店主のこの先 2

「きゃっ!」


 作業場に入ってきた九条は、何者かに後ろから押されよろめく。

 九条の後ろにいたのは炭谷が店主との間柄を気にかけていた金髪の女性。


「な……何でこんな時間に来てんだよお前……」

 目を丸くする店主。


「テンシュの提案が通って、村人たちへの説得を法王猊下自らその責を負って実行したのよ。村人達の顔、青くなるわ赤くなるわでそりゃもう大混乱」

 ツカツカと店主の傍に近寄りながら、セレナはこれまでの事を話し始めた。


 しかしいきなりこんなところで向こうの世界での話をされ、従業員達に聞かれたらどんな事態を引き起こすか想像もつかない。


「お前、ここで向こうの事しゃべんじゃねぇっ!」

「それにそのことを差し置いても、なんでこっちに来てくれないのよ!」

「何でも何も、あの店に俺は必要ねぇって言われたから行かねぇだけだ。誰がどんな権利があるかわかんねぇから、そう言われたらそれに従うまでだ。契約書なんてもんもなかったわけだしな」


 横からおずおずと炭谷が口を出す。


「あ、あの、社長。痴話喧嘩なら二階でされたほうが……」

「だぁれが痴話喧嘩だよ! ……ったく、見ろよ、こんな風に誤解される。来るなら営業時間外に来いっつっただろうが!」


 セレナに向けた剣幕を、店主にとっては頓珍漢なことを口にする炭谷にも向ける。

 そして再度セレナに向き直る店主。


「用事があったから来るのは当たり前でしょう?! テンシュ、なかなか来ないんだもん! 大体あの店の事、誰も口出しできるわけないでしょう! 適当にも程があるわ!」


 適当も何も、セレナが強引に彼女の世界に連れて行ったことが発端である。

 事情を知らない従業員達はこの二人のやり取りをポカンと見ているだけ。

 我に返った九条は店主に厳重注意。


「前にも申し上げましたよねぁ? 仕事が進むのは悪い事ではありませんが公私混同してもらっては下の者に示しがつかないと。仕事をプライベートに持ち込むのは止めてください!」


「いやちょっと待て! えっと彼女はちょっと混乱してて」


「混乱? そんなことないでしょう」

 炭谷の冷静な指摘で、店主は冷水を浴びたような気がした。


 感情的になって、周りに異世界のことがバレてしまったようなことを口にしてしまったか。


 つい口走ってしまった『村人』や『法王』と言う言葉。

 店主は必死に頭を働かせた。


 村人はともかく、法王は鳳凰の誤解と言いくるめることは出来るだろう。まだ自分にとっては致命傷ではない。

 店主はそのように自分に言い聞かせ、気持ちを落ち着かせようとする。


「ちょっと作業のデザインのことでな、鳳凰の柄にするか、蓮華の柄にするかってことでさ……」


「はぁ、そうなんすか? けど社長……」


「とにかく社長!」

 炭谷との会話に割り込む九条は、まだ眉を吊り上げている。


「とにかく公私混同しないことです! 彼女にもそう通訳してくださいっ!」

 店主は一瞬自分の周囲の時間が止まったように感じられた。


「つ、通訳?」


「英語じゃないっすよね。ドイツ語やフランス語でもないしロシア語でもない。アジア系じゃないし……。俺には何言ってんのかわかんないっすよ」


 彼女に一番関心を持っていたのはこの炭谷だ。その彼が積極的にコミュニケーションをとろうとするどころか、店主との会話に一歩も二歩も引いていた。


 何より彼女とは、店舗と社長室、そして『法具店アマミ』でしか会話が成り立たない。

 作業室にそんな術をかけてはいなかった。


「……どういうことだよ、これは……」

「その説明についてもしなきゃいけなかったし。来てくれるよね?」


 店主とセレナの会話は、決まった場所以外では他の者と同様成立しないはずである。しかしその場所以外でこうして会話が通じており、従業員達にはそれが理解できていないことに混乱をきたしている。


「……一体これはどういうことだ……」

 店主は呆然となりながら同じ言葉を繰り返す。


 そんな店主の手をセレナは引っ張り、作業室から連れ出す。


「なるべく仕事以外の外出は避けてくださいね」

 セレナに言葉が通じない九条は諦めた顔つきでそう言って二人を見送ったあと、溜息をつく。


 作業室から二人が退室した後に炭谷が一言。

「どこの国の言葉だったんですかね……。社長もいつ外国語あんなにぺらぺら喋れるようになったんだろ……」


「知らないわよ……。炭谷君、作業、続けて頂戴ね」


 何度も同じ注意をしても聞き届けてくれない店主の後姿が九条の視界から消えた後、炭谷の方に念を押すように仕事を促してから、彼女は自分の仕事に戻って行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る