恐怖の時間

 翌日、ヴィンセントさんに送って貰いながら、昨日のことを考える。

 あれでみんな納得してくれたよね? 流石に私が結婚しているとなれば、ラ・プリンセスの件は消滅するに違いない。


「どうしたユキ? 先程からずっと上の空だぞ」


 あれこれ考えていたら、ヴィンセントさんに心配されてしまった。


「いえ、今日は一段と寒いなーと思って。あ、そうだヴィンセントさん、手を繋いで良いですか?」

「勿論だ。ほら、手を貸せ」


 手を繋ぐと身体まで温かい。寒さと一緒に悩みごとも消えて行くような気がした。




「それじゃあ行ってきます」

「ああ、さぼるなよ」

「さぼりませんよ!」


 学校の校門前で、しばしの別れを惜しむ。

 最後に私の頭を撫でると、ヴィンセントさんは元来た道を引き返して行った。


 さて私も教室に……と門を通り抜けたところで


「待ってたよ。子猫ちゃん。おはよう」

「ひっ!?」


 見れば、王子様とその取り巻きがずらりと勢揃い。なんだろう。圧を感じる。


「お、おはようございます、アトレーユ様。わたくしめに何かご用でございましょうか?」


 後ずさりつつ尋ねると


「やだなあ。君はラ・プリンセスじゃないか。僕がエスコートするのは当然だろう?」

「いや、でも、私、昨日も言ったように既婚者なので……」

「僕はそれでも構わないって言ったよね。だから君がラ・プリンセスなのも変わらないんだよ」


 えー……なにそれ……これでは体を張って既婚者アピールした昨日の苦労が水の泡ではないか。


 なんて考えていたら、私は王子とその取り巻き達に囲まれて、逃げ場を失っていた。


「さあ、教室までエスコートさせてよ。僕のプリンセス」


 輝くような笑顔で膝を突き出すアトレーユ王子。

 どうでも良いけど、そのセリフ、言ってて恥ずかしくないのかな……。

 私は辺りを見回すが、どの生徒も間に入ってくれる気配もない。好奇心に満ちた瞳を向ける者さえいるほどだ。

 ミリアンちゃんもいないし……。

 仕方ない……ヴィンセントさん、ごめんなさい!

 私は覚悟を決めて、王子の腕に自分の手を重ねたのだった。



 

「朝から災難でしたわね」


 教室に着くと、ミリアンちゃんが慰めてくれる。

 幸いにも私達はアトレーユ王子とは違うクラスらしい。教室前まで送ってくれると


「それじゃあまた、お昼にね」


 と、取り巻きとともに去って行ってしまった。

 お昼にまた来るの? もうやだ……。


「まさかのラ・プリンセス継続だなんて……旦那様を裏切ってるみたいで辛いよう……」

「アトレーユ様はそれも楽しんでらっしゃるのかもしれませんわね。まったく、趣味の悪いこと」


 なんとも人ならざる行為。王子様の血は何色だ!


「だいたい私は魔法を学ぶためにこの学校に来たのに、王子様のお守り係じゃないよ……まだ全然魔法も使えないし……授業も何言ってるのかわからないし……」

「それなら、私が初等部の頃に使っていた教科書を譲りましょうか? 初歩的な魔法の使い方が載っているはずですわ」

「ほんと!? ありがとう! ミリアンちゃん優しい! 女神! 天使!」


 私の感謝の言葉に、ミリアンちゃんは「大げさですわよ」と笑った。




 さて、ついに訪れたお昼休み。

 私は王子様が来る前に、昨日のようにミリアンちゃんと逃避行するつもりだったのだが……


「マクシミリアンお姉様! 今日こそ、わたくし達とランチをご一緒して頂きますからね!」


 教室を出た途端、例の「妹ちゃん」ならぬミリアンちゃんの親衛隊が、何人も押し寄せてきたのだ。


 ミリアンちゃんは申し訳なさそうに眉尻を下げながら、それでも笑顔で対応する。


「ごめんなさい。今日も先約があって……」


 そう言うと、妹ちゃん達は私をきっと睨みつける。

 な、なんだなんだ。心なしか殺気のようなものを感じる。

 その中の一人が進み出てきた。


「ユキ先輩。あなたはラ・プリンセスなのですよね!?」

「え、ええ、まあ……」


 不本意ですけど。


「お願いです! わたくし達からお姉様を奪わないで! ラ・プリンセスであるあなたなら、アトレーユ様だって独り占めできると言うのに! 二股なんてずるいですわ!」

「え……二股とか、そんなつもりは全くないんだけど……」

「そうですわよ。あなた達、ユキさんは私の大切なお友達ですのよ。侮辱したら許しませんからね」


 おおお、ミリアンちゃんがズバッと言ってくれた。おまけに「大切なお友達」だって。なんとなく照れる。


 と、その時


「やあ、僕のプリンセス。待たせちゃったかな?」


 この恥ずかしいセリフ!

 振り向くとアトレーユ王子と、その取り巻き達が立っていた。

 しまった。初動で躓いたせいで、妹ちゃんと王子に挟まれるような形に……!

 ここは妹ちゃん達を犠牲にしてミリアンちゃんを取るべきか、それとも王子様をスルーして、妹ちゃん達に紛れてミリアンちゃんを取るか……!

 もしくはどちらも存在しないものとしてミリアンちゃんを取るか。


 私はしばし考えたのち結論を出した。


「ミリアンちゃん、気を遣わせちゃってごめんね。今日はアトレーユ様と行くことにする。妹ちゃん達と仲良くね」

「でも、ユキさん……」


 妹ちゃん達に恨まれるのはまっぴらだ。かといって王子様をないがしろにした結果、悪い事が起こるのも耐えられない。

 チキンな私は安全策を選択した。


 ミリアンちゃんには、大丈夫だと言い聞かせるように大きく頷いてみせる。

 ミリアンちゃんは心配そうな顔をしていたが、大量の妹ちゃん達に囲まれ、こちらを振り返りながらも去っていった。



 朝と同様、アトレーユ王子にエスコートされながら、今度は学食まで案内される。


 それにしても、王子様自身もそうだけど、その取り巻き達もみんなかっこいいな。

 事前に聞いていたミリアンちゃん情報によると、皆どこぞの大貴族や有力者のご子息だとか。

 一見、アトレーユ様みたいに私を差別してはいないみたいだけれど、育ちの良さも極まると差別とかどうでもよくなるのかな? ジーンさんもそうだったし。側室にされかけたけど……。



 そうこうしているうちに食堂についた。

 一番窓際の日当たりの良い場所。

 と、そこの空間だけ他とは違うことに気づいた。

 椅子の座面が布張りで、テーブルにも真っ白いクロスが掛けられている。床には絨毯まで……。

 腰掛けようとすると、専属の執事らしき男性が椅子を引いてくれた。


 な、なんだこのブルジョワ空間は。


「気に入ってくれた? ここは僕達専用の特別席なんだよ」


 気にいるも何も、こんな所でお昼ご飯だなんて、緊張する以外の何者でもない。今にもフォアグラとか出てきそう。


 アトレーユ王子は、前髪を弄りながら思案する様子を見せる。


「そうだなあ。今日はフォアグラが食べたい気分かな」


 ほんとに出てくるの!? フォアグラ!


「子猫ちゃんはどうする? 僕と一緒のメニューでいいかな?」


 もう私の呼び名は「子猫ちゃん」で固定なのかな……いい加減恥ずかしいんですけど。


「私はお弁当を持参しているので結構です」


 フォアグラにも惹かれるけど、私にはこれがあるし、とランチボックスを取り出す。蓋をあけるとカツサンドが詰まっている。


「へえ、そのサンドイッチ、子猫ちゃんが作ったの? 見たことのない具だね」


 どうやらみんな一度はカツサンドに興味を示すものらしい。

 

「でもね、子猫ちゃん。残念ながらそれは食べちゃダメだよ」

「え?」


 王子は私のランチボックスを素早く取り上げると、執事の男性に渡す。


「な、なにを……」


 困惑する私に王子様は説明する。


「そんな貧相なランチは子猫ちゃんには不釣り合いだよ。君はラ・プリンセスなんだから、それ相応の振る舞いをしなきゃ。勿論食事もね。ラ・プリンセスを指名した僕の品格まで疑われちゃう」


 なにその理由。

 私は好きなものも食べられないの? そんなの理不尽。

 

「あの、さっきのサンドイッチはどこに……」

「ああ、安心して。執事が廃棄してくれてると思うよ」

「は、廃棄!?」


 し、信じられない。人が一生懸命つくった料理を、ありえない理由で捨てちゃうだなんて!

 ラ・プリンセスだかなんだか知らないけど、こんな人と仲良くなれるわけがない。


 私は勢いよく椅子から立ち上がると


「すみません。用事を思い出したので失礼します」


 そう告げると、そそくさと食堂から逃げるように退室した。

 冗談じゃない。いくら王子様だからと言って、あんなふうに食べ物を粗末に扱う人なんかと仲良くなりたくない。それが自分が作ったものならなおさら。

 私は憤慨しながら足早に教室への道を急いだのだった。





「……お腹すいたよう」

「あら、また何かあったの?」


 気にかけてくれるミリアンちゃんに、学食での出来事を打ち明ける。


「それは大変な目に遭いましたわね……ああ、そうだわ。それならこれを」


 そう言ってミリアンちゃんが鞄から取り出したのはいくつかのマドレーヌ。


「私の『妹』から頂いたんですの。でも、一人じゃ全部は食べきれないし、よろしければユキさんもいかが?」

「い、いいの!?」

「もちろんよ」


 やったー! ミリアンちゃん大天使!


 そうしてきつね色のマドレーヌを頂きながら、明日からどうしようかと考えを巡らせていた。

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