落ちついて、状況を整理してみる。

 まず、飛鳥先輩が赤月瑠璃を鎖鎌で拘束。勝負はついたように思えた、が……

 すると、どういうわけか下北沢が、先ほどまで刃を交えていた鉤爪の赤髪の女とともに、いきなり飛鳥先輩に襲いかかった。即興コンビとは思えない、息のぴったり合ったみごとな連携攻撃だった。赤月瑠璃を拘束して身動きのとれなかった飛鳥先輩は、かろうじて下北沢たちの攻撃をかわしたものの、一瞬の隙を赤月瑠璃に突かれた、ようだ。速くてよく見えなかったが、残ったもう片方の小太刀で右腕を切断されたのだろう。

「ちょ、まてや」

 右腕の傷口から噴き出る血を必死で押さえ、飛鳥先輩は苦悶くもんにゆがんだ顔で下北沢をにらみつけていた。

「飛鳥先輩!」ぼくは叫んだ。

 なぜなら、彼の正面には……

「介錯します」

 赤月瑠璃が左腕に巻きついた鎖を外し、例の死の宣告とともに、逆手に持った二本の小太刀を構えていたからだ。

「あああああああああああ」

 飛鳥先輩を助けるため、ぼくは鋼鉄トンファーを握りしめ、自分の頭部と胴体をかばうようにしながら、いちかばちかの捨て身の突撃を試みた。

「ち」

 下北沢がサーベルをひるがえし、ぼくに向かってレーザービームのような高速の突きをくり出した。

 が、そんな場当たり的な反撃はさすがのぼくでも読めたので、とっさに右手側のトンファーでいなし、もう一方のトンファーで……殴ろうと思ったが、ボウガンの矢が刺さったままの左腕では思うように殴れそうになかったので、彼の鳩尾みぞおちに思いきり蹴りをどすんとおみまいしてやった。

 下北沢は「ぐぅえ」とうめき、ふっとび(交通事故とまではいかないものの)、飛鳥先輩と赤月瑠璃に激突した。三人ともバランスを崩し、特に体重の軽い赤月瑠璃はボーリングのピンよろしくはじけ飛んでいった。我ながら見事なストライク。

「飛鳥先輩、無事ですか」

「あかん」

 飛鳥先輩は微動だにしなかった。

 ぼくは、すぐに彼の異変に気づいた。

 彼の足元に広がる、紅い水たまり。

 よみがえる数日前の悪夢。ぼくの友人、寿の断末魔。

 ……飛鳥先輩の腹部が大きく裂け、血が手持ち花火のように噴出し、同時に、赤黒い何かが傷口からはみ出していた。

「ごぼ」

 飛鳥先輩の口から一気に血があふれ出し、彼はひざからくずれ落ちた。

「余計な真似を」

 赤月瑠璃が、めずらしく不機嫌そうに眉間にしわを寄せ、ぼくを非難した。「あなたが邪魔をしたせいで、彼は地獄の苦痛を味わうはめになったのですよ」

 蹴られた腹をかかえながら下北沢が立ちあがった。「まったくだ。下層の土人は見苦しい」

 下北沢の手にはしっかりとサーベルが握られており、気づいたときにはすでに前門の赤月瑠璃、後門の下北沢といった具合に、ぼくと飛鳥先輩は包囲されていた(ああ、ついでに名も知らぬ赤髪の鉤爪の女もいた。忘れてた)。

「お務めごくろうさまです。……下北沢さん」と、赤月瑠璃が言った。彼女は通路に転がった三人の刺客の死体を見て、「もう少し早く動いてほしかったです」と付け加えた。

「なかなか付け入る隙がなくてね。彼の動きが止まるのを待っていたのだよ。それより、約束を忘れてはいないだろうね」

「もちろんですよ。我々としても、この戦を終わらせるまでは、東陽夢葉には生きていてもらわねば困りますのでね」

「どういうことだ、下北沢あ!」

 ぼくは、力の限り叫んだ。

「吠えるな、下層の土人。わざわざ説明しないと理解できんのかね」

 ぼくには、彼のその後の発言が予想できた。考えるまでもない、実に単純な話だ。

 ……彼こそが、白虎学園に潜んでいた〈内通者スパイ〉だったのだ。

「なんかおかしいと思ってたんですよね。ただの烏合うごうにすぎない親衛隊が、こんなハイリスクな任務に志願するなんて。最初から夢葉のためなんかじゃなく、ぼくらの首を土産みやげに反乱軍に寝返るつもりだったんだな。くずが」

 吐き捨てるように、憎悪と皮肉をこめて、ぼくは下北沢をののしった。

「ふん。何か勘ちがいをしているな。これは夢葉嬢のためを思ってやったことなのだよ」

 ぼくには下北沢が何を言っているのかわからなかった。「何を言ってるのかわかりませんね」

「白虎学園、いや、政府軍の支配下にいる限り、彼女はあの忌々いまいましい帝のもの。囚われのカナリア、政略結婚という目的のための駒。わたしはそれがずっと気に入らなかった。ああ。なんとかわいそうな夢葉嬢。彼女をやつの手から解放したいと、ずっと思っていた。そして今、その時がやってきた」

 帝家と東陽家はともに日本帝国四大財閥のひとつで、白虎学園に多額の寄付をしている。学園内でも頭ひとつ抜けた規模の財力と権力を誇る名家であり、帝陽輝と夢葉が恋人同士ではないかという噂も一時期流れていたが(思春期のガキというのはそういう噂話が好きなのだ。ぼくは特に興味もなかったが)、許嫁だったとは。けれど、名家なんてそんなものなのかもしれない。そう、ぼくと彼女では住む世界がちがうのだ。ぼくが夢葉の立場だったら家出するとは思うけれど。

「そのために、何人もの味方を犠牲にしたっていうのか。ぼくの友人も殺された。田代だって殺されたんだぞ。あんたが情報を流したせいで」

「ふん。戦場で殺される人間など、所詮ただの弱者だったというだけ。何も知らん下層の土人が、一丁前の口をたたくんじゃあない。彼女の幸せのためなら、貴様らの命など知ったことか」

 下北沢はふたたびぼくの顔面を蹴り飛ばした。口の中が切れ、するどい痛みとともにじわじわと口の中に鉄の味が広がっていった。それでもぼくは瀕死の飛鳥先輩を支えるため、ふんばった。下北沢は、地べたにしゃがみこむ僕と飛鳥先輩を見下しながら、続けた。

「帝の呪縛から解き放たれた彼女は、わたしに感謝するだろう。〈革命軍〉は、彼女の身の安全を保障すると言った。……そうだな?」

 下北沢は確認するように、赤月瑠璃に視線を送った。一応補足しておくと、〈革命軍〉というのは反乱軍のことだ。彼らは自分たちのことをそう呼んでいる。

 赤月瑠璃は人形のように無表情のままうなずき、淡々と言った。「ええ。東陽夢葉には利用価値がありますので。もっとも、我々におとなしく従っていればの話ですが」

「その点は心配無用だ。ぼくが彼女を説きふせてみせるよ。革命軍に移籍したら、わたしは夢葉嬢の騎士ナイトとなる。彼女の警護はすべてわたしに任せてくれたまえ」

 余裕綽々しゃくしゃくと勝ち誇った笑みを浮かべている下北沢に、ぼくは歯をいて言った。「もう勝った気でいるのか。ぼくらを殺したところでまだ他の班が」

「ふん。浅知恵の土人が。言っておくが、羽柴もわたしの協力者だ。彼なら首尾よくやってくれるだろう。なんせ親衛隊の中ではわたしに次ぐ実力者なのだからな。酉野も御菩薩池みぞろげもじきにあの世行きさ」と、下北沢は得意気に言った。やはり彼もグルだったか。

「そして、円藤くん。君には情報を流したスパイとして死んでもらう手筈になっている。私は君の裏切りによって負傷し、最後の力を振りしぼって君と刺しちがえ、名誉の戦死をとげた、と、羽柴に証言してもらうのだ。すでに証拠もいくつか捏造ねつぞうしてある。計画は完璧だ。一片の抜かりもない。君は濡れ衣をかぶってここで死」

「そのくらいでいいでしょう、下北沢さん。これから死に行く者たちに、わざわざ解説するのは無意味です」赤月瑠璃がさえぎるように言った。

 得意気に語っていた下北沢は一瞬むすっとした表情を見せ、「それもそうだな」と言った。

 下北沢のサーベルが、ぼくの喉元に突きつけられた。

「さて、そろそろ死刑を執行しようか。いい声でわめいてくれたまえよ」

 ぼくは、死を覚悟した。

 終わり……か。

 死んだらあの世で寿と再会できるかな。死んだ父さんにも。

 鈴子や夢葉は、ぼくが死んだと聞いたら泣いてくれるかな。

 麗那先輩は……どうだろう。あの人が泣いてるところが想像できない。

 酉野先生。全員で生きて帰るという約束、守れなくてすいません。

 最後に母の顔が脳裏によぎり、ぼくの頬に涙が流れ落ちた。

 母さん、先立つ不孝をお許しください。

「まずは眼だ。眼からつぶしてやる。ひひひひひ」

 ぼくは恐怖のあまり、眼を閉じた。

 くそ。ちくしょう。


 どごん。


 辺り一帯に轟音ごうおんが響きわたった。

 何ごとか、と、ぼくがゆっくり眼を開くと、眼の前から下北沢の姿が消えていた。

 音の響いてきた方向に眼をやると、下北沢が壁に埋没していた。

 彼の側頭部には銀色の鉄槌がめりこみ、壁にはまっ赤な花が咲いていた。

「お前が内通者だったのか。この裏切り者が」

 鬼のような表情をした酉野先生の、鋼鉄の右拳が、下北沢の頭部を破壊していた。

 そして反対側の、酉野先生の左腕は、上腕から先がなかった。

 包帯のようなものが巻かれていたが、止血処置が不十分なのか、鮮血がにじみ出てしたたり落ちている。羽柴にやられたのだろうか。

「か、か、かは」

 下北沢は顔をくしゃくしゃにつぶされながらも、苦しそうにうめいた。

「何をしている、円藤! 水無月を連れてさっさと逃げろ! 作戦は失敗だ!」

 そう、酉野先生が叫んだ。

 神楽先輩に大量に血を分け与え、腕を切り落とされてさらに血を失ったせいか、彼女の顔は瀕死だったときの神楽先輩のように、青白くなっていた。

 茫然ぼうぜんとしていたぼくは、それでようやく我に返り、瀕死の飛鳥先輩を背負った。そばに落ちていた彼の右腕を拾うことも忘れず。彼はすでに意識がないようだったが、まだ心臓は弱よわしく動いている。早くここから脱出して軍病院へ……

「せんせ……」


 ……振り向きざまにぼくの眼に映ったのは、赤月瑠璃によって背後から串刺しにされた、酉野先生の姿だった。


「行け」

 せきとともに大量の血を吐きながら、しかし、はっきりとした口調で酉野先生は言った。

 飛鳥先輩を背負い、来た道に向かって走り出す。ボウガンの矢が背中に刺さったままだったが、そんなことはさして気にならなかった。

 眼の奥からつんと涙がこみあげ、眼の前が歪んでいく。

 それでもぼくは、ただ必死に生き延びようと、走り続けた。

「介錯します」

 赤月瑠璃の冷たい声が聞こえてきた。

 そして一瞬の後、ごとり、と、何か重たい物が落下する音がした。

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