episode6-1 黒との邂逅

「――――――――!!!」

 椿姫が光金製薬に潜入しているのと同時刻。滝山市内のとある廃病院にて。

 白亜の魔人を含めたAPCO捜査第一班の五名は、分厚い埃を被った病院内で、激しい戦闘を繰り広げていた。

「滝上ぃ! そいつを逃がすんじゃあねえぞ!」

「……!」

 白亜の魔人は黒い体毛や筋肉の鎧を身に纏った野獣と、机を背に組み合っていた。その異形の姿はゴリラを彷彿とさせる。そして強靭な肉体に裏打ちされた圧倒的な腕力で、魔人の首を掴むと、机の上の道具などを魔人の肉体でなぎ倒し、そのままくすんだ白のひび割れたコンクリートの壁に叩きつけにいく。

「……ッ!」

 壁の亀裂はさらに広がり、天井からはパラパラと白い破片と埃が落ちてくる。

 多くの銃声が鳴り響き、無数の銃弾が大猿の異形の肉体を次々と穿つ。そして、異形の肉体から赤黒い体液が垂れ流されていく。しかし、異形が魔人の身体を離すことはなく、むしろその白い身体を盾にして、援護をしていた捜査班の人間たちへ突撃していく。

「……!!」

 魔人は自身の首を掴んだ腕に何度も打撃を加える。だが、その腕は離れない。

 銃声が止み、代わりに捜査班の狼狽えた声が聞こえる。捜査班の人間たちは慌てて異形の進行方向から外れると、たちまち元いた場所に魔人を模ったクレーターが作られた。その場にいれば確実に無残な肉塊に変えられていただろう。

「――――!!」

 異形が勝利の雄叫びを上げる。空気が震え、地を這う砂や埃が容易く吹き飛ばされる。 

 しかし、勝利を確信するにはまだ早いぞ。そう言わんばかりに、

「……!」

 魔人の紅き瞳が埃塗れの暗がりで燦然と輝いた。

 異形は狼狽し、魔人から距離を取ろうとするが既に遅く、右前腕の中ほどに鋭い熱が奔るのを感じ取ると、直後、溢れ出る痛みと消え去った右腕に悲痛の雄叫びを上げ、力を失うように後ずさる。

 魔人が異形にこれ以上距離を開けさせないように、異形の胴体へ、自身の右脚に巻き付いていた黒の触腕を絡ませる。が、まだ止まらない。触腕はさらに伸び、床のタイルに突き刺さり、異形を地面へと縫い付けた。

「……ァ!」

 轟く青い雷を刃へと変え、魔人は異形との距離を詰めるために跳ぶ。唸る刃は異形の首を目掛け、空を滑る。そして、

「伏せろォ!」

 捜査班の一人が叫んだ。

「……ッ!」

 魔人はその言葉と危険察知した本能に従い、即座に触腕を使って、空中でわざと姿勢を崩す。その束の間、魔人の頭上を突風が通り過ぎ、壁を深くえぐる。これは最早、見えない刃だ。

 白亜の魔人は着地の瞬間、即座に大猿の異形の懐へ飛び込み、腹部に一閃。床に二つの肉塊が力なく崩れ落ちる。そして、ゆっくりと立ち上がり、風が吹いてきた方向を見る。



「…………」

 それは割れた窓の傍に立っていた。逆光だが、魔人には確かに分かる。薄暗い病院内でも視認出来る黒い甲殻と、煌々と輝く紅き右目。白亜の魔人と瓜二つの漆黒の魔人、【幻祖六柱】の一柱である【疾風】は豪然とそこにいた。

「――」

 先に黒の魔人が動く。一瞬で白の魔人の懐に入り込み、腹部に鋭い貫手を放つ。

 目にも留まらぬ速さであったが、白の魔人は反応して見せた。闇の貫手を横から左手で掴んで受け止め、すかさず青い雷を流す。

「――――!」

 雄叫びを上げる黒の魔人はその場で、身体を捻るように勢いよく跳ぶ。

 白の魔人も関節の構造は人間とさほど違いはない。可動範囲を超えたために、黒の魔人の腕を離してしまった。

 空を舞う黒の魔人の紅い瞳が一層強く輝きを放つ。その瞬間、漆黒の右腕の周りを砂埃を巻き込んだ風が覆う。

「……!」

 白の魔人は危険を察知して後方へ下がろうとするが、床に落ちていた異形の死体に足を取られ体勢を崩す。そして、すぐさま触腕で無理やり体勢を支える。

 直後、白の魔人の元いた場所が見えない刃によって深い爪痕が刻まれた。

「……ァ!」

 白亜の魔人は倒れかけた状態のまま、青い雷を黒き魔人へ目掛けて放つ。

 その衝撃で黒の魔人は後方の窓側の壁に吹き飛ばされる。しかし、その速度は不自然なまでに減衰していき、壁にぶつかる頃にはほとんど速度がなくなっていた。稲妻は確かに効果を発揮しており、漆黒の魔人の腹部からは白い煙が上がり、それを手で押さえている。

「滝上! そのまま体勢を保っとけよ!」

「――!?」

 班員の一人が叫ぶと、四つの銃口が漆黒の魔人に向けられる。すぐさま、掛け声とともに一斉に引き金が引かれた。爆音が立て続けに鳴り、無数の銃弾が黒の魔人に直進する。

「――――!」

 黒の魔人が雄叫びを上げ、右腕を振るう。右腕は風を巻き起こし、鉛の弾を吹き荒れる暴風によって容赦なく叩き落とした。間を空けずに、黒の魔人は捜査班の人間たちに向けて走る。走っている間も銃撃は続いていたが、腕の甲殻によって急所を守りながら進んでいく。

「……!」

 当然、白の魔人は黒の魔人の行く手を阻むために、体勢を立て直して、黒の魔人の進行方向に立つ。そして、圧縮した水を黒の魔人目掛けて放出する。

 飛沫をまき散らしながら、鋭い水の刃が黒の魔人を肉薄する。

「――!」

「……!」

 黒の魔人は旋風を纏わせた右手で、水の刃を分散させ、無効化する。

 即座に効かないと判断し、白亜の魔人は接近戦に持ち込めるように構えを取った。右脚に巻き付いた触腕を再び引き剥がして、第三の腕の代わりにする。

 白と黒の人型の格闘はすぐに始まった。

「――――!」

「……」

 鋭利な旋風を纏う貫手が白の魔人の頭部に迫る。

 白の魔人は至って冷静だった。貫手を当たる寸前の所で、身体をずらすことによって躱すと、第三の腕で風を纏っていない二の腕部分を拘束する。そして、すかさず膝裏に踵蹴りを放ち、体勢を崩す。室内に骨のような硬いものが砕けるような鈍い音が響く。

 体勢を崩された黒の魔人は、そのまま床に膝から倒れこんだ。

「……!」

 創り出した好機を逃さないため、白亜の魔人が左手に青い稲妻を纏わせ握り拳を作る。そして黒の魔人の頭部に向けて振り下ろす。

 漆黒の魔人は白の魔人の胴体を下から左脚で蹴りつけ、頭部への攻撃を阻止する。

「……ッ!」

 蹴りが直撃した白の魔人はそのまま吹き飛ばされる。しかし、黒の魔人に巻きつけた触腕は離さない。白亜の甲冑は空中で触腕を動かし、漆黒の魔人を天井に叩きつけた。その反動で白の魔人も勢いよく叩きつけられる。余りの痛みに、触腕が黒の魔人から離れた。

 衝撃によって土煙が上がり、視界を埋め尽くす。だが、お互いが持つ紅い瞳の輝きが、それぞれの位置をお互いに知らしめていた。

「――――!」

「…………ッ」

 二体の魔人は構えを取り、息を整える。

 静寂の中、病院の一部が崩れ落ちる音と外から吹き込む風の音がよく響く。

 そして、

「――!」

 黒の魔人が先手を打った。幾つもの風の刃を創り出し、白の魔人がいる方向に向け放つ。

 姿は見えないが、無数の甲高い音が土煙を直進してきていることに白の魔人は気付いた。しかし、それは自分に当たるような場所でないことが判ったため、その場を動かない。

 見えない死を孕む刃は白亜の魔人の足元を深々と抉る。その威力は当たればタダでは済まないが、それは当たらなければいいということでもあると、白亜の魔人は考えた。

 けれども、続く第二波、三波以降も立て続けに白の魔人を逸れる。

「……!」

 白亜の魔人の脳内をある考えがよぎる。しかし、気付いた時は既に遅かった。傷つけられた床は崩壊し、白の魔人は腰まで地面に埋められてしまう。

「……ッ」

 そして、切り取られたように整った瓦礫が白の魔人の頭上に落ちてくる。その瓦礫が当たれば、白の魔人と言えども無傷ではいられない。無情にも、瓦礫は引力に従うままだ。待ったはない。



 結果として、巨大な瓦礫が白の魔人に降り注ぐことはなかった。代わりに、無数の小石が幾つか落ちてくるのみだ。その原因は、

「いやあ、遅れてしまって申し訳ない。本当ならばもう少し早く来たかったんだが、やはり老体では思ったように動けなくてねえ」

「……!」

 そこに立っていたのは、白を基調とした服を身に着けた老年の男性だった。男は目の前の惨劇や人智を超えた異形の存在にも動じず、飄々とした態度を崩していない。彼の右手からは黒い火の粉が絶え間なく吹き出ている。

 白亜の魔人に瓦礫が落ちなかったのは、瓦礫が黒い焔によって消し飛ばされたためだ。

 その男の名前は柳沼賢三。だが、これは真の名ではない。その正体は黒の魔人【疾風】と同じ異形の存在、【幻祖六柱】の一柱である【聖賢】なのだ。

「ん? おお、キミが新しい【六柱】の【疾風】くんか。その響きからして【風開】の後を継いだのはキミか……。それにしても話に聞いていたが随分と、まあ、滝上くんに似ているんだねえ。ふむ」

 柳沼は黒の魔人をまじまじと見て、何かを思案する。

 白と黒、二体の魔人も静観し、今後どう動くか考え始める。

 再び静寂に包まれた空間に、燃え盛る黒い焔の音が冴え渡る。

「これ以上はお互いに多大な損害が出るだろう。キミも、もう満身創痍って感じだしね。どうだろう、ここで手を引くというのは。いい提案だと思うんだが……無論、続けると言うのなら、こちらもそれ相応の対応をさせてもらう」

 漆黒の魔人に良く見えるように、黒焔が噴き出る右手を上げる。空気に触れた黒焔はチリチリという甲高い音を上げて、燃え盛る。触れれば何モノであろうとタダでは済まない、その場にいたモノたちはそう感じずにはいられなかった。

「――――!」

 黒の魔人は窓に脚を掛ける。

 周囲のモノ達はその様子を息を呑みながら見守る。

「……――!」

「……!」

 黒の魔人が何かを唱えると、床で真っ二つになった異形の肉塊が、黒の魔人に引き寄せられる。そして、二つの肉塊の内、上半身の方を肩に乗せると、廃病院を後にする。

 張り詰めた空気が一気に抜けて、誰の物とも知れないため息が室内に響いた。



 白の魔人は瓦礫を除けて、黒の魔人を追撃しようとしたが、柳沼がこれを制した。

「待ちなさい、その身体では追撃は難しい。後は他の人に任せて、キミは休むべきだ」

「………………。はい」

 白亜の甲冑が黒い渦雲に包まれる。

 程なくして雲は霧散し、その中から青年の姿が現れた。

 青年は複雑そうな顔をしながらも、柳沼の言葉に従って足を止める。

 そして、二人は息も絶え絶えに、どちらともなく砂埃を被った床に腰を下ろす。

「はあーッ! 死ぬかと思った! はったりが効く相手で本当に良かった!」

「はあ、はあ。はったりって……マジですか」

 柳沼は心底ほっとしたように、大声を上げた。

 柳沼の反応に驚きを隠せず、隆一は息を整えるよりも先に返答する。

「んー。ま、マジ? ともかく、さっきは本当に冷や汗が止まらなかったよ。あの黒いので何かを吹っ飛ばすのも随分と久しぶりだったし、もう私は戦える状態じゃあないから。……それにしても【疾風】くんか、アレ危ないねえ」

「……はあ、あーまあ、やばかったっす……ですね」

 疲れ切ってしまったため、隆一の語彙力は著しく低下していた。遠くで他の捜査班の人間があくせく働いているにも関わらず、手伝うどころか、それに気づくという思考にも至らなかった。

 近くの木に留まったセミの鳴き声が、やけに遠くに聞こえる。部屋に充満する、呼吸を阻害する砂埃や血の匂いが全く気にならない。それは柳沼も同様のようだった。

「昔の【ヴァル】を思い出したよ」

「ん、ああ。【幻祖六柱】ってやつのお友達、なんでしたっけ」

「そうそう、そういえば【轟焔】とお茶したんだって?」

 なんか話が一気に飛んだ気がするな――――

「え、ええ」

「堅物のあいつがそんなことをするとはねえ。全く、年月って恐ろしいねえ!」

 あんた、前に殺されかけたのにその余裕は何なんだ――――隆一はやけに楽しそうな柳沼に対して、疑問を覚えると同時に、やや引き気味になる。

「そ、そうっすね。こっちとしては生きてる心地しなかったんですけど。まあ、案外悪い奴でもなかったですね。それはそれとして、いつか倒しますけど」

「はっはっは! 元気がいいねえ!」

「……そっすね」

 そんな戦いの後とは思えない、呑気な雰囲気を醸し出す二人の下へ、

「滝上! 柳沼さん! こっちは何とか目標を達成した!」

 藍色の突入服に身を包んだ東藤が、地べたに腰を下ろした二人の下へ走ってくる。

「あっ、東藤さん! 他の奴らは?」

「他の五人はこっちで全員確保して、輸送車に乗せてる。念入りに身体チェックもやっといたから、トラブルは恐らくない」

「そうですか、良かった。これで六つ目ですね」

 隆一が言った六つ目というのは、“ブルーアイ”の売人グループのことである。捕まえた豪山や他の売人から得た情報によって、今回のような捜査を何度か行い、こうして確保してきたのだ。

「ああ、でもイタチごっこになってるのも事実だ。だから早いところ大元を抑えたいところなんだがな」

「へー……」

 自身は戦うことでしか力になれないということに、申し訳なさを感じた隆一であったが、それを口にすることはなかった。こういった類の言葉を口にする度、目の前の知り合いは大抵悲しそうな顔をしたためだ。

「他の捜査班が、薬を製造しているらしい企業を潜入捜査しているって噂だ」

「へー、なんかスパイ映画みたいですね」

「映画みたいだよなあ、ここ日本のはずなのにな。警察やってた頃じゃあ、全然考え付かなかったなあ」

「東藤くんは刑事さんだったんだねえ」

「ええ、そうなんですよ。……まあ色々ありましてね」

 愉快そうな柳沼の言葉に、東藤は頬を掻きながら、若干歯切れの悪い返答をする。

 柳沼や隆一はその行動から何かを感じ取ったのか、それ以上聞くようなことはなかった。

「あっそういえば、柳沼さん」

「ん? どうしたんだい?」

 微笑を浮かべた隆一が、話題を切り替えるために、柳沼へ話を振る。

 柳沼は唐突な話題の切り替わりに、少々面食らったようだが、いつもの余裕は崩れていなかった。

「あの、あの黒いの、【疾風】なんですけど。なんで俺とあいつが似ているのか、分かりませんか? ここ最近、何度も戦ってるんで、なんかこう……気になるんですよ。前に【轟焔】にも聞いてみたんですけど」

「うーん。【轟焔】にも分からないなら、私にも分からないねえ。何分、最近の彼らの事情にはとことん疎いもので、特に“ブルーアイ”に関しては門外漢もいいところだ。まあ、【疾風】の存在には【幻相】が一枚絡んでいる、とは思うんだが」

「そう、ですか、ありがとうございます」

 柳沼は申し訳なさそうな顔をしてそう言った。

 隆一は自身の内で燻る、形容し難い感情を意識しつつ、礼を言う。

「滝上、今日は取り敢えず上がっとけ。当分は作戦もないから、十分休んどけ」

「あ! そうですね。お疲れさまでしたー!」

 頬を二度叩き、頭の霞を振り払うと、隆一はその場を後にした。



「あいつ切り替え早いな」

「それが彼の長所だと私は思うよ」

「……ほんと、こんなことは早く終わりにしたいもんです」

「そうだねえ。ああ言った子どもが笑顔でいられるように、早くしたいものだ」

 幾つもの歳を重ねた男たちは、走り去る青年の後ろ姿を見て、やるせなさを感じると同時に、仕事に対するやる気を見出した。

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