六.
翌日。
特にやることもなかったが日の出ている間は力が鈍るので夕暮れに出向くと、あかつきは俺の気配にすぐ気づき嬉しそうな顔をした。
「おお赤鬼、遅かったな。入っていいぞ」
そう言うので俺は遠慮せずに入る。
「ほれ近う寄れ」
なんとなく離れて座るとそう言ってあかつきが自分からにじり寄ってきた。
「お前から寄ってきてんじゃねーか」
「細かいことを言うでない」
そう言ってにやにやしている。
何故こんなに上機嫌なのだろうかと思うがまあ単純に言えば俺が来るまで退屈だったのだろう。
根無し草の風来坊の俺からすればこんな窮屈な所は三日も耐えられそうにない。
「いきなり来るのに土産もないのはどうかと思ってな」
そう言って俺は懐から一冊の書物を取り出す。
「都にいたとき暇潰しに買ったものだ。もう読まんからやろうと思ってな」
本当にそれは戯れに買った余計なもので、荷物にしかならないから押し付けようと持ってきたものだった。
だが、あかつきはそんな俺の心中に気付かずか、大きな瞳を輝かせ、純粋に喜んだ。
「有り難い。大切に読ませてもらうな」
そう言って胸に抱え込む。
「お返しといってはなんだが……。そうだ」
そう言ってあかつきは後ろの棚から一本の紫紺の組紐を取り出した。
「これなどどうだろう。お前の髪の色によく似合う」
そう言って俺の髪を結わえていた紐を有無を言わさず解いた。いつ作ったものか忘れたがそれはただ草を適当に編んで作ったものだったのでもういつ切れてもおかしくないくらいぼろぼろになっている。
「見ていてもう切れそうだったからな」
そう言ってあかつきは俺にそれを手渡すと器用に髪紐を一瞬で結んでしまった。
「うん、よい。いい男がますますよくなったぞ」
「そいつはどうもな」
他人からものをもらうなんてむず痒いかぎりだったがどうせ前のものはもう捨てようと思っていたので俺は有難く組紐をもらっておくことにした。
それから俺たちはしばらくとりとめもない話をした。
近頃の都の評判、美味いものなどあかつきは流行りものの話によく食いついてくるのでそのことについて詳しく話した。
「お前は物知りだな」
いちいち話題に反応しながらあかつきは言った。
「まあ都には旅人も多いし、俺自身日本中を巡り歩いているからな」
「そうなのか。なあ赤鬼、海というのはどんななんだ」
「海?潮臭くて何もない場所だぞ。まあ捕れる魚は美味いが」
「即物的なんだな」
「うるせえな。ああ、あと朝焼けや夕焼けは見応えがあるぞ。水面と天の境目に太陽が出たり沈んだりするんだ」
「へえ……。私は村から出たことがないからな。山と川しかないから海は読み本の絵でしか見たことがないんだ」
そう言ってあかつきは遠くを見る目つきになった。
「……いつか見てみたいものだな」
本人も意識せずに出た言葉なのだろうが俺はそれを聞き逃さなかった。
俺が言葉を返す前にあかつきは何事もなかったかのように俺の方に向き直る。
「よし、次は私の番だな」
あかつきはこの村にいる獣や鳥の種類、食べられる草と食べられない草の見分け方、美味い魚が捕れる場所など日がな座敷の中にいるとは思えないほど野性味に溢れる話を語り出した。
なかなか面白い話だったのでしばらく集中して聞いていたところ、外に人の気配を感じた。
息を潜めてはいるようだが俺に対してにおいまでは隠せない。
「おい、誰か……」
俺がそう言おうとすると、静かにと言うようにあかつきは俺の唇に人差し指を当てた。
「冬彦、出てきていいぞ」
あかつきがそう言うと水洟を垂らした子供が木の陰からおずおずと出てきた。
なんだこいつは、という顔を俺がしていたのだと思うが、あかつきは言った。
「地主殿の子の冬彦だ。五日に一回くらい私は屋敷内に限って外に出てもよいことになっていてな。鍵の世話をしてくれるんだ」
この屋敷の主人の子。つまり、見張り役ってわけか。
子供は明らかに俺を
「ああ気にせんでくれ。この男はなんというか、そう流れの旅人でな。話が面白いから時々寄って貰っておるのだよ」
説明が不可思議、というか嘘が下手過ぎると思ったが冬彦とやらは興味なさげに頷いただけだった。
「
そう言って鍵をがちゃりと開ける。腕の輪のようなものは付けたままだが足枷も外された。
「有難い。よし来い赤鬼!」
そう言ってあかつきは庭を駆け始めた。どういうことか分からないが俺もついていく。
「どこ行くんだ」
そう俺が叫ぶと丁度座敷と対角線上にある庭の隅であかつきがいきなり立ち止まったので俺は勢い余ってぶつかりそうになる。
「危ねえな」
あかつきがふらついたので俺は反射的にその肩を抱き留める。驚くほど細かった。
上気した顔で振り返るとあかつきは言った。
「いや済まんな。もう息が切れてしまった。まったく慣れないことはするものではないな」
そりゃあ普段からあんなところに籠もりきりにされていきなり走れば息も切れるだろう。
俺は肩を竦める。
「あれを座敷からいつも見ていたんだ」
そう言って差した指の先を見ると柿が枝に大きな実をつけている。
じっと熱い視線を向けているところから見ると食いたいらしい。
「……」
食いしん坊かよ。
俺の呆れた視線にぶつかって、あかつきはぶら下がっている柿と同じように真っ赤に頬を染めた。
「なんだその顔は。意地汚くて悪かったな」
「いや別に悪いとは言ってねえが……」
「なあ赤鬼」
あかつきが頭上を指差した。
「取ってくれ」
自分でやれと思ったが、確かにあかつきの背丈では一番低い実でさえ手が届きそうもない。
「仕方ねえな」
俺は腕を伸ばして美味そうな実を一つもいでやる。
「ほら」
手の上に落とすと受け止めてあかつきは例の輝くような笑顔をみせた。
「ありがとう」
「……」
その様子を見て、俺はあることを思いついた。
無遠慮にあかつきの足を抱えるように、腕を回す。
「うわ、何をする!」
いきなり抱きつかれたと思ったのか、俺の突飛な振る舞いにあかつきが驚いた声を出すが構わずにそのまま担ぎ上げる。
すると、枝にあかつきの手が届いた。
「ああ、何をするかと思えば……。なるほどこうすればよかったのか。赤鬼、もちっと右だ」
注文が多いことだ、と思いながら俺は少し右にずれてやる。
「取れた!下ろしてくれ」
あかつきがそう騒ぐのでなるべく衝撃を与えないように下ろす(もの凄く軽かった)。
「上手く取れたか」
俺がそう言うとあかつきは頷いた。
「ああ」
それから、俺の手の上にぽんと実を置く。
「これはお前のぶんだ」
艶やかな、赤い実が手の内にあった。
「……美味そうだな」
俺は無愛想にそうとだけ言った。
素直に礼でも言えばよかったのかもしれないが、とっさのことで俺はそこまで気が回らなかったのだ。
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