十二
薬物によって強化された鈴子の動きは、まるで獣か何かを相手しているような錯覚を憶えるほど俊敏になっていた。そう、まるで麗那先輩でも相手にしているかのような……
「彼女には我が三星製薬が開発中の秘薬を投与してあります。この薬の実験が成功すれば、
三星の顔は鋼鉄製のマスクに覆われていて見えなかったが、己の欲望を
「うげー。気持ちわる」
嫌悪感むきだしの顔で、麗那先輩は三星の右腕にしこまれた機銃の一斉掃射を
麗那先輩の圧勝だと思われたサイボーグ三星との戦いは、彼女が一方的な防戦を強いられるという、ぼくの予想に反するものだった。
考えてみれば当然かもしれない。いくら麗那先輩の身体能力がずばぬけていても、重火器を搭載した鋼鉄の鎧が相手では荷が重いだろう。人体に大穴を開ける彼女の必殺の突きも、あの装甲に使えば彼女の武器の方が先に砕け散ってしまうにちがいない。
だが最新兵器に身を包んだところで三星はしょせん戦の素人で、
「そうこなくっちゃ」
麗那先輩の顔にいつもの、あの嗜虐的な笑みが浮かんだ。
「死にさらせ」
鈍重な外見とは裏腹に機敏な動きで、三星は戦斧を振りまわした。しかしこれもまた武術の動きではなく、ただ力任せに暴れているだけの素人の動きで、麗那先輩には到底当たりそうもなかった。
「とは言っても、どうやって倒すか、だよねえ」
うーん、と、唇に指を当てて考えながらサイボーグ三星の攻撃を躱す麗那先輩。対戦車ロケットランチャーでも撃ちこめば倒せるのかもしれないが、この狭い部屋でそんなものを使えば、味方にも被害が出てしまうだろう。
「戦闘中に女のケツ追っかけるなんざ、ずいぶん余裕じゃねえかよ。え」
鈴子のナイフがぼくの頭上をなぎ払った。切断されたぼくの髪の毛が、何本か宙を舞った。
小太刀を片方破壊されたぼくもまた、鈴子に一方的な防戦を強いられていた。
ナイフ一本での格闘戦では鈴子に
おまけに向こうは痛覚が死んでいて、生半可な打撃はすべて無効化されてしまう。
「そんなにあの化物がよけりゃ、仲良くあの世でいちゃこらしてやがれ」
鈴子は唐突に腰を低く落として構えた。
「き、消え」
初めて忍ちゃんと手あわせしたとき、彼女もまた、ぼくの視界から消え去った。
歩法の極意、
ただし、鈴子のそれはたぶん技術的なものではなく、単に強化された身体能力の
眼の前に突然現れる、鈴子の姿。
ざく。
ぼくの腹部に、鋭い痛みが走った。
「うわあ」
ぼくはなかば本能的に鈴子に背を向け、医務室へと通じる裏口へと飛びこんだ。
腹の傷はひどく痛んだが、どうやら致命的な傷でもないらしい。
そのまま裏口の扉を閉め、鍵をかけた。
無論まだみんな向こうで戦っているので、いつまでもここで震えているわけにもいかない。どうにかしてこの危機をやりすごす手を、考える必要がある。戦略的撤退だ。そうだ。医務室の奥にたしか武器庫が……
みしみしめきめきばきべきぼき。
まるで重機かなんかで破壊されていくように、
ホラー映画か。
ぼくは恐れ
そのまま鈴子は扉を一気にひっぱった。
ばきん、という破砕音とともに扉が外れ、あさっての方向へと飛んでいった。
おいおい。鉄製のドアだぞ。
「あたしから逃げられると思ってんなよ。縁人」
鈴子の人間離れした怪力に動揺し、ぼくの脳内は恐怖で満たされた。
殺される。そんな言葉がぼくの脳内を埋め尽くしていた。
ぼくは、ただ無我夢中で医務室の方へ向かって駆けだした。あれから少しは時間が経っている。夢葉たちの避難は完了している、はずだ。とにかくこのままじゃ殺される。何とか武器庫まで行って、そこで何か強力な銃火器を調達して、反撃しよう。
「どこへ逃げようってんだよ」
鈴子が鋭い眼光でぼくをにらみつけ、ずんずんと裏口へ侵入してきた。ぼくはなすすべもなく医務室へと一直線に駈けこみ、急いで扉を閉めて施錠した上、ベッドを扉の前まで動かして簡単なバリケードを作った。
しかし薬物強化されたスーパー鈴子の前ではまったく意味をなさず、扉はベッドを押しのけて勢いよくこじ開けられてしまった。
「悪あがきは見苦しいぜ。縁人」
「な、なあ。鈴子。ぼくは死んだってことにして、見逃してくれないか。頼むよ。友達だろ。おまえがどんな弱みを握られてぼくを殺そうとするのかは知らないが」
ぼくは
「そりゃ無理だ。もうあんたとあたしは敵同士で、あたしに残された時間も、あまりねーんだ」
だめだ。聞く耳持たない。
「そうかい。そりゃ残念!」
ぼくは背後にあった薬品棚から得体のしれない薬品の入った瓶を複数持ちだし、手あたり次第鈴子に
そのうちのいくつかは鈴子に命中し、白い煙とじゅうううという肉を焼くような音を立てていた。どうやら硫酸的な何かを投げたらしい。しかし薬物によって痛覚が麻痺した今の鈴子を止めるほどの効果はなかった。
「くそが」
逆上した鈴子はぼくに向かって勢いよく駈けると、ラガーマンも顔負けの鋭いタックルを、ぼくにおみまいした。
人間砲弾。
まさにそんな形容がふさわしかった。
「かは」
ぼくは思いきり壁にたたきつけられ、あまりのショックに息ができなかった。
そして鈴子はそのままぼくの首根っこを
すごい力だった。
人間の力を超越した、まさにゴリラかオラウータンにでもつかまれたような、そんな感じ。
ぼくに、もはやなす術なし。
「じゃあな。縁人。お前とはずっと友達でいたかったよ」
首をつかむ力がよりいっそう強くなり、ぼくの意識は薄れていく。
かすむ視界にぼんやりと、鈴子のふりあげたナイフが、映った。
さく、と、刃物で人体を刺し貫く音がした。
不思議なことに、痛みはなかった。
鈴子が
「なんだ」
鈴子の足元に、ぼたぼたと赤い染みがいくつかできた。
彼女が振り返ると、そこには……
「母さん」
そう、ぼくの母さんが、鈴子の背中に、ナイフを突きたてていた。
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