第24話 「やしま」出航!

 彼らを乗せた車が到着した場所は、漁船などは一隻も停泊していない薄暗い港だった。車から降りた荒木は海音を連れてある建物に入る。裏口から入って通されたのは会議室。荒木は躊躇うことなく、勢いよく扉を開けた。


「部長! 海のスペシャリストを連れて参りました」


 ドアを開けてすぐ荒木が叫ぶように言うと、多くの視線が一斉に海音に向けられた。海音は思わず「ひゅっ」と声を漏らした。そこにはどこかで見た制服と作業服を着た男たちが一堂に会していたからだ。


「荒木くん、そちらは?」


 黒の制服を着て、会議テーブルの上座に座っている男性が海音の顔を見てそう言った。荒木は敬礼をしてから一歩前に出て、海音の事を紹介し始めた。


「彼女は理学研究員で海洋生物学を学ばれ、現在、日本の海における海洋生物と生態、環境に関する研究をされております、間宮海音まみやかのんさんです。特にこの辺りの海域に精通しております。捜索の助けになるのではと、勝手にお連れしたしだいであります」


 荒木がここで言う部長とは、なんと第七管区海上保安部のトップであった。

 荒木が言い終わると海音はさっと頭を下げた。何か言わなければ荒木は罰せられるかもしれないと慌てる。


「突然すみません。あの、船酔いはしませんし、泳ぎにも自信があります。何かお役に立てれば」


 一般市民である海音は、まともに捜索の手伝いができるとは思っていない。でも、ひょっとしたら何か役に立てるかもしれない。その可能性にかけたのだ。


「なぜ、一個人いちこじんの方が我々職員の捜索の手伝いをしようと思ったのですか」


 男性が言うその言葉に合わせて、多くの無言の視線が海音を刺す。こんな小娘がなんの役に立つというのか、甘ったるい空気を持ち込むんじゃないと言われているようにされ感じ取られる。そばに立つ荒木はひたすら冷や汗を拭った。

 そんなとき、救いとも思われる言葉が海音に向けられた。


「彼女、本庁によく来ていますよ。海洋調査届の手続きでお見かけします。酒井教授には大変お世話になっております」


 一人の職員が海音を知っていると言わんばかりに声をかけた。


「あっ、その節は。いつも迅速なご対応ありがとうございます」


 そのやり取りを見ていた保安部の部長は少し考えてからこう言った。


「一刻の猶予を争いますので参加を許可しましょう」


 部下たちのやり取りを見ただけ、身分の確認なしに海音を捜索に加えてしまった。思わず礼を言ってしまった海音に保安部長は僅かに頬を上げた。


「礼を言うのはこちらです。安全のため職員の指示に必ず従ってください」

「は、はい!」

「では、もう一度説明してください。捜索方法とこの海域の特徴を。間宮さんでしたか。違うと思うところがありましたら、ご指摘願います。出航は一時間後です」


 思わぬところから援護射撃を得た海音は勝利の捜索に参加する事になった。





 ミーティングが終わると、荒木は海音に作業服を渡した。紺色の海上保安庁の作業服と白いヘルメット、そしてオレンジ色の救命胴衣だ。船の上では職員と同じ格好をすることが条件に挙げられた。上空には海上保安庁とは別に報道ヘリが飛んでいるらしい。今回は緊急で特別なので一般人を乗せている事を隠す目的もあったかもしれない。


「救命胴衣は自分でつけられるね」

「はい」

「甲板員の斎藤くんが君についてくれる。彼女に従ってくれ」


 荒木の後ろに瞳の大きな栗毛ショートカットの可愛らしい女性が控えていた。彼女は一瞬だけ笑うと海音の前に来た。


「斎藤睦海むつみといいます。ヘリコプターの誘導や整備、甲板全般の仕事をしています。よろしくお願いいたします」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

「ここにいる者はみんなプロフェッショナルですから。女性とか男性とかで差別はしません。では、行きましょう」

「よろしく頼んだよ、斎藤くん」

「はい、ご安心ください」


 荒木は巡視船やしまに乗船した海音を斎藤に託し、自分の持ち場へと戻った。


 まさか一般市民を乗せて捜索に出るとは、さすがに誰も思っていなかった。しかも、どこをどう見ても保安官とはほど遠い、柔らかい空気をまとった女性だ。


「間宮さん、冷えますよ」

「大丈夫です。わりと慣れているんですよ。それに船内なかにいても落ち着かないので」

睦海むつみでいいです。斎藤は他にもいるので」

「では、睦海さん。私のことは海音かのんと呼んでください」


 目的地周辺につくまで、二人はこの海域の話や互いの仕事の話をした。睦海は子供の頃から飛行機や船が好きで、どちらも堪能できる仕事を探していたらしい。船にも乗れて、飛行機も触れて、人のためになる仕事。それが海上保安庁の巡視船甲板員になる決め手だったという。


「でも、海上自衛隊もそういった仕事できますよね? どうして海上保安庁だったのですか」

「私が高校生の頃、友人がサーフボードごと波にのまれちゃって。台風が過ぎた直後だっんですよ。その時助けてくれたのが特殊救難隊トッキューと呼ばれる人たちでした。彼らの手でヘリコプターに吊り上げられ、私の友人は助かりました。友人は大事なボードを無くすした上に、危険行為だと叱られて落ち込んでいました。たくさんの人に迷惑をかけたから、もうサーフィンはやらないって」

「やめたんですか?」

「そのとき助けてくれたトッキュー隊員さんが、海の怖さを知ったんだから後輩に君が教えてあげるんだぞって。その経験を活かして頑張れよって言ってくれたんです。彼女、今はアメリカでプロのサーファーです」

「すごい」

「私もそんな人になりたいなって。そんな彼らを支える仕事がしたくて海上保安庁を選んだんです。その時のトッキューさんが、行方不明なんですけどね」


 斎藤がそう言うと、「勝利さんが!?」と海音が過剰に反応した。睦海はそれで確信する。この女性が五十嵐隊長の婚約者だと。

 もし海上保安部が私情を挟んで一般人を捜索に巻き込んだと知れたら、七管区のお偉いさんたちは懲戒免職ものだろう。それでも彼女を乗せた。そこまでする価値がある人間なのかと睦海は驚く。


「五十嵐隊長の婚約者は海音さんでしたか。知らずに申し訳ございません」

「あっ、いえ」


 睦海の一言で海音の血の気が引いた。それを見て睦海は慌てて言葉を探す。


「だ、大丈夫です。知らなかった事にしますから。海音さんは海洋生物の研究員です。我々職員の捜索にご協力いただき、ありがとうございます!」

「いえ、そんな。私こそ申し訳ございません! まさか睦海さんのご友人を助けたのが彼だったなんて、驚いてしまって」

「ですよね。世界は狭いです。さあ、そろそろ目的の海域に入ります。頑張りましょう」

「はい!」


 雨はなく、雷鳴も去り、いつもの玄界灘が広がっていた。やしまが照した灯りが、周辺の海の状況を映していた。


 勝利が海に残ってから間もなく12時間が経とうとしていた。泳いで向かったはずの対馬に上陸したという情報はない。救難に優れた隊員が方向を失うほどの天候は荒れた。波は勝利をどこまで攫ってしまったのか。ここから対馬まで10キロもない。確かに対馬に向って泳いだなら、あの時の海面はどうなっていたか。三角波が鋭く立ち上がり、四方からその波の槍が躰を突き刺していただろう。


「潜る?」


 海をじっと見ていた海音が独り言のように呟いた。


「睦海さん。潜水士って酸素ボンベ無しでどれくらい潜れますか?」

「酸素無しで? えっと、確か8メートルくらいだと聞いたことがあります」


 海音は睦海に当時の天候状況と救護している時のデータがないかと聞いてきた。


(婚約者の顔をしていない。プロの顔だわ……)


 睦海は海音の目を見て決めた。


「間宮さん」

「はい」

「私がその時の様子をお見せします。ただし、この事は私とあなたと二人だけの秘密です。その代わり、必ず五十嵐を見つけてください。七管の宝、なので」

「はい。分かりました」



 睦海は船長室に海音を案内した。

 小さなモニターに当時の救助風景が映し出される。それは救難艇とびうおから撮影されたものだ。男性が救難士と共にヘリコプターに吊り上げられていく。風が煽るように二人を揺らし、ヘリコプターもグラグラ機体を振りながらホバリングしていた。その下でワイヤーを引っ張る男。それが勝利だった。


 ザブザブと波を被りながらもワイヤーを引く勝利の姿。二人が収容され勝利も吊り上げられていく。しかし、下から舞い上がった風に激しく揺さぶられて、勝利は動きを止めじっと上を見ていた。ヘリコプターの状況が心配だったのだろう。次の瞬間、勝利はワイヤーを外し落下した。落下した勝利は手で何かの合図を出して確かに対馬に向って泳ぎ始めた。そこで映像は途絶える。


 睦海が海音を見ると、ショックからか彼女は手で口を押さえていた。しかし、目を背けるどころかその映像を食い入るように見ている。


「このあと雷鳴が激しくなりまして、通信が一時的に途絶えました。僅か2分です。その2分で我々は五十嵐を見失いました」

「2分ですか。海流と水温のデータも拝見します」


 対馬に向って泳いだはずの勝利はどこに行ったのか。海面では進むことが困難になり、もしかしたら潜水が出来る勝利なら待避するために潜ったかもしれない。その海底ではどうなっていたのか……。


「対馬暖流」


 海音が小声で呟きながら海図を覗き込んだ。

 九州北部から日本海を北に向かう海流がある。勝利らが男性を救出した場所、対馬までの距離、そしてその海流にそって海音は指で海図を辿った。


「ご存知と思いますが、この辺りは流れが複雑で一定ではありません。ぶつかり合って渦ができやすいので、それに巻き込まれると逆らうのは困難です」

「海音さん! 対馬には辿りついていない。そういう事ね」

「恐らく。幸い周辺には小さな島がいくつかあります。その島の何処かに」


 そこまで二人が話していると、突然低い声が部屋に響き渡った。


「なるほど。空からも範囲を広げて捜索させよう。間宮さんは少し休んだほうがいい」

「ぶぶ、部長!」


 睦海は焦りと驚きで硬直した。まさか部長までもやしまに乗っているとは思っていなかったのだ。


「あははは。可愛いお嬢さん二人はなかなか良い仕事をしてくれる。さあ、持ち場に戻るんだ」

「失礼しました!」



◇ 



 そして全員が眠れないまま朝を迎えた。東の空が白み始め海面が闇の色から少しづつ色を取り戻し始めた。それを海音は晴れない表情で見つめていた。そんな海音に睦海は声をかける。


「海音さん」

「睦海さん」

「上に行きますか? 救難艇と救難ヘリの出動準備に入ります。部屋にいてと言っても無理でしょうから」

「ありがとうございます」


 睦海は海音を誘い、船の甲板に上がった。搭載されていたヘリコプターがまさに、エンジンをスタートさせたところだった。そのヘリコプターから一人の女性が降りてきたのを見て、海音は自分の目を疑った。何故ならば、あまりにも隣にいる睦海と似ていたからだ。


「睦海! こっちはいつでもオッケー。あ! あなたが海音さん!? 隊長を連れて帰ることが出来なくてっ、すみません!」

「えっ。あの」


 その女性が突然、海音に深々と頭を下げた。


「私は五十嵐隊長とチーム組んでいます斎藤愛海まなみと言います。救難ヘリコプターを操縦しています」

「愛海、今度はちゃんと連れて帰りなさいよ!」

「わかってるわよ!」

「あのお二人は」

「「あっ、ごめんなさい。私たち双子の姉妹なの」」


 斎藤睦海と愛海は双子との姉妹。睦海は甲板員で愛海が救難ヘリコプターのパイロットだ。海音は驚きを隠せずにぽかんと口を開けていた。


「驚かせてごめんなさい。五十嵐隊長は絶対に大丈夫ですから!」


 愛海の力強い言葉に励まされたのか、海音は少しだけ笑った。

 その時、地平線から太陽が顔を出し三人が目を瞑るほどの眩い光が広がった。目を細め逆らうようにその先を見つめる。その見つめた先に浮かぶなだらかな山の形をした島。その影がゆっくりと浮かび上がる。


「あれ、あの島っ!」

「「海音、さん?」」


 常に控えめだった海音に何かが宿る。


「あの島に、五十嵐勝利がいます!」

「「ええっ!!」」

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