暴れん坊の王子様

 え……? ノノンちゃん? なんで?

 呆気に取られていると、ノノンちゃんが唇の片方を持ち上げて不敵な笑みを浮かべる。いつものどこか儚くも可愛らしい笑顔からは想像もできないような。


「どうしたの? ぼけっとした顔して。あ、もしかしてまだ理解が追い付いてなかったりする? 間抜けなユキさん」

「ノノンちゃんはそんな事言わない!」


 反射的に声を上げると、ノノンちゃんは肩をすくめた。


「呆れた。まだ現実を受け入れられないの? ほんとの僕はノノンなんて名前じゃないし、もちろん女でもないんだよ。わかる?」


 な……それじゃあ、これがいわゆる「男の娘」というやつなのか……!? 初めて見た。女の子の格好が似合うなあ……。

 改めてまじまじとノノンちゃん(仮)を見つめていると、彼女……いや、彼は不審そうに眉をひそめた。そして王子様に顔を向ける。


「ねえ殿下。この女まだ馬鹿みたいな顔してるよ。もしかして何もわかってないんじゃない? どこまで話していい?」


 馬鹿みたいとか言われた……どんな顔してるんだろ……ていうか、ノノンちゃんがほんとはこんな事言う子だったなんて……一時期はベッドまで譲ったというのに! けしからん!

 私はノノンちゃんを制すように声を上げる。


「わかってるよ! 『暴れん坊プリンス』があまりにも現実の王子様の行動に近いから、もしかしてどこかの組織のスパイが書いたんじゃないかって疑ったんだよね? それで、ノノンちゃんは王子様の配下で、作者の『アラン・スミシー』が誰かを探るために、作中に出てくる食堂にそっくりなうちのお店に潜入しにきた」

「へえ、大体は理解してるわけだ。でも殿下の前でその口調はいただけないな。改善しないと斬っちゃうよ?」


 愛らしい少年の唇から何のためらいもなく飛び出した「斬る」という言葉に一瞬慄いたが、それでも私は続ける。一応丁寧語で。


「そ、それだけじゃありません。私が今日この場所に一人きりでいるところに王子様が現れるなんて、タイミングが良すぎます。私がここでお洗濯するって決まったのは今日のお昼の事なのに。それを知っていて今ここにいる人物はノノンちゃん。でもノノンちゃんは仕事でお店を離れられないはず。だからノノンちゃんから得た情報を、王子様に知らせる役目の人もいるはずです。もしかしたらすでにこの近くに……」


「なーんだ。おまん、ぼけっとしてるように見えていい勘してるじゃん。ウチの存在にまで気づくとは思わなかったでや」


 唐突に背後から女性の声がした。

 反射的に振り向くと、そこには私より年上であろう女性。身体にぴったりの茶色い上着の上に赤い籠手と胸当てを着け、太ももをかろうじて隠すくらいのベージュのショートパンツからは、タイツに覆われたすらりとした足が、丈夫そうなブーツの中へと伸びている。

 そして、ショートカットの栗色の髪からは、垂れ下がった小さな耳が生えていた。まるで小型犬みたいな。長い睫に縁どられた黒目がちな瞳が、余計にそう思わせる。


 い、いつのまに後ろにいたんだろ。全然気づかなかった。


「そんなに怯えなくて良いしけ。ウチはおまんに危害を加えるつもりはないよ。まあ、殿下がやれってうなら別だけど」


 なんだか不思議な話し方をする女性だ。方言かな?

 そんな事を思っていると、女性がちらりと王子様に目を向ける。腰の後ろに見え隠れする短剣の柄に手をかけながら。

 あれ、もしかして、王子様の返答次第では、私は成敗されてしまうのでは? 不敬罪とかで。

 そ、そんなの困る! だって、だって、ここで死んだら花咲きさんに二度と逢えなくなっちゃう!

 片側には王子様とノノンちゃん。もう片側には犬耳女性。

 思わず壁を背にして後ずさると、王子様が手を挙げて女性を制止した。


「もうよい。フリージア、構えを解け。怯えているではないか。気の毒に」


 誰のせいだ。そもそもはこの王子様の思い込みが原因じゃないか。まあ、知らずに王子様の所業にそっくりな内容の話を書いてしまった私にもほんのちょっとだけ責任はあるかもしれないが。ほんのちょっとだけ。


 とりあえず、王子様のとりなしで、フリージアと呼ばれた女性は「ちぇっ」という声を漏らしながら、短剣から手を離した。ていうかなんで舌打ちしてるの。やる気満々じゃないか。怖い……。


「そ、それでは誤解も解けたようですし、私はこれで失礼させていただきますね。えへへえへへ」


 さりげなくその場を離れようとした私だったが


「待て、猫娘よ」


 王子様が呼び止めるので、反射的に足を止める。


「お前の小説、なかなか面白かったぞ。特に街中の店を拠点にするところ。あれは良いアイディアだ。せっかくだからあの物語のようにこの店を城下町での拠点にさせて貰おうではないか」

「は?」


 え、それって銀のうさぎ亭2号店に入り浸るって事? 王子様が? うわあ、面倒な事考えついたな。


「お、おそれながら殿下、このお店は私のものでは無いですし、店長が了承するかどうか……」


 恐る恐る遠回しなお断りの言葉を献上する私だったが、王子様は気にする様子もなくノノンちゃんを振り返る。


「なんとかなるだろう。なあ、ノノンよ」


 ノノンちゃんはしばらく首を傾げて考えていたが、やがて何か閃いたように王子様に耳打ちする。


「ほう。なるほど。それはなかなか良い考えかもしれないな」


 頷く王子様。いったいどんな方法なんだろう。

 ノノンちゃんは褒められて嬉しそうだ。


「それじゃあユキさん、店内に行きましょうか。ちょうど午後の休憩時間ですしね。あ、わたしたちがどんな事を言っても、くれぐれも余計な口を挟まないでください。あと、わたしたちの正体も口外したらタダじゃおきませんよ」


 口調も声のトーンもいつも通りの可愛いノノンちゃんに戻った。凄まじい演技力……! 態度はちょっと悪いけど……。


 そうして店内へと戻った私たち。犬耳おねえさんは


「ウチはややこしい事にならないように、その辺でブラブラしてるしけ、上手くやりないや」


 との言葉を残してどこかへ行ってしまった。


 お店に入るとレオンさんが


「お、ネコ子、洗濯終わったか? 賄い出来てるから食えよ」


 と、そこで王子様の存在に気づいたらしい。


「あー、もしかしてお客さんですか? すいません。今は準備中なもんで」


 断ろうとしたレオンさんに対し、ノノンちゃんは両拳を握りしめて、その前に走りでる。


「違うんですレオンさん。この人はわたしの……わたしの生き別れの兄なんです!」


 は?

 生き別れの兄? なんだその設定は。

 レオンさんも「お、おう?」と戸惑っているみたいだ。


「俺の名はユージーンだ。突然の訪問になってしまいすまない」


 口調はさっきより砕けてはいるが、すまないと言う割には態度でかいな。ていうか、王子様はユージーンって名前だったのか。それともノノンちゃんみたいに偽名なのかな?


 ちらりとノノンちゃんを伺うと


「ついさっき奇跡的に再会して……! 夢みたいです!」


 兄と会えた感動という設定からか、目に涙まで浮かべている。

 流石にそれは無理のある言い訳なんじゃないかなあ。

 王子様が口を開く。


「妹が大変世話になったと聞いている。本来ならばすぐにでも引き取りたいところなのだが……生憎と今はゴタゴタしていてな。その余裕がない。けれどいつか必ず迎えに来る。だからあと少しだけこの店に置いては貰えないだろうか。俺も出来るだけ様子を見に来るし、援助もするから」


 ノノンちゃんの作戦ってこの事だったのか。確かに関係者の身内という事にすれば会いにも来やすい。


「ふうん、わかった。そういう理由なら引き受けても良いぜ。ただし、ノノンを不安にはさせるなよ」


 ああ、レオンさんがまんまと引っかかっている。やはりいたいけな少女というのは破壊力が凄いな。


 そうしてユージーンさんこと王子様は、いつでもこのお店に来る事を許可されたのだった。

 



 うう、今日は疲れた。まさか本物の『暴れん坊プリンス』が存在するなんて思いもよらなかったし、なんか脅された気もするし……。


 そんなこんなで花咲きさんの家に帰ると、当の花咲きさんが床で寝ていた。側のイーゼルには描きかけの絵。

 その姿を見た瞬間、今日の出来事が鮮明に蘇ってきた。

 別人のようなノノンちゃんに、本物の王子様。おまけにもう少しで斬り殺されそうになった事。

 それに何より、もう二度と花咲きさんに逢えないんじゃないかと思った事。


 その時の恐怖が蘇ってきて、なんだか少し心細くなってしまった。

 取り敢えず風邪をひかないようにと、花咲きさんに毛布をかけると、こっそり手を握る。温かい。誰かの温もりを感じていられる。それだけで恐怖感が少し薄れたような気がした。


 と、その時、手を握られ返された。

 見れば、花咲きさんが瞳を開けて、その緑色の瞳で私を見ている。


「黒猫娘。何かあったのか? 手が冷たいぞ」

「あ、起こしてしまってすみません……! 実はその、今日はちょっと怖い人に絡まれてしまいまして……もう花咲きさんに逢えないんじゃないか、なんて思ったりしたもので。本物の感触を確かめたくて……」


 上半身を起こした花咲きさんに、肝心なところを伏せて説明すると


「それなら好きなだけ触るがいい」

「え?」

「感触を確かめたいのだろう? お前の精神的苦痛が和らぐのなら、それくらい我慢してやろうではないか」


 ほ、ほんとに? いいの?


「あの、それじゃあ立ってもらえますか?」


 花咲きさんの手をとり立たせると、私は真正面に立つ。

 少し躊躇ったが、許可も得た事だし、と思い切って身体をくっつける。腕を背中に回す。顔を胸に埋めると、油絵の具の匂いがした。


「……また逢えてよかった」

「不思議な事を言うな。そんなに怖かったのか?」


 言いながら、花咲きさんは私の頭を撫でてくれた


 ああ、これでやっと気付いた。やっぱり私、この人のこと好きなんだなあ。

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