episode7 血濡れの鴉/青年の背信

episode7-0 白の羽/血の澱み

 白羽事件、この猟奇的かつ凶悪な事件が露見したのはある蒸し暑い日の夜に起きた出来事が発端だった。

「うぃぃぃ、どぅるどぅるどぅるるるるるるぅぅん」

「先輩、飲みすぎですよぉっく!?」

「どっちも飲みすぎですよ……」

 居酒屋帰りのサラリーマン、泥酔中の大野、ほろ酔いの中野、下戸の小野の三人が一番近い小野のマンションへ向かって牛歩のようにゆっくりと、蛇行しながら歩いていた。

 失敗だった、と小野は足が覚束ない上に今にも吐き出しそうな大野の肩を支えながら考えていた。飲みに誘われて嬉しかった、そこは認めている。大野と中野とは気の合う中であるため楽しかった、そこも認める。店のチョイスもとても良かった、特に冷えたビールと鳥の軟骨の組み合わせが絶品であったことも確かだ。だが、しかし、如何せん客層が最悪だった。居酒屋とは往々にして騒がしいものだが、すぐ近くで団体客がバカみたいな大騒ぎしているせいで、こちらの会話など全く耳に入らなかった。その上、大切に使っていた靴に吐瀉物をかけられてしまった。ちなみに、現在履いているのは履きなれた革靴ではなく新品の健康サンダルである。

「ぅうぃぃぎぼぢわどぅい…………吐ぎだいぃい。よじがず~路地づれでっで~」

 虚ろな目をした大野が口元を押さえて、小野の下の名前を呼んで催促する。

 何でこの人が自分の彼女なのだろう、と最早諦めを超えて慈愛にまで進化した感情を抱えつつ、路地裏の近くにまで歩いていく。路地から七歩ほど前で止まり、大野の肩を放す。千鳥足ながらも、大野は確実に路地裏へと向かっていった。どれだけ醜態を晒そうと構わないが、彼女が嘔吐する様を眺めることも憚られるため、後ろを向くことにする。すると、後方でにこにこと笑みを浮かべていた中野の姿が目に入る。

「ぬふふ~、紳士的ね~?」

「……これでも一応、彼ピッピなんで」

 普段同僚や上司から茶化される時の呼び名を使って見せる小野。彼にとってはあまり好ましい呼び名ではなかったが、そもそもその呼び名を使い始めたのが大野であるため、声を大にして止めて欲しいとも言えなかった。惚れた弱みというやつだろうか。

 中野は意地の悪い笑みを浮かべているが、そこに悪意は感じない。そこが彼女の魅力なのだろう。因みに、大野と小野をくっつけたのは中野による功績が非常に大きい。また、彼女は小野に対して片思いをしており、それはそれは大変な苦労や葛藤を経て現在に至っているのであるが、ここでは全く持って重要でないため割愛することとする。

「ぎゃあああああああああああああああ!!!」

 二人の後方から大野の叫び声が聞こえてくる。夢見心地から覚めた中野と小野は慌てて振り返った。そこには、アスファルトにへたり込む大野の姿があり、震える腕で路地裏を指を指している。その様子からただ事ではないと感じた小野は、中野に何時でも警察を呼べるように目配せをした後、暗い路地裏に近づく。

「うっ……」

 路地裏から二歩離れた位置に立つと、強烈な汚臭と鉄の臭いが鼻を刺激し、小野は反射的に右手で鼻を覆った。一体、この先に何があるというのか。だが、暗闇で覆われているせいでその全貌を窺い知ることは出来ない。小野は空いた左手で携帯を取り出し、ライト機能を使う。すぐさま長方形の金属板から眩い白色の光が放たれた。ゆっくりと、その光を闇のベールに近づけていく。

「うぇ……!」

 白く照らされた地面は朱色に染め上げられていた。強烈な鉄の臭いは血の匂いだったのだ。しかし、それだけではない。赤い水溜りには何かが浮いていた。小野はそれが何であるのかすぐに理解できた。今もこうして自分にくっついているものなのだから。小野の動悸が自然と、いや、不自然なまでに速くなっていく。

 それは成人した男の左前腕部だった。黒い革ジャンを来ていたことは見て取れるが、間接から先にある部分はまるで始めから存在していなかったかのように、奇麗に消失していた。肌は血の気が引いて青白くなっており、所々紫色の斑点が浮かび上がっている。

「中野先輩! 呼んで! 警察、病院? とにかく呼んでください!」

「……え、あ! はいはいはい! えっと、警察って一一〇だよね! 救急車は一一九、あれ! 一九九だっけ! あれ、えっとあれ!? ちょっとどっちだっけ!?」

「おえっ……おろろろろろろろろぉぉ」

 この世の地獄とはまさにこのことだろうか。



 翌日の午前五時一七分。X県滝下市、港商店街近くの路地裏にて。

 日が昇って間もない頃だというのに路地裏の周辺は警官や野次馬で埋め浮くされていた。

 そんな中、APCO捜査第一班、班長の東藤は寝起きの頭を掻きむしりながら黄色い規制線を潜る。警察から連絡がAPCOに届いたのは一時間ほど前、そこから自宅で家族とともに寝ていた東藤へ連絡が届いたのは四〇分ほど前の出来事であった。そこからAPCO管理の黒いバンではなく、かれこれ一〇年近くの付き合いになる自家用車を走らせて、ついに現場に到着したのがついさっきである。

「藪遅くにお疲れ様です!」

 現場を保存していた新人警官が背筋を伸ばし、絵に描いたように奇麗な敬礼をした。

 それに対して東藤は歩きながら崩れた敬礼を返し、そのまま多くの人間が群がっている路地裏に向かって歩く。近づく毎に鼻孔を強く刺激する臭いが彼を襲うが、警察だった時代から慣れたものであるため構わず進んでいく。

「あっ東藤さん、お疲れ様です」

「ああ……」

 警察との情報交換を終えた高水が東藤に気づいて挨拶をしてくる。

 かれこれ二〇年以上捜査の道に携わってきた東藤も眠気には勝てないのか、素っ気のない声で挨拶を返す。その間にポケットへ入れていた白い手袋を付ける。

「残された左腕は三〇代前半、男性のものであることは間違いないそうです。発見したのは居酒屋帰りのサラリーマン三人。死亡推定時刻は死斑から判断するに、約六時間前……つまり、昨日の二二時から二三時の間。現在、指紋から過去に犯罪歴がないか調べており、判明次第こっちに送ってくれるそうです。あっそこっ!」

 高水の制止は既に遅く、東藤の踏みしめた地面はべちゃっという音を立てた。

 東藤は鬼のようなしかめっ面を浮かべながら足元を見る。すると、そこには汚臭を放つ粘性を帯びた黄色い水溜り。嫌でも分かる、それは吐瀉物であった。

「……第一発見者は現場で吐こうとした際に腕を発見したそうで……。まあ、その。我慢できなかったんでしょうねえ……」

 つらつらと件のブツの出所を説明しつつ、生暖かい同情の視線を東藤に向ける高水。

 水溜りから少し進んだところで、東藤が地面をぐりぐりと踏みつけ汚れを取る。これらを無言のまま行う様は、何者にも追及を許さない気迫があった。しかめっ面は直らないが、比較的に機嫌を直した彼は口を開く。

「で、何でウチが呼ばれたんだ?」

「ええ。その発見された左腕なんですが、皮膚、神経、骨、身に着けていた服、何から何まで切断面が異様に滑らかで、まるで始めから存在していなかったように消失してしまった状態。また、それらには焼けた痕もなければ、鋸で切ったようなものでもない。本当にきれいさっぱり無くなっているとのこと。これは現代科学でも成し得ない超常的な現象だ、……ということでウチに白羽の矢が立ったようです」

「なるほど」

「それで、ここからが本題なんですが」

 辿り着いた路地裏は様々な番号札が置かれており、既に現場の写真を撮り終えたと見られる鑑識の写真係が出ていくところだった。それと入れ替わるようにして、東藤と高水が現場へと入っていく。東藤は膝を曲げて地面に身体を寄せると、注意深く観察し始めた。

 高水はそんな東藤に構わず、そのまま話を続ける。

「被害者が身に着けていたと見られる遺留物が……」

 高水は東藤の横顔に添えるようにして、胸から取り出した一枚の写真をスライドさせる。

 一瞬、東藤が更に顔をしかめたが、写真に何が映っているか横目で見た瞬間、目を見開いて高水から写真を分捕った。その写真には血だまりに浮かぶ、血濡れの白いカラスの羽が写っていた。



 “白烏”【シロガラス】。

 今から約七年ほど前からX県を拠点として活動をしていた暴力団ではない組織的犯罪集団。俗に半グレと呼ばれる存在である。彼らは主に悪質な闇金融や風俗営業といった貧困ビジネスを行って活動資金を得ていて、警察から幾度となく捜査の対象となっていた。だが、実際に捜査が行われることはなかった。そして、そんな警察を嘲笑うかのように白鳥の犯罪はエスカレートしていき、X県は暗澹とした空気に包まれたのだ。しかし、予想に反して事態はすぐに収拾がつくこととなる。当時、組織のボスを勤めていたとされる国松重四郎(当時二七歳)が、別件で勾留された六年前からぱったりとその活動を辞めてしまい、組織の全容が完全には掴めないまま、白鳥は街の闇に融けて消えてしまったのである。

 組織内の上層部に位置していた人物が警察の幹部の子どもである、という噂がまことしやかに囁かれており、それが数々の捜査を潜り抜けることが出来た理由なのではないか、との見解を出す週刊誌は多かったが、その殆どが二年以内に廃刊となっている。

 因みに、組織名は彼ら全員が身に着けていた、白いカラスの羽の装飾を身に着けていたことから名付けられたもので、彼らがそう名乗っていたという記録はない。



 “白羽事件”【シロバネジケン】

 今年の六月下旬にX県で起きた、男の左腕のみが発見されるという猟奇的な事件によって発覚した、過去三か月間に超越的猟奇事件の総称。(七月一〇日現在で反面している限りで一三件)。それらの共通点として、事件現場には血だまりとともに白いカラスの羽が落ちていること、近所の防犯カメラに白鳥の元メンバーと見られる人物が映っていたことから、APCOは何らかの関連があるものとして、警察と協力して捜査を行っている。

 SNS及び掲示板等では過去に猛威を振るっていた半グレ、白鳥に個人的な怨みを持った人物が化物となって復讐をしている。若しくは、かつての白鳥に所属していた者たちが仲間割れをした、といった憶測を飛び交わせている。

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