十一

 けんさんに「白虎学園をやめて赤鳳隊せきほうたいに入らないか」と問われたとき、ぼくの心が揺れたのは確かだった。やめるというより裏切るという方が正確か。しかし……

 ぼくは、首を横に振った。

「……乾さんには本当に感謝してます。でも、母は自分の生活を投げ打ってまで、ぼくを白虎学園に入れてくれました。ここでぼくが白虎学園を抜けて赤鳳隊に入れば、母がリスクを冒してぼくを白虎学園に入れた意味がなくなってしまう。ぼくは政府軍の要職について稼ぎ、母に孝行したいんですよ。もちろん乾さんが生存していること、赤鳳隊の人間だってことは誰にも言いませんし、いつか必ずお礼はしたいと思ってます」

 予想通りの回答だったのか、乾さんは表情を変えなかった。そして言った。

「母ちゃんのことなら心配するな。うちの方でなんとかする。俺が聞きたいのは、お前の気持ちだ。もしお前の母ちゃんが何不自由なく暮らしていたとして、お前がこのまま白虎学園にいたいのかってことだ。見ろよ」

 ぼくと乾さんは屋上の鉄柵ごしに下の路地を見下ろしていた。ひとりの男性が、先ほどのぼくと同じように浮浪者にたかられているのが見えた。男性は鬱陶うっとうしそうに浮浪者たちをあしらい、足早に去っていった。

「あいつらだって、好き好んでこんな生き方をしているんじゃない。政府に、反乱軍に、つまりこの戦によって、居場所を奪われちまっただけだ。俺たちだって一歩間違えたらああなってたかもしれないんだぜ。もっとまともな国に生まれりゃ、仕事も家庭も持って平穏に暮らせていたかもしれない連中なんだ」

 乾さんはまるで自分のことのように拳を握りしめ、恨めしげな顔で歯ぎしりしていた。この町の住民として数々の惨劇さんげきを見てきただけあって、彼の言葉には有無を言わせぬ重みがあった。

 ぼくは自分や母の生活のために彼らの居場所を奪った連中に加担している。そして今後もそれを続けようとしている。おそらく白虎学園の生徒の大半はこの戦を終わらせることを願っているだろう。だが戦は泥沼化する一方で停戦する気配がまったく見えないどころか、むしろ悪化する一方だ。政府軍と反乱軍の溝の深さは致命的である。政府軍は反乱軍に停戦の申し入れを何度か行っている。数々のテロ行為や戦争責任を不問とし、日本の文化や伝統の保護も約束する、と(日本の完全な独立だけは外圧もあって難しいとも言ったが)。だが反乱軍はこの申し入れを何度も退けた。彼らの悲願は日本の真の独立で、そのためなら自分たちは人柱として全員玉砕する覚悟もあるとかたくなだった。どちらかが滅ぶまでこの戦は終わらないようにぼくには思えた。もっとも戦好きの〈あの人〉だけは諸手もろてをあげて万歳三唱なのだろうが。

 そう、ぼくは一体何のために……

「縁人。お前は何のために戦ってるんだ?」

 乾さんは厳しい顔でぼくを問いつめる。

「母ちゃんのためか? 学園の仲間のためか? ……それとも自分のためか?」

 ぼくは何も答えられない。

「おれが学園を抜けてここに流れ着いたときは、言っちまえば他に選択肢がなかった。赤鳳隊の皆に拾われなかったら、今ごろおれは他の連中と同様、あそこでお前みたいなやつ相手に物乞いでもしていたかもしれない。お前にはまだ帰る場所も守るべきもんもあるだろう。だから迷うのはわかる。おれだって、かつての白虎学園の後輩たちに刃を向けることに抵抗がないわけじゃない。でもおれたちは別に、政府軍や反乱軍の連中と殺しあいをやろうってわけじゃないんだ。そりゃあ自衛のために戦うことはもちろんある。が、おれたちの目的はあくまでこの戦を終わらせることだ。戦を大きくすることじゃない」

 そして、乾さんはさらに付け足した。

「なんなら、仲間も連れてきたっていい。お前が心底信頼するやつなら、おれは受け入れる」

 その言葉でぼくにはまた迷いが生まれた。

 仲間、か……

 麗那先輩は……戦いを終わらせるなんて言い出したら怒りそうだな。

 寿や鈴子に話したらどう思うだろう。喧嘩っ早いやつらだけど、麗那先輩のような戦好きとは違う気がする。

 夢葉は平和主義者なのは明らかだけれど、今まで付き合ってきた連中と敵対するとなると現状維持を選ぶかもしれない。

 神楽先輩や忍ちゃんは……どうかな。ぼくはまだ彼女たちのことをよく知らない。

 ぼくはこの戦争を終わらせたい。それは確かだ。この国がどうあるべきとか、政府軍、反乱軍の主義思想なんて正直興味はない。トップ同士がジャンケンでもして白黒つければいいとさえ思っているくらいだ。

 いや……白虎学園の生徒の多くがそう考えているのではないか。戦が長期化する中、厭戦えんせんムードは確実に生まれているようにぼくには思えた。昨今の白虎学園の生徒たちの中には笑顔がなく、どこか人生を諦めてしまっているような者さえいる。毎日必死で訓練して命がけで戦ったところでこの地獄が永遠に続くなら、自分たちは何のために戦っているのか。何もかも無意味と思う気持ちはぼくにもわかる。本当にこの国を愛し、国を豊かにするため、発展させるため、〈美しく豊かなニッポン〉を築くために戦っている者が、一体どれほどいるというのだろう。

 ぼくが白虎学園にいるのは母の意向でもあるが、アメリカをはじめとする西側各国の支援を受けた政府軍の方が優勢だから政府軍側についているというのもある。

 もしこのままぼくが、乾さんの誘いを断り続けたらどうなるだろう。

 乾さんがぼくの母を人質にとって赤報隊への編入を強要するとは思えない。

 が、母への支援をやめてしまうという可能性もなくはない。でもそれで彼を責めることはできない。もともとぼくがなんとかしなければならない問題なのだ。母はああ見えて強い人だから、もし乾さんの支援がなくなってもぼくに助けを求めたりはしないだろう。一人でこの町を生き抜いていくと、そう言うだろう。

「母ちゃんのことを考えてるのか?」

 乾さんはまるでぼくの心の中を見透かしたかのように言った。ぼくの反応を見て確信したのか、彼は続けた。

「心配すんな。お前がどう答えようと、舞さんの護衛は続けていくつもりだ。取引の材料に使うなんてことはしねえよ。おれ自身彼女に少なからず世話になってる」

 乾さんの善意を少しでも疑った自分を恥じた。紹介が遅れましたが、舞というのは母の名前です。それにしても本当に彼は人の心が読めるのだろうか。

 明日は赤鳳隊の討伐作戦が行われる。目的地はおそらく前回と同じ祖母江町だろうが、そこに明日乾さんが行かないという保証もないし、彼の仲間たちがいるかもしれない。

 ぼくが、この手で乾さんを、その仲間たちを、殺すことになるかもしれないのだ。

 だが、もしここでぼくが白虎学園を抜けて赤鳳隊に入れば、今度は麗那先輩、寿や鈴子、神楽先輩や忍ちゃんたちと殺しあうことになるかもしれない。結局玉虫たまむし色の選択などありはしないのだ。全員仲よく輪になって踊ろうなんて、おとぎ話の夢物語である。

 ここが、ぼくの人生の岐路きろ……

 頭の中で思考の堂々巡りを続けていると、乾さんがまたまたそれを察したのか、助け舟を出すように言った。

「わかった。今すぐ無理に答えを出せとは言わねえよ。簡単に答えが出るような問題でもないだろう。お前の人生の岐路だ。よく考えて後悔しない方を選べ。仲間と話す時間も要るだろうしな。そんでもし赤鳳隊に入る気になったら、またここへ来い」

 明日赤鳳隊討伐作戦が行われ、ぼくがそれに参加する以上、決断の先送りは赤鳳隊と敵対することを意味している。

 ……が、それはここで何も手を打たなければの話だ。

 ぼくは、すでに突破口を見出した。

 この土壇場どたんばで、ひとつの解決策にたどり着いたのだった。

「乾さん。実は……」

「あん?」乾さんは首をかしげた。

 ぼくは、政府軍の人間として間違ったことをやろうとしている。

 ……でも、乾さんは母の恩人で、ぼくにとっては兄のような存在だ。このまま戦場で殺しあうという未来だけは、何としても避けたかった。

「明日、白虎学園で赤鳳隊の討伐作戦が決行されます。目的地はぼくにはわかりませんが、とにかく明日実行されます。気をつけてください」

 乾さんの言うとおり赤鳳隊が戦を終わらせるための集団ならば、むざむざ政府軍と事を構えるような真似はしないだろう。これでおそらく赤鳳隊との殺しあいという最悪のシナリオは避けられる。

「そうか……気をつけるぜ。ありがとよ」

 乾さんは特に表情を変えずにそう言った。

 これが学園に知れたら機密情報漏洩ろうえいどころでは済まされないだろう。スパイ罪で牢獄にぶち込まれるか、下手をすれば銃殺刑もありうる。が……

 ばれなければ、どうということはない。

 ぼくの生存確率も上がるし、一石二鳥だ。麗那先輩には悪いけれど。

 ただ、気がかりなのは反乱軍の動きだ。酉野先生は赤鳳隊と反乱軍がつながってる可能性を示唆しさした。上がガセ情報をつかまされ、のこのこおびき出された討伐隊を反乱軍が討ったのか。それとも赤鳳隊の基地は本当に存在していて反乱軍が赤鳳隊の基地を守るために討伐隊を襲撃したのか。赤鳳隊は現時点では政府軍や反乱軍に比べ、まだ新興勢力ゆえに兵力面では大きく劣る。戦が長引いているとはいえ、現在は諸外国の支援を受けた政府軍が優勢。劣勢の反乱軍が政府軍を倒すために赤鳳隊とひそかに同盟を結んだのか。戦を終わらせたいなら政府軍に荷担して反乱軍を一気に叩くのが早道のように思えるが、それは和平とは程遠い、単なる殲滅せんめつ、虐殺だ。赤鳳隊はどのような形で戦を終わらせようとしているのだろうか。

「ぼくもひとつ聞いていいですかね。乾さん」

「なんだ?」

「赤鳳隊が反乱軍とつながってるって本当ですか。そういう噂を聞いたんですけど」

「ずいぶんストレートな質問だな」

 乾さんは苦笑した後、しばらく黙りこんだ。沈黙は肯定ということなのかな。言うべきかどうか迷っているのか。しかし彼はしばらくして口を開いた。

「ここだけの話だが、反乱軍の連中にも知り合いはいる。情報交換をすることもある」

 個人的なつながりなのか、組織的に提携を結んでいるかまでは言わなかった。乾さんはぼくを通じていま白虎学園の情報を手に入れたのだし、そういう意味では政府軍ともつながっているとも言える。ぼくがまだ政府軍の人間である以上、あまり突っこんだ情報は明かせないのかもしれない。ぼくも白虎学園の仲間を危険にさらす可能性があるようなことまでは言えなかった。お互いに衝突が避けられればそれでいい。少なくとも今は。

 門限の時間が迫ってきた。ぼくらはまた会う約束を交わし、町の入口で別れた。

「いい返事を期待してるぜ。縁人。待ってるからな」

 次の再会が、戦場でないことを願うばかりだ。

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