第22話 機動救難士、出動!

 第七管区海上保安庁本部にて、勝利は意を決した表情で部長の前に立っている。先の海賊対策から帰還して間もなく、新たな年度を迎えようとしていた。それに伴い、新たに組織の編成が行われる。海上保安学校を卒業した新人職員も各部署に配属されることも決定した。


「五十嵐くん。以前の聞き取り調査と変わっているが、これでいいのだね。もう変更はきかないが」

「はいっ! 変更ありません!」

「分かった。我々としては正直こちらの方が有り難いんだよ。若者の育成を急ピッチに進めねばならんし、彼らの手本になってもらいたい。あぁ、それから、結婚の話は進んでいるのかね」

「え! あ、まあ。恐らくこれで進むはずです。なんせ、俺より芯が強いので」

「は?」

「いえ、よろしくお願いいたします!」


 部長室から出た勝利は緊張を少しづつ解くように、ふっと息を吐いた。まさかこんな展開になるとは想像していなかった。同じ過ちを避けたくて、陸に上がろうと決めた。だから、現場での任務から離れようと気持ちに整理をつけたのに……。


(気持ちを作り直すのに結構時間かかったぞ。これも歳のせいなのか。ま、確かに昔よりは慎重にはなったよなぁ)


 海音の「ショウさんとのエッチを断つ」発言には本当にまいっていた。目の前に、すぐ隣にいるのに、手も繋ぐしキスだってするのにその先は断固として許してくれない。生き地獄とはこの事かと勝利は嘆いた。



『なぁ、海音』

『んっ……だーめっ。まだ私、オレンジ色のショウさん見とらんもん』

『マジかよぉ、俺このままじゃ死ぬかもしれんぞ』

『死なんって。筋トレ! 筋トレしたら紛れるって聞いたよ? 筋肉つけとかんと助けられんやろ』

『かのんー』

『ショウさん。私も我慢しとるとよ? や、触っちゃだめ』



 だからと言うわけではないけれど、そこまで自分の価値を高く見積もってくれている海音に応えたい。それに、本当はこの道に戻りたかったのだ。


 勝利は新年度より航空基地にある、機動救難チームへの異動を希望した。特殊救難隊とやることは同じだ。元特殊救難隊トッキューとしての経験を若い隊員に伝えるため、隊長としての任務に就くことが決まった。一度断った話を、もう一度受けた形となったのだ。


ーー ショウさんのオレンジが見たい!


(まったく、してやられたな。海音には俺の心はお見通しだったってことか)


 正直、海音と夜を営めないのは本当に死にそうだと思った。強すぎる煩悩は体力強化だと誤魔化して、ハードな筋トレで浄化した。


(くっそ! くっそ! まるで修行だな。いやまてよ……僧侶の方がよっぽど、よっぽど本能で生きているだろー!!)





「行ってくる」


 機動救難士として航空基地勤務になった勝利は、住まいを市内に移し海音と一緒に暮らし始めた。もちろん、海音の両親には許可を得ている。


「気をつけてね。けど、出勤の時は前と同じなんだね。オレンジの服、着らんのや……」

「当たり前だろ。マンションからオレンジのヤツが出て来たら、何事かって驚くだろう」

「んふふ。それ、面白い」

「まったく、海音はのんきだな」

「ねぇ。無事に救難のお仕事に戻ったからお祝いするね。あとこれからのショウさんの安全祈願もしちゃう」

「そんなのいいから、もう解禁しろよ。じゃないと俺のコレ、そろそろ使い物にならなくなる」

「やだぁ。ふふふっ、了解しました! 隊長!」


 可愛らしく敬礼をしてきた海音に、勝利は心の中ではガッツポーズをする。


(ヨッシャ! 勤務明けたら解禁だ!)


「じゃあまたな。行ってくる」

「ん」


 行ってらっしゃい、行ってくるとキスを交わして、勝利は玄関を出た。


(さーて、ビシバシ鍛えてやるかっ!)






 そして、航空基地。

 既に顔合わせは済ましてあり、いつでも出動できるようチームで何度も訓練を重ねた。昔と違って男の職場だったここも、女性保安官が増えた。航空機の操縦士、マーシャラー、整備士、管制と女性の活躍が目立つ。しかし、救難士となれば別だ。そこだけはむさ苦しい男の世界だった。



ーー緊急出動要請。対馬沖つしまおき航行中の漁船が故障、船員1名が行方不明。点検作業中に転落した可能性あり。


「通信班、うみかもめからの情報共有を頼む! 救難チームは俺に続け!」

「了解!」


 中等飛行機うみかもめが現場海域上空を飛行している。要救護者を発見した場合、機動救難士による吊り上げ救護か、巡視船からの救護かを見極めるためだ。どのように救護をするのかで、その後の対処も大きく変わる。

 勝利は航空基地にて、救難士を率いる隊長としてこの春から任務にあたることになった。海音が望んだオレンジ色の制服を着て、まさに任務真っ只中。潜水も可能なウェットスーツを着用した。


ーー現場位置確認。34.42/139.30 風速15ノット……


「頼むぞ、機長さん」

「隊長、大丈夫ですって。ご指示通りの機動をしてみせますから」

「頼もしいな」


 救難チームが乗り込む救難ヘリコプターの操縦は、数少ない女性パイロット。斎藤愛海まなみ31歳が行っている。栗毛のショートカットでサバサバした性格。見た目はボーイッシュにまとめているけれど、瞳の大きな可愛らしい女性だ。


ーー 救難チーム出動! 


「行くぞ!」

「はいっ」


 救難ヘリコプターに乗り込むのはパイロット二名、通信士、救難士(救急救命士含む)僅か数名である。事故の内容によっては巡視船に着艦して作業することも有る。


「事故の詳細はどうなっている」


 機内では交通センターから送られてくる情報を聞きながら作戦を考える。途中、対馬管轄の巡視艇やえぐもから通信が入った。現場上空の視界は良好だが、波が高く要救護者の発見に未だ至っていないということだった。中等航空機うみかもめからも内容は同じだった。


「隊長、風が」

「出てきたな」


 波が高いと言うことは風もあるということ。転落した船員は救命胴衣を身に着けているだろうか、泳げる者なのか、真っ直ぐ海に落ちたのか、落ちるときに何処かに躰をぶつけていないか。様々なケースを想像した。


愛海まなみ! 現場についたら分かっているな」

「承知しています。隊長には出来ないは通じないと知っていますから」

「おう、宜しく」


 救難の鬼と呼ばれた男がこの七管区に戻ってきた。若い世代は知らない、この救難の鬼は隊員の弱音を一切聞かない吐かせない事で有名だった。救えない命はない! 諦めるな! の精神は健在だ。


 航空基地を飛び立ってから10分で現場付近に到着。空は雲が広がり海はうねりを伴い始めた。勝利の顔が険しくなる。山の天気は変わりやすいと言うけれど、海だって同じことだ。小さな島に目をやると白波がたち、激しく岩を叩いていた。


(どこにいるんだ……頼む、浮いていてくれ)


「要救護者、発見。北西に5キロ、急行せよ。救命胴衣はなし。巡視艇やえぐもが投げた浮輪を辛うじて持っている。船への引上げ困難。体力、かなり消耗している模様」

「了解! 降下準備!」

「はい!」

「愛海! ブレるのは構わないが、ひっくり返すなよ!」

「了解っ」


 上から要救護者の姿が見えた! 赤い浮輪に捕まって波の上下運動になんとか耐えていた。

 まずは勝利が降りて要救護者の安全を確保する。その後、吊り上げ作業をする隊員が降下し要救護者を抱えヘリコプターに収容する流れだ。ヘリが保てるギリギリの高度を指示した。あまり下がるとヘリコプターの風圧で波が立ち、それに煽られて溺れてしまうからだ。


「隊長! ホバリング時間10分です!」


 風の状況と燃料、救出後の搬送と帰還を考えるとここに留まることが出来るのは10分が限界であった。


「分かった」


 カチャと安全フックを器具に取り付け、サイドドアを開けた。


「安全フックよし! 降下地点確認よし!」 


 声に出し、指差し確認をして勝利は目標に向かって降下し、着水。素早く要救護者のもとに泳いで行くと、後ろから抱えた。


「大丈夫ですかー! 海上保安庁です。聞こえますか。今からあなたをヘリコプターまで吊り上げます!」


 男性は疲れ切っており、うんうんと小刻みに頭を縦に振るだけだった。勝利が手で合図すると、もう一人の救難士が降りてきた。


「意識はあるがレベルが分からない! 頭、気をつけろよ」

「了解」


 吊り上げる為に、男性に安全器具を取り付けていく。訓練では何十回も何百回もやった作業。しかし、波が容赦なく三人を呑み込む。「ぐっ……」男性は水をかなり飲んでいるようだ。


「まだか」 

「くっ、もう少しです」


 上からあと5分と合図が入る。ヘリコプターもかなり揺れている。横からの風が出てきたのだ。風の方向が変わる前に、せめてこの男性だけは上げてやらなければ。


「できました!」

「よし、上げろ!」


 勝利は上がっていく二人を見ながらワイヤーの筋を、出来るだけ揺れないように引っ張った。


(よし、いいぞ。そのままだ、そのままっ)


その時!


ーー ビュンッ!


 強い風が波際を吹き抜けて、三角の尖った波が立ち、それが勝利の躰を叩いた。浮いているより潜ったほうが楽かもしれない。それほど海面が暴れだしたのだ。


「まずいな」


 風の向きが怪しく変わり始めた。勝利はワイヤーを握る手に力を入れる。無事に上がってくれ、なんとか風に耐えてくれと。吊り上がって行く二人はかなり揺れていた。風に押されてヘリが僅かに後退した。


 ヘリコプターのパイロットは両手両足を動かして機体を操る。右手の操縦桿を調整しながら、高度調整のギアを左手できつく握りしめる。風に煽られないよう右足のペダルにも意識をのせる。まさに、上空ではミリ単位での戦いが行われていた。

 なんとか要救護者を収容した。そして、最後に勝利は周囲を確認して自分も上がる準備をし、吊り上げの合図を出した。


ーー ブウォンッ!


「くそっ!」


 またも下から掬い上げるような突風が吹いた。上でホバリング中の機体がグワングワンと大きく左右に振れ、更に機体は流される。

 このままだと墜落しかねない、早く高度を上げてこの場から離れなければまずい。しかし、勝利がまだぶら下がったままであったため、余計にコントロールが難しくなっていた。それでもバランスを取り直し、飛んでいられるのは愛海の腕がいいからだろう。


 それでも。


(要救護者の命が最優先だ!)


 勝利は迷わず自分を繋いだワイヤーと安全フックを外した。


ーー シュー、ドブンッ……


『隊長ーっ!!』


 勝利は手信号で帰還命令を出した。どんなに最悪な状況でも、救出した者の命は絶対に守る事。掴んだ手は絶対に離すな! 救った命の灯火は絶対に消すな! 勝利がトッキュー時代に身につけた信念だ。


(ばかやろう、さっさと行けよ。俺は捨てて行けっ!)


 もう一度、合図を出す【帰還せよ】と。

 そして勝利は浮きを脇に挟んで辺りを見回した。波が高すぎて、サポートで留まっていた巡視船の姿は見えない。勝利はいを決して、島に向かって泳ぎ始めた。


(誰が死ぬかよ。特殊救難隊を舐めんじゃねぇぞ!)


 救難ヘリコプターのエンジン音が少しづつ遠くなるのを背に感じ、勝利はひたすら腕をかいた。打ちつける波は止む気配はない。青い空はいつの間にか灰色に覆われて、西の空で稲妻が走った。


「くっそ、海面じゃ進まねぇ……」


ーー ドドーンッ!


 海が朱色に染まった。

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