十二

 翌日火曜日の昼休み、ぼくは軍病院に入院している神楽先輩と鈴子の見舞いに行った。集中治療室で五時間にも及ぶ大手術の結果、神楽先輩は一命を取りとめた。すでに峠は越えて一般病棟へと移されたのだが、まだ意識は戻らないようだ。ぼくは学園敷地内の花屋で買った、バスケット入りの花束(造花)と、「早く元気になって下さい。カレーおごりますので」と書いた手紙を添えて彼女の枕元に置き、病室を後にした。

 鈴子の左腕は、結局元には戻らなかった。肘から先、前腕の中ほどでぷっつりと途切れたその腕に、包帯が幾重にもぶ厚く巻かれていた。敗血症の疑いがあったものの処置が早かったおかげで、重篤化することもなく、三日後には退院できるそうだ。が、利き腕を失った今(鈴子は左利きだ)、恐らく前線に復帰するのは難しいだろうと思う。彼女は特権でも上層でもないので、よほど座学を頑張らないと留年、下手をすれば退学に追いこまれてしまう可能性がある。

 ぼくはバスケット入りの花束をサイドテーブルに置き、「調子はどう?」と聞いた。

 鈴子は仏頂面ぶっちょうづらで、ストレートに「最悪」と返してきた。無理に自分を作ったりしないあたり、いつもの鈴子だった。「それより、あんたこそどうしたの? その怪我」

「ちょっと階段で転んでしまってね」

「いや、嘘だろ」簡単にばれた。「要先輩にやられたのか?」

 何でバレたし。

「要先輩、言ってたよ。あんたが情報を流したスパイなんじゃないかって」

 ぼくは即座にかぶりを振った。「濡れ衣だ」

「わかってるよ。ただ、要先輩はそう思ってないみたいだったからさ。ちょっと心配だった」

 結局、要玄人の中ではまだぼくへの疑いは晴れていないのだろう。今後は彼とその関係者の動きに注意し、人気のないところを避けないと、殺されかねない。あの様子じゃ、たとえ鈴子が説得したところでぼくが無罪放免になることはないだろう。忍ちゃんも巻きこんでしまった。彼らは執念深いから、今後も狙われる可能性大。

「あたしさ」

 鈴子が、沈痛ちんつう面持おももちで、口を開いた。

「正直ナメてたんだ、あの〈首刈り〉のこと。もっとごつくてやばそうなやつだと思ってたからさ。でもあんなにっこい女の子だとわかって、寿とふたりでかかれば楽勝だと思ってた。てっとり早くあたしの毒ナイフでしとめてやろうとして近づいたら……」

 腕を落とされたときのことが脳裏に蘇ったのか、鈴子は一瞬「ひっ」とうめいた。

「あ、あたしが、油断せずにあのガキをしとめてたら……あたしのせいで、寿が……」

 鈴子は、思い出したようにぶるぶると震えだし、目尻に涙を浮かばせた。学園で恐れられている要組の〈狂犬〉としての面影はそこには一切なく、傷ついて今にも崩れてしまいそうな、ガラス細工のように脆いただひとりの女の子が、そこにはいた。

「鈴子のせいじゃない」

 ぼくは鈴子の手を握り、そうささやいた。

「縁人お」

 鈴子は、昨日の保健室でのぼくと同じように、せきを切ったように泣きはじめ、ぼくに、残ったもう片方の腕で、抱きついてきた。ぼくはそれ以上何も言わず、ただ彼女の頭をなで続けた。そして心の中で、ちょっと怖いところもあったけれど陽気で気さくだった頃の鈴子を、思い返していた。そんな彼女をボロボロにしてしまった〈首刈り〉を、反乱軍を、そしてこの戦争を、ぼくは心底憎んだ。

 そのまましばらく泣き続けて落ちついたのか、鈴子は「ありがと。少し楽になった」と言って、ぼくの頬に短く口づけした。

 ふたたびベッドに横になった彼女に「また来るよ」とだけ告げ、ぼくは軍病院を後にした。


 ぴんぽんぱんぽおん。

 午後の授業が終わり学舎に戻っていつものワイヤーラーメンを食べていると、突如校内放送が流れてきた。内容は司令部からの呼び出しで、対象はぼくや忍ちゃん、要組の友納といった、先の〈赤〉討伐作戦に参加していたメンバーだった。入院中の神楽先輩と鈴子の名前はなかった。

 ぼくは急いでワイヤーラーメンを食べ終え、司令室へと向った。

 途中で酉野先生と忍ちゃんに出くわした。

 酉野先生は険しい顔で言った。「来たか、円藤。ちょっと来い。話がある。御菩薩池みぞろげもだ」

 ぼくと忍ちゃんは、人目につかない倉庫の中まで連れて行かれた。

 いつも血色のいい酉野先生の顔は、キョンシーのようにまっ白だった。何も知らなければ病気にでもかかったのかと思うところだが、昨日の神楽先輩の手術で血が不足し、たまたま神楽先輩と同じA型だった酉野先生が輸血したという話をすでに聞いている(1リットル近くという噂だったが、真偽は不明)。貧血を起こして今にも倒れてしまうんじゃないかというような顔色をしていたが、彼女はいつもと変わらずはきはきとした口調で言った。

「いいか、ふたりとも。これから司令室で何を言われても、真に受けるな。おまえたちに責任はない。責めを受けるべきは、隊長だった私だ。いいな」酉野先生の顔は真剣そのものだった。

 ぼくは反射的に口を開いた。「あれは学内にたぶんスパイがいますよ。先生だけの責任じゃ……」

「いいから、そういうことにしておけ」

 ぼくの言葉をさえぎって、酉野先生はいささか強い語調で言った。有無を言わさぬ彼女の剣幕にぼくと忍ちゃんはたじろぎ、とりあえず首を縦に振った。

 そのまま倉庫を出て、司令室まで連れて行かれた。ぼくらが最後だったらしく、司令室には〈赤〉の掃討作戦に参加していた残りのメンバーがそろいもそろって整列して立っていた。神楽先輩と鈴子に加え、要玄人の姿もなかった。おそらく先の乱闘で重傷につき入院となったのだろう。麗那先輩の姿も見えなかったが、彼女のことだ、頭痛がするとでも言ってずる休みでもしたのだろう。実際に要玄人に頭をかち割られていたし。一番隅っこには頭に包帯を巻いた友納とものうが、しかめっ面でぼくと忍ちゃんを一瞥いちべつしたが、すぐに正面に向きなおった。

 ぼくらの前方には三人分ほどある幅広の机、そこに三人が高そうな革製の椅子に腰かけていた。右には二年B組担任で射撃訓練教官の根津ねづ、左には白虎学園生徒会長である帝陽輝、そして真ん中には二年の学年主任であり、司令部参謀の谷垣が座っていた。

「そろったか」

 中央の谷垣は、続けて「白虎学園、校訓第二条!」と、叫んだ。

 辺りが静寂に包まれた。

「どうした! 復唱せよ!」谷垣は血相を変えて怒鳴った。

「お国のために、軍のために、学園のために、その身を捧げ、不屈の精神で最後まで臆することなく戦い抜くこと!」ぼくを始め、全員が復唱した。

「そうだ。貴様らは身も心もわが帝国軍に捧げた身だ。そして、先日の〈赤〉の討伐作戦において、その身を犠牲にしてでも、東陽夢葉嬢をお守りしろと命じたはずである! それなのに、彼女を奪われておきながら、おめおめと生還してくるとは何ごとだ! 恥を知れ!」

 ぼくは一瞬むかっときた。元はと言えば学内にいるスパイが情報をらしたのがそもそもの敗因で、それを阻止できなかった司令部に責任はないのか、と。しかし先ほどの酉野先生の言葉を思い出し、耐えた。

「誇りある帝国軍人なら、恥じて切腹するべきである!」

 酉野先生が何かを言おうとしたが、谷垣の横にいた帝が制止した。谷垣はそのまま続けた。

「だがまあ、私も鬼ではない。お前たちはまだ軍学校に通いはじめたばかりのひよっこだ。今一度だけ、汚名返上のチャンスをやろう。これより〈東陽夢葉救出作戦〉を発令する。お前たちには肝心要かんじんかなめの重役、彼女を救出する〈潜入班〉の任を与える。これは名誉なことだぞ。今度こそ、東陽夢葉嬢をお守りし、反乱軍より奪還するのである。己の身に代えてでもな。返事はどうした」

 ぼくらは「はい」と答えるしかなかった。それが軍隊というところだ。逆らえば抗命罪で処罰されるだろう。学年主任・谷垣は「日時は追って連絡する。話は以上だ。下がりたまえ」と言った。

 司令室を出ると、ぼくら一行は酉野先生にまた人気のない倉庫に連れていかれた。

 酉野先生は開口一番、「谷垣主任はああ言ったが、私からこれだけは言っておくぞ」と言った。周囲にれない程度の声で、彼女は続けた。

「おまえらの命が、東陽より安いなんてことはない。断じて、ない。東陽は何としてでも連れ戻すが、お前たちも絶対に死ぬな。これは私からの命令だ」

 酉野先生の瞳は真剣そのものだった。ぼくたち下っ端を、彼女は人間として見ている。無茶ぶりだとわかっていても、ぼくにはそれが嬉しかった。

「必ず全員で生きて帰るんだ。いいな」

 ぼくは酉野先生の眼を見て、はっきり答えた。

「最初からそのつもりですよ。先生」

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