十一

「だめだよー。戦場でよそ見なんてしたら」

 三城が忍ちゃんの背中からナイフを引き抜くと、その刃は月光に照らされ、銀色ではなく、カエンタケのようにまっ赤に、輝いていた。

 ナイフを抜かれた忍ちゃんは、背中からまるで翼のように、赤い飛沫しぶきを勢いよく噴きだして、糸の切れた操り人形のように、うつ伏せで地面に崩れ落ちた。

「あ……せん……ぱ……」

 地面に江口先生よりも大きな赤黒い、サークルというよりは花火を描いてから、彼女の可愛らしい大きな眼は、すでにほとんどその輝きを失い、一瞬ぼくの方をちらと見てから、地に沈んだ。

 そのまま、彼女はもう、ぴくりとも、動くことはなかった。

「あ……」

 眼の前で起きた突然起きた〈事件〉に、ぼくの頭は混乱を極めた。

 まるでいきなりレンガで頭を殴られたようなその衝撃に、ぼくはもはや発狂してしまいそうだった。

「てめえ、三城! 裏切った」

 阿佐ヶ谷が口上の最中、それを遮るようにぱん、ぱん、と、銃声が二発、とどろいた。

「人の心配をしてる場合かね」

 大和が冷たくそうささやいた。阿佐ヶ谷の右肩と脇腹から勢いよく鮮血が流れだし、純白の白虎学園の制服を赤く染めていく。三城の裏切りは彼にとっても予想外だったようで、うまく虚を突けたらしい。

「てめえ……」

 すかさず白金が割って入ったために致命傷は避けられたが、阿佐ヶ谷はもはや三節棍を両手で握ることすら敵わず、ただ手負いの獣の眼で、大和を睨みつけるのみだった。

「円藤くん! 何をしている! 彼女を連れて早く行け!」

 大和が雷鳴のような大声で怒鳴り散らすと、ぼくの思考は現実に引き戻された。

 そうだ。今はとにかく、江口先生を助けなければ!

 江口先生は、アスファルトの上ですでに冷たくなっていたであろう、かつての自分の生徒を、ただ見つめていた。

 そんな江口先生を、ぼくはなかば強引にさらうように、お姫様抱っこの要領で、持ちあげた。

「しっかり捕まっててくださいね。いいですか。離したら、あなただけでなく、ぼくも死にますからね」

 念を押すように、ぼくはそう言った。

 江口先生は首を横に振って何かを言いかけたが、今度はぼくも負けじと、叫んだ。

「うるさい、だまれ! ぼくは、ぼくの、したいようにする! 今度あんな真似をしてみろ! ぼくもあんたも、派手に転んで、あっというまに蜂の巣だからな! わかったか!」

 あまりのショックにやけくそ気味になっていたのか、全力の咆哮ほうこうを多量の唾液だえきとともに江口先生におみまいすると、彼女は逆らう気力が失せたのか、気圧されたように、押し黙った。

 そしてそのまま、ぼくは壁の裏から駐車場に向かって、狙撃兵には眼もくれず、がむしゃらに、走りだした。

 江口先生は女性の中でも比較的小柄な方だったが、それでもあの豊満なスタイルから見積もってゆうに四十五キロはあるだろう。そんな彼女をお姫様抱っこしているだけで相当きつい(アニメかなんかでよくヒーローがヒロインを軽々とお姫様抱っこしているシーンがあるが、所詮はフィクションの世界である。実際にぼくの細腕で再現してみたら、ほらこんなに重い。江口先生、ごめんなさい)のに、さらにその上、銃弾の雨の中を走るというのだから、正直生きて駐車場までたどり着ける気がしなかった。

「うおおおおおおおおおおおお」

 それでもぼくは、走りだした。恐怖でどうにかなってしまいそうだったので、ひたすら叫びながら、がむしゃらに、ただ走った。

 ぼくが戦場バトルフィールドに躍り出た瞬間、大和が狙撃兵たちに向けてシグ・ザウエルを全弾、発射した。

「くそがあ」

「よせ、阿佐ヶ谷! 深追いするな!」

 阿佐ヶ谷が右腕をぶらぶらさせながら追ってきたが、白金が制止した。このまま追いかけてくれば、彼は〈介錯〉され、首が胴体から離れて地面と熱い接吻せっぷんを交わすことになるのは明らかだった。

 白金は、地面に倒れこんでいた忍ちゃんを抱きかかえると、そのまま阿佐ヶ谷とともに、闇の中へと消えていった。

 大和のシグ・ザウエルはすでに弾切れを起こしていたが、一緒について来た三城が懐から小ぶりの自動拳銃マカロフIZ70を取り出し、狙撃兵に向けておみまいした。

 彼女は、味方なのか?

 赤月も大和も、何も言わず、ただ彼女に背中を預けていた。

 まるで、最初から彼女が味方だとわかっていたかのように。

 手負いの獣と、あくまでも冷静な〈御庭番〉の長が追ってくることはなく、ぼくらは職員の車(灰色のメルセデス・ベンツE430、たぶん谷垣の車)を乗っとり、そのまま学園を後にした。

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