七
どかーん、というものすごい爆発音が聞こえてきた。
おそらくこれが〈彼ら〉の合図だろう。
ぼくは叫んだ。
「合図だ! 逃げるぞ!」
ぼくが叫ぶと、今まで洗い物をしていた女捕虜たちがいっせいに洗い場の出口に向かって駆けだした。
クーデターは〈作戦会議〉の翌日に行われた。
ぼくと月野は洗濯場で他の女性捕虜たちと一緒に青龍学院の生徒たちの衣服を洗濯させられていた。しかも今どき手洗い。
周囲に看守たちがいたものの、建設現場に比べれば人数も装備も軽微なもので、マシンガンはおろか拳銃すら持っておらず、せいぜい刀、看守によっては警棒のみという有様だった。
しばらくすると予め停戦派の工作員が看守の食事に盛った遅効性の毒が効いてきたのか、彼らは腹を抑えて苦しそうに
脱走を成功させるには、タイミングをあわせて一気に、
腹をおさえて
洗濯場は青龍学院旧校舎の一階にあり、出口はひとつしかない。ここを抜けて廊下を少し進むと正面玄関がある。正面突破はリスクが大きいが、洗濯場にいる捕虜はざっと三十人ほど。狭くて距離もある裏口を目指すよりは、広い正面玄関を全員一気に駆け抜けた方がいいと判断した。そこを出るとすぐ手前に校門があり、さらにそこを抜けることができれば雑木林がある。ここまで行ければ、少なくとも校舎にいる連中から狙撃される心配はない。あとはそのまま近くにある
ここの女捕虜たちはぼくを除いて全員仲がよく、逃げる際の呼吸も気持ち悪いくらいぴったりと合っていた。政府軍特殊部隊でもここまで統率のとれた行動をとるのは稀だろう。彼女らはテレパシーか何かで通信でもしているにちがいない。下剤でへたれた看守などものともせず踏み荒らし、正面玄関、そして校門をめざし文字どおり足並みをそろえ、古代ギリシャの
いける。敵はぼくらの脱走などまったく予期していなかったに違いない。
校舎の反対側から、何やら銃声のような音が聴こえてきた。どうやらマシンガンか何かの発射音のようだ。おそらく建設現場の連中が看守とやりあっているのだろう。もしかすると向こうは今ごろ血の海かもしれない。あっちにいたらぼくも月野も今ごろ殺されていたかもしれないと思うと、ぞっとする。
「はいはいはーい。そこまででーす」
しかし喜びも束の間。正面玄関までたどり着くと、頭の軽そうな男の声が聞こえてきた。
この声、聞き憶えがある。
色素のうすいおかっぱ頭、身の丈ほどもある巨大な斬馬刀。
終零路。あの〈人割り〉と呼ばれる男が、数十人の仲間を連れて、正面玄関前に立ちはだかっていた。
くそ、待ち伏せか!
ずぶぶ、と湿った気色の悪い音がすると、おさげ髪の小柄な女捕虜が、いつのまにか終零路の斬馬刀と
そして、その太く長いそれは留まることをしらず、そのまま後ろにいた女捕虜ふたりをも、まとめて串刺しにしてしまった。数秒後、彼女たちは皆いっせいに鼻と口から赤い
「おや、勢い余って三人もやっちまった。なんつう団子三兄弟、いや団子三姉妹か。げらげらげら」
狂ったように笑う彼にかまわず、ぼくは叫んだ。
「月野、こっちだ!」
「は、はい!」
ぼくは月野の手をひっぱり、一足先に、もと来た道に向かって走りだした。
「逃がすかぼけ! 全員斬って、刻んで、ファックして、ぶち殺してやんぜ! ひゃっはっはっは」
終零路の下品な笑い声とともに背後の二、三人が銃やらライフルやらを一斉に発砲した。逃げ遅れた女たちのうめき声や悲鳴が聞こえたが、ぼくらはぶ厚い〈肉の壁〉に守られていたせいか、被弾は免れた。
かわいそうだが、彼女たちまで守る余裕はない。これはサバイバルだ。自分が助かることを第一に考えなければやられる。ぼくはなかば強引にそう自分に言い聞かせていた。
廊下を洗濯場の反対方面に向かって走り去る者もいたが、あいにくそっちには職員室がある。教師、つまり青龍学院の鬼教官たちのたまり場だ。生きて出られるとは思えない。
洗濯場に戻ると、便所から戻った看守が腹をかかえながら発砲してきたが、距離があったので被弾することはなかった。
ぼくは今、この世の地獄にいる。
逃げなきゃ。逃げなきゃ、殺される。
こっちはふたり。敵は数百。まともにやりあって勝ち目なんかあるはずがない。
ぼくと月野は、他の捕虜たちの
洗濯室にたどり着く。ここは本来出口がひとつしかない袋小路だが、ぼくにはひとつ考えがあった。考えなしにわざわざ袋小路へ逃げこんだりはしない。この部屋にはいくつか窓があり、鉄格子がはめられてはいるものの、旧校舎の老朽化に伴い、ところどころだいぶ錆びついていた。
ぼくはすかさずそのへんにあった椅子を使って、窓にたたきつけた。
がっしゃーん、という派手な音とともに崩落する窓ガラス。飛び散ったガラスの破片がぼくの顔や手に細かい傷を作り、そしてその外側にある憎き鉄格子が無慈悲にもぼくのチェア・アタックをはじき返す。衝撃が手に伝わり、ぼくは思わず椅子を落としてしまいそうになった。
「円藤さん。手伝います」
月野がすかさず椅子の反対側を支える。女の子の中ではおそらく力が強い方の彼女(何せあの地獄の肉体労働地獄を生き抜いた猛者だ。ぼくが手伝ったとはいえ)が加勢すれば、単純計算で打撃力は一・五倍以上にはなる。
「せーの」
急造コンビにしては息のあった打撃で、窓の外に
窓の外は、周囲を校舎に囲まれた裏庭だ。あれだけ派手な音を立てているので、敵が気づいてこちらを狙っている可能性もある。
こういうときはレディ・ファーストではなく、ジェントル・ファーストが基本である。至近距離でなければ多少の銃撃は
「ぼくが先に出て様子を見る。追手がこないか見張ってて」
月野がうなずくと、ぼくは窓の外を一瞬ちらと
「おら! 逃さねーぞ!」
終零路の声が聞こえ、ぼくは反射的に飛びだした。狙撃のリスクはあったが、全力で走る獲物を仕留めるのは容易なことではない。
直後、ぱん、ぱん、と、乾いた音が響きわたった。
狙撃か? と思ったぼくは全力で駆けぬけ、そのまま近くにあった倉庫の影に身を潜めた。
が、それ以降近くで銃声がすることはなかった。
倉庫の壁越しに校舎の方を覗きこむと、先ほど破壊した窓が見える。
月野が出てこない。
まずい。連中に捕まってしまったのか?
数瞬様子を見るも、誰かが窓から出てくる様子はなく、ただ遠くでどんぱちやりあう銃声と悲鳴の
危険ではあったが、ぼくは倉庫の影から飛び出し、来た道をふたたび全速力で、ただし逆方向に、駆け抜けた。
「まずい」
窓の中からぼくに向けられた、銃口。
終零路の手下の、眼鏡をかけた小柄な坊ちゃん刈りの男が、ぼくに向けて拳銃を構えていた。
ぱん。
撃発音と同時に身をのけぞらせると、ぼくの右頬に
そしてぼくがとっさに身を
なめるなよ。
ぼくはすかさず、彼が引き金を引く前にその腕をつかみ、そのまま外に引きずりおろした。
ごきん、という小気味よい音が響きわたり、〈ぼっちゃん刈り〉の肩が外れたのがわかった。
間髪いれずに、ぼくは空いた左手の人差し指と中指を使い、彼の両眼を突いた。ナイフで首を突くよりそのほうが速かった。
中にどろどろのゼリーでも入れた水風船を割ったかのような、気色の悪い感触が手に伝わってきた。実際に人の目玉をつぶしたのはこれが初めてだった。
そして彼の銃を奪い、そのまま引き金を引いた。
彼の頭は
しかしそんなことはどうでもいい。
月野はどうなった?
ぼくは破壊した窓から中に向けて、銃を構えた。
「おら、動くんじゃねえ! 武器を捨てろ!」
中から、終零路の怒号が聞こえてきた。
ぼくがそっと窓を覗きこむと、そこには終零路とゆかいな仲間たちに拘束された、月野の姿があった。
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