第二話 死せる者に天恵あれ


激しい鈍痛に呻くこともできない私の頭を、女の子の泣き叫ぶ声が追い詰めていく

死んだはずの私の傍で女の子が泣いている状況というのがよく分からなかったけれど、

まさか奇跡的に助かってしまったのかもしれないなんて絶望する


(痛い……痛いけど……うぅ)


自殺して死ぬことが出来ませんでしたなどと母親に連絡が行ったりしたらもう、

助けたヒーローあるいは治療した医師を一生恨むことにさえなりかねない

そう考えて気づいた。私は死にきれなかった場合のデメリットを全く考慮していなかったんだって。

ああ不味い、生きてたらどうしよう……死んで、死んで、死んで、死ね、死ね

そんな呪詛を想い続け、祈りをささげている間にも女の子の叫び声は止んではくれなかった。


誰かの足音がする。大慌てて駆け寄ってくるような足音

誰が来たのか目を開こうにも重く閉じたまま、開かない

救急車が来たのかな、それとも通行人? いや、保健の先生……あの人は駄目だ。夕方にはいない

じゃぁ、誰? 部活帰りの男子か女子? SNSに目の前で自殺wwwwとか、そういう感じで写真上げるのかな


死ぬなら良いけど、生きていたら嫌だな。

面倒くさい……お母さんが余計に精神崩壊する……やだな。やだなぁ……

死にたいと思った。

決断は早かったし、抜かりもなかったと思う。

落ちたときに頭が直撃するようにと真っ逆さまに落ちて行ったはずだ

屋上は4階にあるから下手をすれば死なないと思って、わざわざ飛ぶことで高さと勢いだってつけた

なのに……なんで、痛いのは背中なんだろう


足音がすぐそばにまで近づいて来ると、女の子の叫び声が止まる

足音も止まった。

女のことは別の声が聞こえてきたけど、相変わらず言葉にはならない声という音だけしか分からない

でも、何となく女の子のように叫ぶようなものであること、慌てていることが分かった


そして、私の体の奥底から生暖かい感覚が体中に広がっていった

痛みはなぜか痒みへと変わって、そのまま消えていく

女の人が何かを言った気がした


暫くして私は死ぬことに失敗したのだと悟った

体が動くと神経が感じた

まだ体の痛みはかすかに残るし、動かしにくさも感じる

頭だって髪の毛を鷲掴みにされ振り回された時みたいにぐちゃぐちゃする。


でも、音しか拾えなかった耳は声を拾うことが出来るようになった。

ただ……意味は分からないけど。


「うおうでぃじどぅぶむ」


安堵しているということだけは解る意味不明な女性の言葉に導かれるように眼を開けた私が見たのは、

少なくとも日本ではコスプレでしか着ない民族衣装のような服装の女性と、それと似た服装の小さな女の子

黒い髪に茶色の瞳の女性、黒い髪を丸く纏めた翡翠色の瞳の女の子

泣き叫んでいたのはこの子だろう。お母さんらしき女性にしがみついている

そして多分、私を助けてくれたのはこの人だ


学校の屋上から飛び降りて血と肉片に変わったはずの私を

何の救急セットも持たずに、痛みの大半を消してくれたという理解できない結果だけど、間違いない

そう感じる何かがあった


(親子……だよね?)


「?」


親子なのかと勘ぐっていると、女性が私が目を覚ましていることに気づいたらしい

優し気な笑みを浮かべて私の頬に触れた

大きくて、優しい母親の手

もう何年も感じたことのない温もりに、私は思わず目頭が熱くなるのを感じた


「あおたつきぃ」


(何言ってるの……?)


安心したとか、心配したとか、そう言う感じのあれなような気がするけれど、さっぱりわからない

頭を一度破壊したことで言語中枢とかいう部分がいかれたのかもしれない


(あるいは)


何となくもう気づいていながらも、確証を得るまではそんなことないと思うことにして

鈍痛がきれいさっぱり無くなった体の感覚を徐々に引き上げていきながら、親子らしき二人以外の景色に目を向ける

夕暮れだったはずの空は澄み渡った青

現代文明を感じさせるコンクリートの塊の高い山は森林と土となっており、

かなり遠くに小さく小さくそれらしきものが見える程度


「……ん」


そこまでの情報量をかき集めてようやく私の頭は現実に追いつき、ここが私が本来いるべき世界ではないことを悟る

いや、というかそうだろうとは思っていた。日本以外のどこかの自然豊かな国であるという可能性もなくはないけれど、

自分の体が自我を得る時期をとっくに過ぎたものだと分かっては、他国で生まれ変わったという望みはない


(映画や漫画などで見る異世界に行っちゃいました。というアレかな?)


だから、きっと相手の言葉も理解できない


「んねちゃあえお!!」


泣き叫んでいた声の主である女の子はまた泣き叫びながら、私へと飛びついて

母親らしき女性は優しい笑みを携えて私達を見守る

正直、現実に追いついたと言っても整理が追いついていない私は混乱しっぱなしで、

加えて言葉も何もわからない状況では、ただただ呆然とするばかりで。


「…………」


とりあえず、抱き着いたままむせび泣く女の子の頭を撫でて慰める。

綺麗ではあるけれど、さらさらとはしていない

清潔感はあるけど女の子としての手入れが完璧には施されていなそうな感じ

それはそうだ、異世界なんだからそんなところまで完備しているわけがない


(思った以上に驚けないのは……私がもう死んだ気でいるからなのかな)


あるいは、向こうの世界で人生を諦めるくらいには悲観し、達観していたせいだろうか

女の人は私達を見て心配と安心半分半分の顔してるし


「うぐりゅっくどとおえういおう?」


「えーっと?」


「うあびじょういどぅ?」


綺麗な声で、意味不明な言葉。うん、色々駄目だなぁ

言葉が通じない以上どうしようもないので、適当に頷いておく

こういう場合、大体が大丈夫なのかどうかをききたいと思うから。

頷いておけば大丈夫だって解ってくれるだろうし。


「うあおあさむりえあきゅるん。うえろがえいつぁけわつ」


これにもとりあえず頷くと、手を差し出されたので甘んじて受け取る

自分の足だけで立とうとしたけれど、うまく力が入り切らなくてふらつき体を借りる

お母さんらしき人の背はそんなに高くないけれど、

現実の私と同様に、この世界の私の方も背は低いらしい

上手く体重の半分を預けながら、従って歩くことにした


連れてこられたのは、二人の家だった

昔の日本にあるような台風で吹き飛ばされてもおかしくない感じの木造一階建て

それでも家の敷地はかなり広異様に見える。大体、普通の一軒家4つ分くらいの面積だろうか

そして、私が倒れていたのは村にあるこの家の人達の果実の木の根元だというところまでは何となくわかった


「いおさんましょとかつあいぇあうかるるくごえひうたむひなはぐ」


(はぁ)


女性の優しい雰囲気の言葉にとりあえず笑顔で頷いておく

もはや考える事を諦めて感じることに専念した謎言語も、状況から考えれば何となくわかるようにはなってきた

これは多分、「ゆっくり休みなさい」的な感じだと思う

まず一つ、親子の家に連れてこられていて、軽い手当てを受けたのちにベッドへと連行されていること

二つ、小さい女の子の言う「んねちゃあえお」はなんか凄く「お姉ちゃん」って言われてるっぽいこと

三つ、鏡のようなもので見た自分が小さい女の子の未来の姿っぽいこと

小さい女の子も長いけれど、私の髪はもう少し長くて肩を過ぎた辺りまでで、目の色は翡翠よりも少し深い緑色


体は成長途中なので胸のサイズはまぁ……うん

それなりに膨らんで見えるので年齢的には十分な大きさかな

多分普通ならCで、体が引き締まってるおかげでDに踏み入れそうな感じだろう

脱げばより正確にわかるけど、今はそんなことしていられない


(私はこの家の一員で長女って事なのかな……?)


食事するところに用意された椅子の数は4つで、単純に考えれば4人家族だし

父、母、妹ときたら当然この私は長女ということになる。

そこまで分かってきたところで、新しい問題も出てきていた


「んねちゃあえお? おあういえっちるんん?」


心配そうな妹に笑いかけて誤魔化すけれど、不安をぬぐい切れていないのは目に見えて分かる

私―この体―が気絶していたのは果物を採るために木に登った結果足を滑らせて転落したからだけど、それだけじゃない

この子達の言葉が分からないように、私の言葉がこの子達には解らない

だから二人は心配そうだし、私を陽の落ち切っていない時間から寝させようとする


そうそう、帰るまでにも何度も言われたせいか「おあういえっちるんん」が「何言ってるの」だというのもついでに分かった

ただし、無理にカタカナで表した英語のようにそう言う発音だと思っているだけだから実際にはもう少し複雑だろうし、

文章化した場合は多分、何一つわからない

少なくとも、本棚にある本はタイトルの時点でもはや全くもって読める気がしない


「ありがとう。大丈夫だから」

「んねちゃあえお……」

「…………」


心配させないようにと声をかけても、今まで話が通じていたはずの姉の言葉が通じなくなったんだから余計に心配させるだけで。

私は休むよ。という言葉の代わりに布団らしき布を引き上げて体を覆って横になる

ベッドを模したあまり感触のよろしくなさそうな台だったけど、硬い床やトイレのタイルよりは全然心地いいと思った


何はともあれ、問題は私がどうして見知らぬ家族の長女としてここにいるのか

それなのになぜ、私は周りの言葉が分からないし、周りに私の言葉が通じないのか

そんなことを考えながら自然に寝る方向へと持ち込もうとしていると、ドアが開いて男の人が入ってきた


「ああぴぴ!」

「おおやたあぶのいとりん」


瞬間、嬉しそうに飛びついた妹と反応して受け止めた男性

その妹の反応から察するに父親と思われる男の人は、

私の視線に気づいてか優しい笑顔を見せると抱き着く妹の背中を軽くたたいて


「リン」


恐らくは、妹の名前を呼んだ。

お母さんと思われる人も何度か言ってるのは聞いていたけど確証がなかった妹の名前

それだけを言って、妹が反応して頷いたんだ。間違いないはず

考え込む間にも妹と父親? のやり取りは進んで、妹が部屋から出ていく


「あいいあなやちとすらあいいいおあらっく、おうっやうぇしすふぐぬるいおうあいこないとむ」

「…………」


何を言ってるのかさっぱりでどう反応して良いか分からず困っていると

父親は私の反応を待つことなく色々とよくわからない言葉を吐き続け、次第に怖い表情へと変わっていく

筋骨隆々、鍛え抜かれた体育会系の男という印象を受けるこの父の怖い表情の威圧感は凄く、

せっかく馴染みつつあった体の神経が震えあがっていくのを感じたけれど

すぐに、父親ゆえに心配しているだけだというのが分かった


お父さんも、お母さんも……妹もみんな、この姉のことをとても大切にしていたのだと、愛していたのだと分かる

言葉が通じないからこそ感じることに集中するから余計に想う

そして、だからこそ申し訳なく思う。私は愛されていた姉ではなくて

全く別の人間がこの体を奪ってしまったんだって


「ごめんなさい」


通じることはないと分かっていても、謝罪の言葉を吐く

私は別人だなんていっても理解されることはないけれど、でも、

奪ってしまったこの体の持ち主と、だますことになってしまう家族への謝罪はするべきだと思って

言葉は伝わらなくてもいい、せめて感じ取ってほしいと願いながら目を瞑る

今はただ、逃げたいと思たのだ



――――――


どこからか、声が聞こえる。

最初に気絶していた時とは全く違って、起きる寸前に聞こえる生活音的な感じの声

中途半端な時間に寝ちゃった体のけだるさを感じながら目を開けると

部屋の中は外からの光じゃなく、壁に取り付けられた電球みたいなものの明かりに照らされていて、

すぐそばに、母親の姿があった。


その横には小さなテーブルと優しさ感じる木皿に盛られたシチュー

今はもう夜で、夕食時なのだろう

念のために無理に動かすことなく部屋まで食事を運んできてくれたらしい

本当に、愛されている姉だと思った


「ミスティ。お腹は空いてる? 食べられる?」

「……え?」

「大丈夫? まだ体のどこかが痛い?」


不安そうにする母親に慌てて首を振って咄嗟に「大丈夫」と声をかける

寝る前までは意味不明だった言葉が理解できるようになっていた

そして、私の言葉もまた間違いなく母親に通っている

妹のお姉ちゃんだったり、パパだったりを状況と感じからくみ取ったような曖昧なものじゃなく、

確実にそう言っているんだと聞こえて、感じて、理解できた


(偶然じゃないよね?)


「えっと……おかあ、さん」

「なぁに?」


反応がきた。分からないという感じの反応ではなく、ちゃんとした答え

そして、私にも言葉がちゃんと理解できる


「その……リンは?」

「あの子なら今お父さんとお風呂に入ってるわ。久しぶりに帰ってきたものだから、すごく嬉しかったのねぇ」


再度の確認で確信をもって、ため息をつく

どうやら、気のせいじゃなく本当に話が通じるようになったようで。

たあだ、それだけじゃなかった

自分の名前や今いる場所、この世界がどんなところなのかとか、少しだけ分かる

多分、私が奪ったこの子の記憶だろう


(お父さんはルーティー・フェレイデント、お母さんはリアニス、私はミスティ、妹がリン)


奪い取ったばかりの頃は馴染まなくて、記憶がなく言語機能もポンコツ……というか

元の私が強く出ていたせいで色々駄目だったけれど、

オカルトチックな言葉を借りれば、横になって休んだことで魂が定着したおかげで

長女の記憶からこの世界の言葉などが引き出せるようになったんだと思う

というか、それ以外にない


「そっか……あの、お母さん。心配かけてごめんなさい」

「本当よ。無理はしないように言ったのに……リンが大きな声で泣くんだもの。

 急いで駆け付けたら木から落ちちゃったって……もう」


記憶の中の私はおとなしい性格ではあるはずなのだけど、

妹の為ともなると結構な確率でアグレッシブな行動に出る所謂シスコンタイプで

今回も妹のためにと木に登った結果、見事に足を滑らせて転落するという自業自得なことになったらしい

落ちた。ということに関しては私と一緒……でも、それ以外の繋がりは何もない


「ミスティ、自分で食べられる? もしあれなら――」

「だ、大丈夫。自分で食べられるから」

「そう……食べ終わったらここに置いておいて良いからね? 無理に返しに来なくて平気だから」

「うん、ありがとうお母さん」


回復したということだけは解ってくれた母親の安堵に笑みを向けて部屋から出ていくのを見送って、ため息をつく

残されたシチューは暖かくて、食べてもいないのに心が穏やかになっていく気がした

本当に優しくされるべきなのは、愛されるべきなのは私じゃない

これだって、本当に食べるべきなのは……


「でも、食べないわけにはいかないよね」


本当の子ではないとはいえ、それを知っているのは自分だけだから

両親や妹との関係を悪化させるなんて言うのは言語道断で、体調を崩したりなんだりするのだってやってはいけない

もう二度と、この体に本当の持ち主が帰ってこないのだとしても

いつか、この体に持ち主が帰ってくるのだとしても

少なくとも、私は【ミスティ】として生きていかなければいけない


「……おいしい」


そう思って、スプーン一つ分のシチューを口に含んだ

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