錬金術でできたのは……
その日は錬金術の授業だった。
教室の卓上にはフラスコやビーカーなどの機材が並ぶ。
魔法使いってこんな事もするんだなあ。
などと思っていたら、空の試験管を倒してしまった。隣の席の女子のエリアまでころころ転がってゆく。
「あ、ごめんなさい」
すると女子は身体をびくりと震わせた。
「こ、こ、こ、こちらこそ申し訳ありませんユキ様。どうぞ、試験管をお受け取りください」
などと、うやうやしい動作で試験管を返してくれた。
またこのパターン。
どうやら私は他の生徒達から距離を置かれているようなのだ。
編入時の暴力のようなものはないけれど、これはこれで居心地が悪い。おそらく私がラ・プリンセスである事と関係あるらしい。
王子様とその取り巻きだけでなく、全校生徒から敬われるべき存在。それがラ・プリンセスなのだ(ミリアンちゃん談)。
おかげで今のところ友だちと言える存在は、ミリアンちゃんとジェイド君だけ。みんなと仲良くなれる日は、はたして来るのだろうか。
かといって、亜人だからといじめられても困るんだけど……。
そして授業が始まった。今日の作成物は「魔除けの聖水」。それを身体に降りかけると一定時間モンスターと遭遇しなくなるとか。主に町の外に出る非力な旅人や行商人が使うものらしい。
講師のいうとおりにビーカーに材料を投入してゆく。
メランの実、ヤルルの葉――と言われても、なにがなんだかわからない。
とりあえず周囲の子に聞こうかと思うも、みんな真剣で、そんな空気じゃない。私は遅れないようにみんなの様子を観察しながら、同じように材料を投入してゆく。最後に水を注いでかき混ぜれば完成らしい。
周囲ではビーカーの中身が光り出し、透明度の高い薄緑色の液体が出来上がってゆく。
と、私のビーカーから、ぽんっという音とともに小さな煙が立ち上った。
「ひゃっ!?」
今、煙出たよね?
うわあ。これって絶対失敗フラグじゃないか。
恐る恐る目を開けると、ビーカーの中には拳大の土の塊みたいなものが。
さてはこれは「魔除けの聖水」ならぬ「魔除けのシンボル」かな?
なんてこともなく、普通に失敗してしまったらしい。
「ユキさん。次の授業までには作れるようになってくださいね。せめて液体を」
講師の言葉に生徒達のくすくす笑いが聞こえる。うう、恥ずかしい。
その後は講師による解説が始まる。けれど私はそんな事を聞いている場合じゃなかった。
この土みたいな物体は一体なんなのか。そっとビーカーに鼻を近づけると、スパイシーな香りがした。色々な香辛料を混ぜ合わせたような……これはまさか……
周りに見られていない事を確認して、土色の塊を少量削ると、素早く口の中に放り込む。そのとたん広がる馴染みあるスパイスの香り。
やっぱり、やっぱりこれは、
カレールー!!
しかも中辛!
「ヴィンセントさん、今日の夕食は私の故郷の料理を食べてみませんか? 『カレー』って言うんですけど」
厳密にいうと日本料理ではないが、日本人にとってソウルフード的メニューといっても過言ではないだろう。
「別に構わないぞ。お前の作る食事は美味いからな」
そんなこと言ったってカツサンドばっかり食べてるじゃん。最近ではカツサンドマスターになった気分だ。
しかしお許しを貰ったのは事実である。帰り道の途中で材料を買って、家に帰り着く。
誰もが知っているであろうカレーの作り方。炒めたお肉と飴色玉ねぎ、じゃがいも、人参をお鍋で煮込む。沸騰したらアクを取りながら、野菜が柔らかくなるまで煮込む。一旦鍋をかまどから下ろして、細かく刻んだカレールーを混ぜ合わせ、再び弱火で煮込めば完成だ。
後は真っ白いご飯にかければ、私が日本で食していたカレーそのもの!
「さあ、どうぞヴィンセントさん」
「うむ。いただきます」
私はヴィンセントさんがスプーンでカレーをすくって口に運ぶまでを見守る。
やがて彼の口から出てきた言葉は……
「……美味い! 辛味のあるソースとライスが混ざり合う事によって、まるで味のサーカスのようだ!」
また変な比喩を使い出した。
曖昧に笑いつつ私もスプーンを口に運ぶ。
あー、そうそう、この味。この味だよ懐かしいなあ。
「ユキ、カツサンドも美味いが、このカレーという料理も美味いな。週に一度は夕食に出してはくれないか?」
そんなに気に入ったのか。
まあ、私もカレー好きだからいいけど。
そういうわけで、我が家の部屋の片隅に、カレールーを作るために必要な錬金術用具が加わったのだった。
「おかしいなあ……」
学校がお休みの日、私は自宅の錬金術セットの前で困惑していた。
先日授業で作ったカレールー。あれがどうしても再現できないのだ。なぜか「魔除けの聖水」ができてしまう。
ある意味それで正しいのだが、私の欲しいのはそれじゃない。カレールーなのだ。
「よくもまあ、こんなに作ったものだな」
バケツいっぱいの「魔除けの聖水」を見たヴィンセントさんが、少々呆れた声を上げる。
「だって、カレールーができないから……」
何度も失敗した結果のバケツいっぱい魔除けの聖水なのだ。カレールー成功回数はゼロ。なぜだ。
「ちょうどいい。我輩はこの『魔除けの聖水』を魔法道具屋に売ってこよう。ユキ、お前もあまり根を詰めるな。カレーは次の楽しみにとっておけばいい」
ヴィンセントさんは私の頭を撫でると、バケツごと持ってどこかに行ってしまった。
あーあ、ヴィンセントさんにまたカレー食べさせてあげたかったなあ。
なんで作れないんだろう。同じ材料を使ってるはずなのに。
とりあえずその日のメニューはカレーからカツサンドに変更になった。
「と、いうわけなんだけど、ジェイド君はどう思う?」
翌日のお昼休み、私は昨日のことをジェイド君に相談した。どうしてもカレールーができないと。
ジェイド君に相談した理由は簡単。学年トップの頭脳と技量の持ち主だからだ。そんな優秀な人物なら、私の悩みなどささっと解決してくれるに違いない。はず。
「教科書通りに『魔除けの聖水』ができたのなら、それでいいじゃありませんか」
「それじゃダメなんだよう! 私はカレールーが作りたいんだよう!」
ジェイド君はため息を一つつくと、眼鏡を押し上げる。
「錬金術は材料さえ間違っていなければ、失敗することはそうそうありません。あとは作成者の技量の問題ですが、その後は失敗ぜずに正しく作れたというのを考えれば、その可能性も低い」
「えーと、つまり?」
「どこかで余計なものが混入したということです」
余計なもの? あの時は授業についていこうと必死だったからなあ。余計なものが混入していてもおかしくはない。でも、その後同じように作ってもカレールーはできない。ジェイド君の言う通り、何かが混入したとすれば……。
「あ」
私は思わず声をあげた。
「あのう、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
休み時間、私がミリアンちゃんと共に声をかけたのは、錬金術の授業の時に隣にいた女の子。試験管を拾ってくれたあの子だ。
「な、なんでしょうユキ様」
怯えた子うさぎのような瞳。まるで私がいじめているようじゃないか。声をかけただけなのに。
理不尽な思いにかられながらも女の子に尋ねる。
「あのね、この前の錬金術の授業の時に、私の器具に何かおかしなところはなかった?」
「え?」
女の子は眼を見張る。
「実はね、あの後自宅で『魔除けの聖水』を作ったんだけど、一度も失敗しなかったの。魔法に詳しい人に聞いても『材料さえ間違っていなければ、失敗することは滅多にない』って。それならどこかで余計なものが混ざった事になる。あの授業の時、私の隣にいたのはあなた。ねえ、何か心当たりはない? ……こんなこと言いたくないけど、もしかして……何か細工したとか」
そのとたん、女の子の顔が歪んだ。まるで今にも泣き出しそうに。
「ご、ご、ごめんなさいごめんなさい! 許してください!」
私とミリアンちゃんは顔を見合わせる。どうやらあの日、なんらかの細工をしたのは、本当にこの子だったらしい。
「教えて。一体何をしたの?」
「ご、ごめんなさいごめんなさい!」
私の問いにも、女の子は取り乱したように謝るばかり。
そこでミリアンちゃんが説得する。
「落ち着いて。ユキさんは何もあなたを責めているわけじゃないのよ。ただ、あなたが何をしたのか知りたいだけ。そうですわよね? ユキさん」
「そうそう。むしろ教えて欲しいくらい」
女の子は眼を瞬かせる。
「どうしてでしょうか?」
「それは、あの失敗作がとっても役に立ったから、もう一度作りたいの」
女の子は不思議そうな顔をしながらも、口を開く。
「……あの時、ユキ様がきょろきょろしていたので、あらぬ方向を向いている間に、お塩をひとつまみビーカーに入れました」
「塩!?」
そういえば、授業についていけるようにと周囲に気を取られていた。あの時か。
「ごめんなさい。許してください」
「だから怒ってないってば、むしろ感謝してる。ありがとう!」
私は女の子の両手を取りぶんぶんと上下に振る。
「あ、でも、ひとつ気になることが……」
「な、なんでしょう?」
「どうしてそんな事したの?」
女の子ははっとしたように目を伏せて黙り込む。
無言の時間が流れる。
やだ、なにこれ。気まずい。もしかしていじめの一環とかだったのかな。だったらどうしよう。こわい。
その時、ミリアンちゃんが口を開いた。
「私が言い当ててみせましょうか? ずばり、あなたはユキさんに嫉妬していたのでは?」
嫉妬?
私の疑問を孕んだ視線に、ミリアンちゃんは頷く。
「亜人でありながらラ・プリンセスに選ばれ、多くの人からまるで本物のプリンセスのような扱いを受けている。そんなユキさんが羨ましかったのですわ。だからちょっとした嫌がらせを、ね」
すると、女の子は黙ったまま俯いた。
どうやらミリアンちゃんの言った通りみたいだ。ラ・プリンセスなんかになったって、良いことなんかないのに。
「あなたも名家の娘でしょう? そんな事をして恥ずかしくはないの? 自分から家名を汚すようなことはおやめなさい」
ミリアンちゃんのお説教に、女の子は
「はい、申し訳ありませんでした。もう二度といたしません」
と謝ってくれた。
「いいよ。さっきも言ったけど、あの失敗作、すごく役に立つから。むしろ感謝してる。あと、その『ユキ様』っていうのやめて貰えるかな? なんだか落ち着かないし。同級生なんだから」
「でも、ラ・プリンセスは、ラ・プリンセスですから……」
なんだかよくわからない事を言い置くと、女の子は逃げるように去っていった。
むむむ。ラ・プリンセスという肩書が、私の楽しい学園生活を阻害している……!
「ラ・プリンセスも大変ですわね」
ミリアンちゃんが慰めてくれた。ミリアンちゃん権天使。
帰宅した私は、さっそく調合台に向かう。
女の子に言われた通り、材料と一緒に塩を一つまみビーカーに。最後に水を注げば……。
ぽんっという音と共に煙が上がると、そこには念願の茶色の塊が。
少し削って口に入れると、スパイシーな香りと共に馴染みのある味が広がる。
できた! 再びあの味が! これでカレーが作れる!
「ヴィンセントさん! 今日はカレー祭りですよ!」
「――というわけで、カレールー問題は無事解決しました。ジェイド君の助言のおかげだよ」
「僕はただ事実を述べただけですが、お役に立てたようなら何よりです」
「それでね。ささやかなんだけど、お礼がしたくて。今度のお休みの日、空いてるかな?」
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