらは三星から距離を保ちながらフロアの奥にある階段を目指したが、今度はまた別方向からレーザーが眼の前を一閃、ぼくの眼の前の床を切り裂いた。床のタイルがレーザーで溶かされ、高熱になってだいだい色に輝きながら灰色の煙を立てているのを見て、ぼくは戦慄する。

「えーんどーうえーんどおー。会いたかったぞおー」

 ぼくの全神経を逆撫でする声がした。ぼくの復讐リスト第一号の男・谷垣。と、ついでにいつも金魚の糞のようにくっついてる根津。こんな戦の真っただ中で司令部であるはずの彼らがなぜ学舎の司令室ではなくこんなところにいるのか。大方現場の指揮官に全部丸投げして自分たちはパーティでも楽しんでいた、というところだろう。

 自分の口元が知らないうちに笑みを浮かべていた。ぼくはもう白虎学園の人間ではないのだ。ましてやここは戦場。合法的に復讐するチャンスではないか。うけけけ。

 だがそう簡単に復讐を完遂させてくれるほど戦場は甘くはない。

 谷垣の前には三星の腕に装着されたものと同じ、乾さんを引き裂いたあの悪魔の光学兵器があった。まだ人力で取り回しできるほど小型軽量化されていないのか、こちらは銃の台座に固定されているのが救いと言えば救いである。つまりあのレーザー兵器を扱う以上、谷垣はあそこから動けないということ。間合いさえ詰められれば勝算はある。

 ぱあんぱん、と、乾いた音が鳴り響いた。ぼくはとっさに身を低くしたが、狙われたのはぼくではなかった。根津が両手に構えたリボルバー式の拳銃を霧崎に放った。すばやく遮蔽物に身を隠した霧崎に怪我はなかった。

 ぱあんぱんぱん。ぴー。

 まさに阿吽あうんの呼吸。谷垣と根津の気持ち悪いくらいに息のあったコンビネーションが、僕らの行く手を阻む。こちらは三人だが、ただでさえ攻撃範囲の広いあの凶悪なレーザーに、根津の援護射撃までついては簡単に間合いに入れない。根津は射撃訓練の教官でその道のプロだ。

「いいぞいいぞ。根津くん。ナイスアシストである。うまく円藤の鼻たれだけ孤立させるのだ。やつをバラバラにした後、女どもはなるべく生け捕りにしたい。あとでたっぷり〈事情聴取〉するためにな。ふひ、ふひひひひ」

 谷垣がいやらしい笑みを惜しげもなく披露した。

「それは名案ですな。こないだの生徒はすぐに気を失ってしまった。まったく最近の白虎学園の女生徒は軟弱すぎる。強く反抗的な女を切り刻みその顔を絶望に染めあげるのがたまらんというのに。彼女たちはどのように泣き叫ぶんでしょうね。いひひひひ」

 根津も同調するように醜悪な笑みを浮かべた。彼らの隠す気すらない露骨ないやらしさを見せつけられて生理的嫌悪を覚えたのか、赤月と霧崎は顔をひどくしかめた。おそらく拷問室でさんざんもてあそんだ末に殺すつもりなのだろう。あの〈達磨だるま〉にされていた名も知らぬ女生徒のように。ぼくは激しい不快感と吐き気を覚えた。彼らが同じ人間だとは思えなかった。

 いや。こいつらは悪魔だ。

 こんな連中に、ぼくたちはこき使われていたというのか。

 根津の凶弾が、今度はぼくに襲いかかる。

 ぼくも銃弾避けの心得はあるが、相手が根津のような二挺にちょう拳銃使いとなると話は別だ。一挺の拳銃なら一発よければ次弾が来る前に間合いを詰めることもできるが、二挺となると付け入る隙がなくなる。ある程度距離があれば回避することはできても、それだけじゃ根津は倒せない。かといって撃ちあいをしたところでぼくの腕では根津の足元にも及ばないだろう。

「どうしたのかね。逃げてるだけでは私は殺せないぞ」

 くるくる、と、見せつけるように西部劇のガンマンよろしくリボルバー式の拳銃を得意げに回す根津。悔しいが彼の言うとおりであった。今の装備とぼくの戦闘能力で根津を仕留めるのは難しい。

 赤月も霧崎も谷垣に見つからぬよう、遮蔽物の裏に隠れてただ隙をうかがうのみ。

「まったく溝鼠どぶねずみのようにこそこそ逃げ隠れしおって。軍人なら正々堂々勝負せんか。軟弱者め」

 谷垣がさげすむように言ったが、そんな安っぽい挑発に乗るほど赤月も霧崎も愚かではない。

 麗那先輩はサイボーグ三星相手にまったくひるまなかったが、未だ有効なダメージを与えるには至っていなかった。ただでさえぶ厚い装甲に身を包んでいる三星にあんな凶悪なレーザー兵器が追加された今、まともに間合いを詰めて攻撃することすら許されない。

 ぴー。

 ぼくの眼前を、谷垣の放ったレーザーが薙いだ。

「ひ」

 間一髪でよけても執拗に追ってくる光の刃。

 追いつかれればぼくはたちまち乾さんのように体を切り裂かれ、絶命する。

 死が、すぐそこにあった。

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