episode8-1

 午前一〇時、滝山市内にある、とある公園にて。

「いやあ、暑い中こんな所に呼んでいしまってすまないねえ」

「いえ、無理を言ったのは私の方ですから。この程度は」

 椿姫は軽く礼をすると、木陰にあるベンチに腰を掛けた。

 先客として座っていた男、柳沼は柔和な笑みを浮かべながら、彼女を見ている。

「これ、どうぞ」

「おお、滝蜜道の羊羹! ありがたいねえ」

 保冷バッグの中に入った羊羹を見て、柳沼は嬉しそうな顔を浮かべる。

 対して、椿姫は緊張した面持ちのまま、じっと柳沼を観察していた。

 その視線には柳沼も気づいており、彼女を緊張させないように、ゆっくりとした口調で話し始める。

「君が今日、私を訪ねた理由から聞かせて貰っていいかな?」

「向こう側の……あなた方の世界について、訊きたいんです」

「ミラジオ・ユスフェリエのことでいいのかな? それは以前にもAPCOに言ったはずだよ? 君なら、その時に記録された資料だって閲覧できるはずだ」

「いえ、そこではなく、私の家のルーツについて知りたいんです」

「君の家の? ああ、絵本にも出てくる天女様について知りたいんだね。私に聞くことがあるとするなら、きっとそれだろう?」

 柳沼は悟ったような顔をしながらそう言った。

 単なる憶測によるものではなく、確固たる自信を含んだ表情であった。

 椿姫は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした後、頷いて、彼の話を促す。

「そうだね、君たちが天女と呼んでいる女は、とても神聖な森で暮らしている特殊な種族の一人なんだ。姿形は君たち人間とそう違いはない。強いて挙げるなら、白い髪に青系統の目を持っているくらいかな。だが、君たちと大きく異なるのは、不思議な力を持っていることだろう」

「空間を?」

 あまりにスケールの大きな話に、きょとんとする椿姫。

 それに対して、柳沼は特に反応を示すこともなく、話を続ける。

「といっても、そう強力なものじゃあない。精々、ミラジオと別の世界を一定時間、繋げることが出来ることくらいさ。勿論、使いようによっては多くの益をもたらすものだが、彼らは積極的に他種族と交流しようとしない、閉じた種族だったから、あまりこの力を使おうとはしなかった。所謂、宝の持ち腐れ、というやつだね」

「そんな種族が何で私たちの世界に? 天女は何故、人間と結婚なんか?」

「け、結婚したことについては、まあ、色々あったんじゃないかな。 詳しい事は分からないよ。ただまあ、少なくとも、好いてもいない相手と結婚するような子には見えなかったな。……恐らくだが」

「あったこと、あるんですか?」

 何百年も前の存在をさぞ見知った顔のように話す柳沼に対して、椿姫は今更ながら畏怖の対象として認識する。背筋がより一層真っ直ぐに伸びる。

「仕事仲間だった彼女の父や彼女の妹を通して会ったことがあるくらいだね。……この世界に来た理由について話そうか、こっちなら、多少は詳しく話せると思うよ」

「へぇ……。あっ、これどうぞ」

「ああ、ありがとう」

 椿姫は忘れていたと言わんばかりに、端に置いていた緑茶を柳沼に差し出す。

 額に薄っすらと汗を浮かべていた柳沼は、貰った緑茶にすぐさま口を付ける。

 その姿は、紛れもない“人間の老人”であった。

「かつて、ミラジオには“王”という強大な力を持った存在がいてね。民からとても尊敬されていた。でも、次第に傍若無人な態度で振る舞うようになり、遂には色々な種族に対して戦争を仕掛けるようにまで至ったんだ。その種族には天女の種族も入っていた」

 緑茶を口に含み、喉を鳴らして嚥下する柳沼。

「理由は彼らが持つ特別な力を利用して、この世界にも進行するためだった。元々、断続的にこの世界とミラジオは孔を通して繋がっていたが、多くの兵をこの世界に送るには、彼女たちの力なくしては不可能だったからねえ」

 柳沼は遠い目をしながら、公園で無邪気に遊ぶ子どもたちを見る。

 釣られて椿姫もその光景を見る。とても暖かく元気な姿だった。見ているだけで、自身の口元が緩むのを感じる。

「“王”の動きを察知した彼らは、当然のように“王”に反抗した。そしてこの世界に危機が迫っていることを、長の娘であった天女に使者として、伝えに行かせた。それからの動きは君が知っている通りさ。魔狩師が生まれ、我々に対抗するだけの力を得た」

 柳沼が真剣な眼差しで椿姫を見た。

 彼の瞳の奥にある凄みに、椿姫は背筋が凍り付くような感覚を覚える。

 先ほどまで遠くから聞こえてきていた子どもたちの笑い声や、肌に張り付く湿気を帯びる熱気さえ、今は感じられなくなるほどに、その目には言いようのない強さがあった。

「……ここだけの話、私は彼女を殺すためにこの世界にやってきた」

「え?」

 一瞬、椿姫が身構える。

 そして、柳沼はそんな彼女を見て、ふっと元の柔和な笑みに戻った。

「勿論、“王”に命令されてのことだったよ。……まあ結局、色々な人間と出会ったお陰で、彼女を殺すことはなかった。ただ、それによって私は【幻祖六柱】の裏切りモノになってしまったんだがね」

「それが、以前あった鳥型の幻獣による襲撃事件に繋がるんですね?」

「いや、あれはまた別口だろう。……ヴァルジールという名については?」

「聞いたことは、ない、と思います。多分」

「君には話しても大丈夫だろう。……私があの日まで襲われずに済んでいたのは、ヴァルジールという友人のお陰だったんだ。彼が“王”を討ち取り、新たな王になったから、私は見逃されてきた。だが、ヴァルは殺されてしまった、人間に殺されたと彼の娘は言っていたよ」

「そんな……!」

 椿姫は思わず声を発した。

 そんなはずはない、と彼女が言う前に柳沼は言葉を紡ぐ。

「そんなはずはない。私は最近、そう思うようになったよ。君たちと接し始めてからね。それに、ヴァルはヒトの手に負えるようなモノではなかった」

「じゃあ、一体誰が?」

「さあ、そこまでは。でも何となく、私が狙われたことも、この街で起きている事件も、ヴァルが殺されたことも、総ては一本の線で繋がっている、そんな気がするよ」

 柳沼はすべてを言い終えたように、晴れ渡る爽やかな空を見上げる。

 対照的に、椿姫の胸の内は晴れ渡る所か、謎という霧に再び包まれていった。





 午前一一時前、滝上中央病院にて。

 隆一は息も絶え絶えに、ある病室の前に辿り着いた。

 その病室は一部の壁がガラスになっており、室内の様子を窺い知るが出来た。

 そんな病室の前には、複数のスーツを着た人間たちが立っていて、中を険しい表情で見守っていた。そして、そのうちの一人が声を掛けようとした隆一の存在に気が付いた。

「ああ、滝上君。来てくれたのね」

「すいません。花、咲さん……遅れてしまって、はぁ、はぁ、えっと、それよりも、その、灰崎が見つかったって本当ですか?」

 灰崎ツグミ、木島優斗の彼女で、木島とともに行方不明になっていた人物である。

 彼女が見つかったという連絡を受け、隆一は病院まで走ってきたのであった。

 自然と彼の視線は病室のガラスの向こう側へと注がれる。そして、

「えっと、彼女が灰崎なんですか?」

「……知り合いなのよね?」

「ええ、まあ、何度か木島を通して遊んだこともありますし」

 彼の記憶の中にある灰崎ツグミと、ガラス越しに見える彼女は姿形が同一にも関わらず重ならなかった。ベッドに座ったまま、医師の声掛けにも反応を示さず、じっと天井を見つめ続ける少女は、いつも木島とともにバカをやっていた活発な少女とはかけ離れていたからだ。

「話させてもらっても、いいですか?」

「今回はそのつもりで呼んだの」

 そう言って、花咲は病室の扉の電子ロックに番号を打ち込んでいく。

 彼女がエンターを押すと同時に、空気が抜ける音が響き、扉が横にスライドした。

 彼女は先に入り、それに続くようにして隆一も白い病室に足を踏み入れる。

 花咲と隆一の存在に気が付いた医師が灰崎から離れて、二人へ歩いてくる。

「強烈な精神負荷によって、心を閉ざしている状態だと思います。これも、他の患者と同じですね。何度か投薬を行われた後も見られ、こうして生きているのが不思議なくらい、ひどい環境に置かれていたようで……」

「彼と話しをさせても?」

「それは構いません。が、手短にお願いします」

「分かりました。……っ」

 無言のまま花咲が、後方に立っている隆一に頷く。

 頷き返した隆一が、灰崎を刺激しないようにゆっくりと、彼女へ近づく。

 機械の動作音さえ除けば、ひどく静寂に包まれた空間に、青年の足音が響く。

 灰崎は未だ天井を見上げ、文字通り、心ここにあらずといった様相を呈している。

「灰崎? 俺だよ、滝上隆一。覚えてるかな? 久しぶり、だよな」

「…………………………」

 じろりと、濁った黒い瞳が隆一を嘗めまわすように動く。

 彼の足先から頭の天辺に向けて、のっそりと、しかし確実に移動していく。

 やがて、隆一はその瞳と目が合う。思わず、反射的に一歩、退きそうになる。

「……滝、上? 滝上、滝上……た、き、がみ」

「そう滝上、滝上隆一だ。思い出してくれたかな」

「ゆうちゃんを、助けて? ゆうちゃん、ゆうちゃんが」

「木島が? 木島に何があったんだ、あいつ無事なのか? 教えてくれ!」

「いや、いや、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! はぁっ、はっ、はっ、はっ」

「どいてくれ!」

 灰崎が唐突に叫び、呼吸を荒げながらベッドの上でのたうち回る。

 後方にいた医師や看護師たちが隆一を退かし、彼女を押さえ付け、注射を打つ。

 程なくして、段々彼女の呼吸は安定し、落ち着いて、その意識を手放していく。

「戻りましょう」

「はい……」

 花咲に腕を引かれつつ、隆一は病室を後にした。

 彼も呼吸が荒くなっていたのか、胸の動悸を自覚する。胸に手を当てながら、ゆっくり呼吸を整えていく。それと同時に頭の中で渦巻く疑問を一つ一つ整理する。そして、鼻先に面と向かって、話し掛ける。

「花咲さん、灰崎が見つかった場所って?」

「発見日は二週間前、場所は川の土手、他にも複数名の行方不明者がいたわ」

「そんなに前だったんですか? なら……」

「ええ、でも顔や体の一部が幻獣に変化していてね。……正直、渡されていた写真と同一人物か疑うくらいには、酷い状態だったわ。灰崎ツグミ本人だと判ったのは一週間前、それで、二日ほど前にやっと“ブルーアイ”が抜けたから貴方を呼んだの。コミュニケーションらしいコミュニケーションを取れたのは貴方が初めてね」

「……助かるんですか?」

 ガラスの向こうで、死んだように眠る灰崎を見ながら言う。

 花咲もその動きに連なって、ベッドの灰崎に愁う視線を送っている。

「まあ、元の生活に戻れるかどうかは、分からないけど」

「そうですか……。あいつらが元いた場所って、検討ついているんですか?」

「別動の班が見つけたって噂があるわ。多分、今日の会議で発表されるでしょう」

「それが本当なら例によって突入、ですか?」

「ええ、そうなるでしょうね」

 隆一の質問にさらりと答える花咲。

 そんな彼女に対して、隆一は畏怖の視線を向ける。

「まあ、私たちは彼女や他の人の警護というか、見張り役だけどね」

「……椿姫も、やっぱり、突入することになるんですかね?」

「あの班はそれが主な仕事だからね。やっぱり心配かしら?」

「そりゃあ、大事な家族ですから。心配ですよ」

 そう答えた瞬間、彼の懐にあった携帯が振動を始める。

 取り出して見ると、液晶には椿姫の名前が表示されている。

 噂をすれば何とやら、隆一は花咲に画面を見せると、彼女に礼をして、携帯電話が使用できる場所まで歩いていく。そして、通話と描かれた部分をタップする。

「もしもし、どうしたんだ?」

「兄さん! 今すぐ水戸公園まで来て! 幻獣がっ!」

 

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