余命十八年の恋
リョウ
第1話 十七歳最後の日
ずっとこのまま……今日だったらいいのに。
そう願わずにはいられない。だって私はもうすぐ死ぬから……。
でも、そのことを知っているのは両親や親戚の人たち、それから病院の人たちだけ。だから私はこのまま誰にも何も知られないまま消えるんだ……。
悲しいとか、そんな感情は生まれてこない。これが私の
だが、この年になるまで三ヶ月に一度『絶対に病院にいく』なんて普通に考えればおかしいことが当たり前だった。友達は周期的に病院に行くことはないと言っていた。だから私が普通じゃないということはうすうす気がついていた。しかし、それがまさか十八で死ぬ病気だなんて思ってもいなかった。
「明日で十八歳か」
上半身がきれいに写る大きな鏡がある洗面所。鏡に映る自分を見て、憂いを帯びた声でそう零す。
「そうね」
「それじゃあ明日はお祝いだな」
扉を隔てた向こう側、リビングにいる両親がそう話す。
「ならお父さん、明日は早く帰ってこれる?」
両親の話す声はわざとらしいほど元気なもの。それが妙に切なくて、いたたまれなくて、あふれ出しそうになる涙を隠すように顔を洗う。
「もうご飯できてるわよ」
「うん」
お母さんの声にそう返事し、手早く髪を結いリビングに戻った。
リビングに戻るとコーヒーのほろ苦い香りが鼻腔をくすぐった。
私はダイニングテーブルに並べられるまだ湯気の出ているコーヒー、程よい焦げ目のついたパン、それから目玉焼きを一瞥し、席に着く。
「いただきます」
そう零してからパンにかぶりつく。
「女の子なんだからもう少しきれいに食べなさいよ」
いつものようにお母さんは私の食べ方に口を挟む。
「家だからいいの。てか
「まだ寝てるわ」
あきれ気味にそう零すお母さんにお父さんが訊く。
「学校間に合うのか?」
「知らないわよ」
貴也は私の三つ下の弟で、現在は中学三年だ。
「あいつはいつもそうだな」
お父さんは読んでいた新聞を置き、
「起こしてくる」
そう残し二階へ上がっていった。
その間に朝食を食べ終えた私は歯磨きをする。それから学校側に文句を言われない程度の軽い化粧をしてから家を出た。
「おはよー」
傘を片手に派手な装飾品をつけた鞄を持つ華奢な女子が声をかけてくる。
「おはよ。今日ははやいね」
「おねぇがうるさくて起きちゃったの」
美羽ちゃんは苦笑気味にそう言う。
「お姉ちゃんかー。ちょっと憧れるなー」
「どこが!?」
私がそう言うと、美羽ちゃんは薄茶色の大きな瞳をさらに大きく見開き驚く。
「同性だし、色んな話できそうじゃん」
「あぁー、それは夢のまた幻だね」
「なんでー」
「ねぇなんて居ないほうがマシだね。あんな横暴なゴリラ知らないわ」
美羽ちゃんは表情をころころと変えながらお姉ちゃんの話をする。だが美羽ちゃんの学校で出る話題の二割はお姉ちゃんのことだから、仲は良いのだろうなと思う。
「でも弟よりはマシだね」
「えぇ、なんでよ。貴也くんかわいいじゃん」
「どこがよ。あんなくず知らないわよ」
こんなやり取りをしているうちに学校に着く。自席はクラスの男子が転校生席と呼んでいる教室の出入り口に一番遠い一番後ろ。そこに鞄をおいて座る。
「さすがはいいんちょー。遅刻しないのな」
「当たり前でしょ?」
前の席の黒縁眼鏡を掛けた男子は楽しげにニヤニヤしながら人差し指を立てる。
「当たり前のことを当たり前にこなすのが一番難しいんだよ」
「誰の言葉よ」
「知らん! でも、そのとおりだと思うよ」
「それを言うなら岡本くんだって、いつも私より来るの早いじゃん」
そう言うと岡本くんは眼鏡をくいっと上げ、少し照れたようにうつむき
「吹奏楽部の朝練があるから」
と答えた。
話しているうちに教室には人が集まり始め、担任の先生まで来ていた。
「澪」
「何?」
右隣の席の
「お箸二本ある?」
「一膳しかないよ? どうかした?」
「実は、お箸を忘れてしまったようで。良ければ一本貸してほしい」
だが実はちょっと天然ちゃん。話してみれば面白いのだけど、容姿で敬遠されちゃってるんだよね。
「私、さすがにお箸一本ではご飯食べられないよ」
「私はいけるぞ?」
「みこっちゃんはいけるかもだけど、私はむりー!」
「それは困ったな」
朝から昼食の話をするって変な感じ……。
そう思いながら私は口を開く。
「私が食べ終わったら貸してあげるよ」
「ほんと!? ありがと! 助かるー」
食堂に行けばお箸は貸してもらえるはずだが、みこっちゃんはとにかく食堂を嫌う。理由は知らないが、いきたがらない。
「でも、私が食べ終わるまでは待っててね」
「うん。待つ待つー。待ってるー」
安堵の笑みを浮かべながらそう言ったとき、ちょうど始業を報せるチャイムが鳴った。
「よーし、朝会始めるぞー」
少し小柄の男性で野球部の顧問をしている武中先生が教卓の前に立つ。
「とりあえず、昨日は勝ててよかった」
いきなり何の話かと思うだろう。しかし、私たちは毎日のことだから慣れっこで何を言っているのかわかる。
「何を隠そうとやっぱり糸井だ。七回裏の糸井のタイムリーツーベース。あの瞬間はしびれたぜ」
ここでわかる人もいるだろう。そう、武中先生は大の阪神タイガースファンで毎朝昨日の試合の感想を言うのだ。
「今日はメッセが投げるらしいからな。楽しみで仕方がない。ということで今日の報告はない」
ほぼほぼメインが阪神の話だったな。そう思った瞬間、
「御影は今日放課後に委員長会議があるから。図書室へ行ってくれ」
「えっ。私だけですか?」
委員長は私だけじゃない。女子が私で、男子で中筋くんがいる。なんで私だけ?
その答えに答えるように、武中先生は教室の真ん中の列の後方を指差す。確かあの辺りが中筋くんの席だったよね……。
そう思いながら視線をやると、空席が一つだけあった。
「えっ、休み?」
「そういうことだ。だから、すまんが一人で頼むわ」
武中先生はそう残し、教室を後にした。
四時間目まで終え、お昼休みとなる。
「やっと昼だな」
「うん、そうだね」
前の席から岡本くんが話しかけてくる。みこっちゃんにお箸貸さなきゃだから早く食べないと。
鞄の底のほうから弁当箱を取り出しながら答える。
「パン買いに行くんだけど、藤生さんお箸取って来ようか?」
「いや、結構です」
「何でそんなに改まってるの?」
岡本くんは彼の人柄と吹奏楽部という女子の多い空間に慣れているからか、男子がビビッてしまいそうなオーラを放つみこっちゃんに臆することなく話しかける。
「別に改まってないけど」
口先を尖らせるみこっちゃんに岡本くんは楽しそうな笑顔を浮かべ、
「あっそう」
と残して教室を出て行った。
幼稚園児が持っていそうと思えるほど小さめのお弁当箱の半分に白飯が詰められ、残りの半分に卵焼きとウインナーと昨日の夕ご飯の残りである唐揚げが入っている。
私はそれをいつもより少し早いスピードで食していく。味はいつも通り。お母さんが早起きして作ってくれた。あぁ、あと何回これが食べられるのかな。
お父さんやお母さんが私が悲しくならないように、普通に生活してくれてる。それがひしひしと伝わって来るから、私もそれに応えなくっちゃって元気な振りをしてたのに……。不意に感じた切なさに苦笑を浮かべ、悲しさとともにご飯を口の中へと押し込んだ。
「はい。食べ終わったから使っていいよ」
「ほんとにありがと!」
水道水で軽く箸先を洗ってからみこっちゃんに渡す。友だちでもマナーは大事だからねっ!
みこっちゃんは本当に嬉しそうに微笑みながらお箸を受け取ると、鞄の中からお弁当箱を取り出した。
「藤生さん弁当なんだ」
「何よ、悪い?」
昼休みがはじまって20分程が過ぎ、ようやくありつける昼食を妨げるかのように話しかけた岡本くん。みこっちゃんはお弁当箱を開きながら悪態をつく。
「意外だなって思って」
「バカにしてるわけ?」
嘆息気味にそう吐き捨てながら、みこっちゃんは白米を口に運ぶ。
「みこっちゃんは自分で作ってるの?」
「そうだけど」
美味しそうに頷きながら食べるみこっちゃん。
「藤生さんが料理できるとか……変な感じだわ」
岡本くんはお気に入りのチョココロネを食べながら笑う。
「ふざけんな!」
そんな岡本くんにみこっちゃんはパンチを食らわせた。
「でも、私も意外だと思う」
「何? 澪まで私のことバカにするわけ?」
「そ、そんなんじゃないよー」
冷たい視線を浴びせてくるみこっちゃんに慌ててそう口にする。
「じゃあ、どういうことよ」
口先を尖らせそう言い、弁当に入っていた卵焼きを食べる。
「だってみこっちゃん、お父さんと2人暮しでしょ?」
「そうだよ」
「毎朝早く起きて弁当入れるのって絶対大変だと思う。だって私はその時間寝てるし……。でもそれをちゃんと毎日やってるみこっちゃんが凄いって思って」
「何よ……。そんなこと言っても何も出ないわよ?」
ごにょごにょと嬉しそうに言葉を零しながら上目遣いで私を見る。
「何か出して欲しいわけじゃないよ。この歳で自分のことを自分でやってる人が近くにいるなんて驚てるだけ」
「ありがと」
そう呟いたみこっちゃんに、私は小さく頷いた。
「まぁ、岡本は後でシバキだけどね」
「なんで俺だけ!」
「何となく。うざいから」
「ふざけんなよー」
そう笑い合っているうちに、みこっちゃんはお弁当を食べ終え、5時間目が始まった。
そしてすぐに放課後は訪れる。
「御影、頼んだぞ」
「分かってますってー」
武中先生からお願いにそう返す。
「そんな変な顔するなよ」
「変な顔なんてしてません!」
楽しそうに私をからかう武中先生にビシッとそう言ってから教室を出て、私は図書室へと向かった。
図書室には細かに分類された本棚が並んでいる。伝記、参考書、日本書物、外国書物等が揃えられているが、私は本に興味がなくどれもあまり読んだことは無い。
てか本を読むのが好きじゃないんだよね。本読む時間あるならもっともっと色んなことがしたいの。もちろん本を読むのが悪いことなんて言わないよ。でも、私は特殊だから。それにお母さんたちも本読めとか、勉強しろ、なんて言わなかったしね。
そんな本棚の合間を縫うようにして通り抜けるとその奥にある自習室コーナーへと出る。
「うへぇー。すごい人」
そこに並ぶ人たちを見て思わず声を洩らす。如何にも委員長って感じの人たちが本を片手に、委員長会議が始まるのを今か今かと待っているように見える。それに加えこの人の量。私たちの学校はこの辺りでは1番大きな学校で、3学年各クラスの代表2名が揃うと60名が集まることになるのだ。
「最後だぞ」
「あっ、すいません」
渋い顔の男性が私にそう放つ。ぺこりと頭を下げ謝罪をしてから空いている席に腰を下ろす。
「男子は?」
「今日休んでます」
「そうか。なら始める」
恐らくこの渋い顔の人が委員長の委員長なのだろう。顔に似合わず高い声の男性は手短な挨拶を済ませてから本題へと入った。
内容は難しいものでは無い。約1ヶ月後の6月の下旬に開催される文化祭についての話し合い。私は生きてるか死んでるかも分からない。だからこそ、委員長同士が楽しそうに、文化祭を想像して会話をしているのを見ると何だか場違いな気がして、それでいて虚しくなった。
あぁ、ここに私はいないんだ……。
慣れているはずなのに。両親から病気を告げられてからは慣れたはずなのに。久しぶりに感じる切なさ。
「3年3組はどう思う?」
「いいと思いますよ」
何がいいのかなんて全く分からない。でも、私には関係の無いことだから。
担当医の石井さんにはできる限り全部を楽しんで、なんて言われたけどそんなの無理だよ……。それに私がここに強く存在をアピールするとみんなが私を覚えちゃう。私を覚えて悲しくなる人がいるかもしれない。私はひっそりといなくなりたいの……。
「だから無理だよ」
小声で誰にも聞かれないように呟く。
「何か言ったか?」
しかし委員長の委員長には届いたらしく聞き返してきた。私は小さくかぶりを振り俯いた。
大した内容は決まらなかった。開催日が6月27日でスローガンが"Be together as one〜心をひとつに〜"に決まったくらいだ。
「それをわざわざ『男子委員長にも伝えておいてくれ』なんて言う? てかなんで私が名前しか知らないような人の家に行かなきゃならないのよ!」
いつもは通らない通学路を歩きながら少し荒れた口調で吐き捨てる。
「てか、武中先生も武中先生だよ! 普通女子1人で男子の家に行かせる? 絶対間違ってるよ!」
そんなこと言いながら、武中先生から貰った中筋くんの家までの地図を見て歩を進める。学校からおよそ15分歩いたところ。
「嘘でしょ……」
そこには思わずそう零してしまうほど大きなマンションがあった。
絶対武中先生間違ってるよ! こんなの普通の高校生が住んでいい場所じゃないって! てかここで待ってると芸能人とかスポーツ選手とかと会えたりするんじゃないの!?
「何してるの?」
そう思いながらマンションを囲む茂みに隠れていると、不意に背後から声がかかった。
「きゃっ」
「あ、すまん。驚かせるつもりはなかったんだが」
ボソボソと紡がれる声は低く、どこか安心感を覚えるような声だった。
「え、えっと……中筋くんであってる?」
「あぁ、うん」
小柄な男子だな。色の白い肌、長く伸びた前髪で隠した目は陰気な雰囲気を漂わせている。
「今日、学校来てなかったよね?」
「病院の日だったから」
紺色のジャージ姿の中筋くんは、右手に提げたビニール袋を私に見せながら言う。
「どこか悪いの?」
心配になりそう訊くと、中筋くんはわかりやすく機嫌を悪くし「別に……関係ないじゃん」と吐き捨てる。
「ごめんなさい。そういうつもりじゃなかったの」
「あっそ。で、何か用?」
中筋くんは素っ気なくそう言うと、ポケットに手を突っ込む。同時にジャラジャラという音がする。
「うん、これ」
私そんなに悪いことしたかな。病院のことを聞かれれば少しは嫌になるかもだけど。ここまで露骨に嫌な顔しないでもいいじゃん。
そう思いながら鞄の中からクリアファイルを引っ張り出し、その中からプリントを1枚取り出す。
「なにそれ」
「今日委員長会議があって、その詳細的な?」
「わざわざ持ってきたの?」
気怠げなトーンで言う中筋くんに、私だって持ってきたくて来たんじゃないですー! って言いたい気持ちを抑え、
「先生に言われたからね」
と苦笑気味に言う。
「へぇー。真面目だね」
「そうかな。それよりも中筋くんはどうして委員長になったの?」
「そんなの知ったところでどうするの?」
冷たくそう言い放たれると、深追いが出来なくなってしまう。紡ぐべき言葉が思い浮かばず押し黙る私に、中筋くんは背中を見せる。
「まぁとりあえず、これありがと」
プリントをヒラヒラとさせながらそう言い、中筋くんは大きなマンションの中に入っていった。
……何なの。ほんとに何なの!? 持って行って上げたのに、中筋くんのあの態度は何!?
そりゃあ私もプライベートな部分に踏み込みすぎちゃった節はあるかもだけど。それでもあの態度は酷すぎでしょ!
グツグツと湧き上がる中筋くんに対する怒りを胸中で吐き捨てているうちに自宅に着いた。
靴を脱ぎ、リビングに入り、キッチンに立つ。それから薬を飲む。
僅かな時間でもこの世で生きるために、私は副作用で強い睡魔が襲う効力の強い薬を服用する。
──そこまでして生きたいかな。
今まで何度そう思っただろうか。でも、お父さんやお母さん、友だちの顔を見て話す度に、この世への未練が生まれる。
「誕生日……か」
リビングにかかるカレンダーに明日5月26日に大きく丸印が付けてあり、その丸の中に"澪ちゃんHappy Birthday"と書かれている。
あと何日──。あと何時間──。私はこの世で息をしていられるんだろう。
死ぬことは分かっていた。でもそれがすぐそこまで来ていると分かると急に怖くなり、悲しくなり、未練たらしくなる。
いつ眠ってしまってもいいようにソファーの上に転がった私の頬には生暖かい一筋の涙が零れた。
「嫌だなぁ。ずっとずっとみんなと一緒に居て、成人式もいって、結婚もして、子供も産んで……幸せに暮らしたいよ」
視界が涙に濡れて歪む。胸がきゅっと締め付けられるような感覚が襲い、とめどなく涙があふれる。
あの時は全然そうじゃなかったのに……。明日死ぬかもしれないって思ったら、やりたいことがどんどん浮かんでくる。
それからしばらくして、私は眠りに落ちていた。
そして誕生日の夜。お父さんはいつもより早く帰ってきて、豪華なご飯を囲っていっぱい話した。今までにないくらい話して笑った。誰もなかった。でも、お父さんとお母さんの目は真っ赤に腫れていた。
ごめんなさい。
その言葉だけが私の中を駆け巡った。
憂鬱な気分を抱えながらお風呂に入り、その後にホールケーキを食べた。ケーキはシンプルなイチゴののったものだった。甘いクリームとイチゴの甘酸っぱさが絶妙にマッチしていて、とても美味しかった。
「ありがと。ご馳走様」
ケーキが取り分けられたお皿が空になったのを確認してからそう告げ、私は自室へと戻った。
シンプルなデザインでまとまった部屋の最奥にあるベッドに転がる。電気は付けてないので真っ暗だ。
世界の終わりってこんな感じなのかな?
死んだ後ってどうなるんだろう?
終わりのない問いを自分にかけながら私は目をつぶった。
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