飴と傘
夏村響
第1話
見上げると、まだ雨が降っていた。
朝に比べれば、随分と小降りになってきてはいるけど、傘をささないと濡れてしまうほどには降っている。
遠い空の向こうはゆっくりと明るくなり始めていた。じきに止むだろう雨を、それでも睨みつけながら、私はつくづくと思ってしまう。
雨は嫌いだ、と。
何故なら、雨の日は小学生の頃のいじめを思い出してしまうからだ。
クラスのやんちゃな男子たちにとって、おとなしい女の子である私はいじめるのにうってつけの存在だった。何をしても、何を言っても、反撃も反論もせず、じっとうつむいてめそめそと泣いているだけなのだから、いじめやすいこと、この上なかったに違いない。
私をいじめて楽しんでいたのは、いつも四人でつるんでいる、ちょい悪を気取った格好ばかりの男子たちだった。なのに、何故か女子には人気があって、それが彼らをますます調子に乗せていた。
彼らの私に対するいじめ方は陰湿で、よくねちねちと名前をいじられた。
私の名前はゆりやという。
ゆりやなんて外国の名前っぽいのに、当の私は思いっきりの日本人顔だ。
親でさえこう言う。
『平安時代に生まれていたら絶世の美女だったのに』
失礼この上ない言い草だけど、残念ながらその通りなので反論できない。
そして、男子たちはこぞってこう言った。
ゆりやだって、笑える~!
思い切り、名前負けじゃん!
平たい顔のくせに!
そんなこと、言われなくても判ってる。
それから、体型。
小柄、と言えば聞こえがいいけれど、ストレートに言ってしまえば、やせっぽっちでおチビ、なのだ。
トリガラ
幼稚園児
そんなことをいつまでも、しつこく至近距離で囃し立てられた。
そして、最悪なのが雨の日だ。
彼らにとって傘というものは、勇者の剣や兵士の銃に見えるらしく、そんな彼らに私という存在は、ちょこまかと動く小動物や小さな妖怪にでも見えるらしい。
帰り道で待ち伏せされて、傘を振りかざされ、笑われながらいつまでも追いかけまわされた。
そのうち、追いつかれ、剣で斬る動作を真似て背中や腰を傘で何度もぶたれた。
別の男子は銃を構えるように傘を構え、ばんばん! と口で擬音を発しながら、私の頭や肩を傘の先で執拗につつき回した。
彼らは私が泣いても決して止めなかった。そして、ずっと笑い続けていた。
雨の日は嫌いだ。
傘も嫌いだ。
でも、傘をささなきゃ濡れちゃう、か。
彼らが私をいじめていたのは小学四年生の一時期だけだ。きっかけは何だったのか、理由もまったく判らない。突然、始まったそのいじめは、終わるのもまた突然だった。
最初から何もなかったような顔をして、彼らが私と同じ教室で普通に過ごしていられるのが、本当に不思議でならなかった。私はこんなに苦しんでいるのに。
そうして私は小学校を卒業し、中学生になった。
いじめられていた頃から、時間だけは随分経ったけれど、あの辛い日々はずっと心の奥で蠢いていて、決して消えることはない。多分、これからも。
彼らは、今、私と同じ中学校に通っている。
クラスが違うからほとんど顔を合わすことはないけれど、たまに廊下ですれ違っても、まったく私に気が付かない。
相変わらず、あの時の四人で仲良くつるんでいて、中学で知り合ったらしい新しい友達も入れて、最近では六人組でいることが多い。
けれど。
その新しい友達のひとりは、少し感じが違っていた。
真面目そうな彼は、グループの中ではいつも聞き役のようで、自分から話題を振ったり、声を立てて騒ぐということはなく、優しい物腰で、誰にでも親切。そんな人のように見えた。
どうして、あんな連中と一緒にいるのだろう?
不思議だったけど、彼は連中といることをそれなりに楽しんでいるようで、無理やりとか、使い走りにされているとか、そういうことではないようだった。
偶然に彼と目が合うことがあった。
私のことは知らないはずなのに、彼は親しみを込めたような柔らかい笑みを向けてくれる。
とくんと胸が鳴る。けれど、私はすぐに目を逸らしてその場を離れる。
きっと、彼は誰にでもそうしているのだ。
だいたい、あんな連中と一緒にいられる人を信じてはいけない。
ぼんやりと物思いに耽っていると、後ろから生徒たちの明るい笑い声が響いてきた。振り返ると、部活が終わったのだろう、帰宅するべく数人の生徒たちが騒ぎながらこちらに歩いてくるところだった。
私は傘たてから、急いで自分の傘を目で探した。
生徒たちが集まる昇降口であまりもたもたしていたくはない。
私の傘は結構、目立つ。
白地に鮮やかなピンクの薔薇とトゲのある緑の茎、そして葉っぱが絡み合うように描かれたきれいな傘だ。
憂鬱な雨の日を少しでも明るく、と母がそれなりに気をきかせて、何とかというブランドのお高い傘を買ってくれたのだった。
別にいいのに、と思う。
傘なんて、雨に濡れなきゃ何でもいいのだから。
きちんとストラップを止めないで傘たてに突っ込んでいたから、中途半端に開いた傘が他の傘の柄に引っかかる。それを押しやりながら何とか引き抜いた。
そのまま、外に出て、さて帰るかと傘を開いたその時、ころりと何かが地面に落ちた。
何だ?
思わずそれを目で追った私は、は? と傘を掲げたまま、静止画像になる。
何だってこんなものが傘の中から出てくるの……?
私の足元に転がっているのは、赤い飴玉だった。周囲にザラメ砂糖がついた丸い飴。
一旦、傘を閉じると、私はその飴玉の近くにしゃがみ込み、観察した。
飴玉は透明なビニールに包まれていて、両端がきゅっと絞られている。よくあるあのキャンディースタイルだ。直接地面に触れているわけではないので、ちゃんとまだ食べられる。
食べられる、ということに、何故か私はほっとした。なんだか間に合った、という気がしたのである。何に間に合ったのかは判らないけれど。
そっと指先でつまみあげ、じっとみつめてみる。
ふっと、心が揺らいだ。
唐突に、何故か、この何の変哲もない赤い飴玉に欲情したのだ。
食べたい、と。
我慢できなくなった私は、ビニールを取り去ると何の躊躇もなく、それを口の中に放り込んだ。
それは甘くて、少し酸っぱくて、舌の上ですぐにほろほろとほどけて、あっという間に無くなってしまった。
しばらく、その甘やかな余韻に浸っていると、突然、至近距離から声がした。
「あ、食べちゃった?」
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