第8話 棗を継ぐ者-1
その瞬間、ユーシス・レッドバーンは思い出した。
あの日、血溜まりの樹海で、グレントロールを単騎で圧倒するハルクに、うっすらと抱いた恐怖を。
「……ようやくか」
盾を捨てたハルクに倣い、ユーシスも銃をホルスターに納め、かわりに腰の鞘から深紅の剣を抜き放った。
騎士道ではない。ハルクの構えが、あの日、この闘技場で対峙したシオンとぴったり重なったのだ。打ち合いたいという剣士の血が、ユーシスに剣を抜かせるほどに。
ユーシスは片手剣を肩に担ぎ、その剣を隠すように半身になって腰を落とした。幼い頃から父に叩き込まれた、《レッドバーン流剣術》独特の構え。
「ハァッ!」
裂帛の気合いを吐き出し、ユーシスは一直線に突進した。担いだ剣を、踏み込みに合わせ袈裟気味に振り下ろす。体重の乗った重い一撃だ。
ハルクの青い眼光が、尾を引いて流れた。
信じがたいことが起きた。頭を狙ったユーシスの剣が、ハルクの肩辺りを掠めて空振りしたのだ。ハルクは一歩も動いていない。ただ、頭の前で斜めに倒したハルクの剣に――あり得ないほど優しく、受け流された。
「
火傷した唇が
「【
「うっ!?」
防御の美しさに見惚れる暇もなく、喉を最短距離で狙った突きが飛んでくる。いつもは穏和な青い目に、今、光はない。
たまらず大きく後ろに跳んで距離をとるユーシスに、間髪入れずハルクが地を蹴る。火の出るような加速で一瞬にして肉薄し、弾丸のような突きを繰り出す。
「【
「なめるな!」
剣と剣が激突し、膨大な火花が散る。至近距離でにらみ合い、競り合う剣圧は、地球人の誇る腕力も味方し、僅かにハルクに軍配が上がる。
「ぐぉ……!」
ハルクの剣は、ユーシスの想像を遥かに越えていた。グレントロールに立ち向かったあの日より、数段洗練されている。
――アルフォードがナツメに師事して、まだ一年にもならないというのに……! こいつの剣術は、既に俺を越えている!
不思議と、屈辱ではなかった。
この合理的な剣術と、理論から入るタイプのハルクは相性が良かったのかもしれない。一つだけ悪かったのは、この剣術を人に向けるには、使い手が優しすぎたこと。
『ユーシスのやつ、敵に塩を送りすぎたんじゃねえか? あのままトドメ刺しとけば楽に勝てたのによ』
放送席で、ロイド・バーミリオンは笑った。その閉ざされた目の奥で、郷愁にも似た眼差しが揺れる。
『……一年前。たった一年前は、あんな情けねえ音だったのになぁ』
『ハルク選手、盾を捨て猛然と打ちかかる! 素人の私が言うのも恐縮ですが……な、なんと美しい剣技でしょうか……!』
ハルクの猛攻は止まらない。力任せに
「【
――これは、剣で受けては駄目だ!
寸前でガードを中断し、間一髪屈んで回避。ブォン、と、頭上を必殺の威力が通過する。しゃがみこんだ体勢のまま、ユーシスは空いた左手を銃口のごとくハルクに向けた。
「【
放射状に拡散した爆炎が、ハルクを飲み込む。次の瞬間、灼熱の炎を金髪の騎士が飛び越えた。背負っていた純白のマントを叩きつけ、炎の生む上昇気流を捕まえたのだ。
白薔薇のウォーカーが身に付けるマントは、頑丈な繊維を、一流の職人が門外不出の製法で編み上げた特別品。軽く、丈夫で、温度調節機能にも優れている。毛布代わりにもなり、炎天下や寒気から鎧と体を守ってくれる、旅の必需品。だがユーシスには、それを戦闘で使うという発想がなかった。
「やっと左手を使ったね!」
戦慄した。あのハルクが、戦いの中で笑っている。垂直に振り上げられた鋼の剣が、雷のように閃いた。
「【
ついに回避を追い越して、ハルクの剣がユーシスを捉えた。頬に一条の切り傷を走らせたユーシスの周囲を、切られた赤毛が舞う。
「……貴様が戦闘中に笑うとはな。何がおかしい」
「いや、君の剣術、空いた左手で煉術を使う前提で設計されてるだろう? 右手一本にこだわってたから、本気を出させたのがつい嬉しくて」
「待て。何故俺の剣術を知っている」
ハルクはきょとんとした顔で、持っていたマントを手放すと、至極当然とばかりに言った。
「だって、君の独特な構え、あれじゃどう考えても隙だらけじゃないか。君の家に伝わる剣術なら、右の剣と左の煉術の"二刀流"――そういう発想なんだって予想できる」
ユーシスの血が、肉が、ぞわぞわぞわっと高揚で踊る。
――こいつはそこまで見破っておいて、俺が左手を使って思わず笑ったのか。虫も殺さぬ顔をして、ナツメと同類ではないか。
こんな感覚は、あのランク戦以来だ。
ユーシスにとって、強くなることは義務のようなものだった。名門レッドバーン家の長男として、天上の存在で居続けることが責務だと、言い聞かされて育った。日々血反吐を吐くような鍛練に明け暮れることに、嫌気がさすこともなければ、疑問に思うことも、同時に、志を持つことも一度としてなかった。
退屈していたのだと思う。対等に付き合おうとする学友など一人もいない。剣も、煉術も、同年代が相手では勝負にすらならない。
意味も見つけられずに鍛え続けた、強すぎる力を、受け止めて、弾き返して、へし折ってくれる相手を……ユーシスはずっと、シオンに負けるまで、切望していたのかもしれなかった。
――ちちうえ。おしごと、いってらっしゃいませ。
幼年期、現役ウォーカーとして多忙な日々を送っていた尊敬する父を、毎朝、お気に入りだった耳の大きい犬のぬいぐるみを引きずって見送るのが日課だった。
ユーシスは一人っ子だ。広すぎる家には家事手伝いこそ大量にいれど、ユーシスはいつも一人だった。見かねた父が、ある日ペットモンスターを買ってきた。
ユーシスのぬいぐるみに似た、犬型のモンスターだ。ペットモンスターとは、人を食わない危険度"無印"のモンスターのなかでも、知能が高く、人の飼育に足るモンスターのことである。筋肉の引き締まった猟犬で、ユーシスにとても忠実だった。ユーシスにとって、それが始めての友だちだった。
《イグ》と名付けたその犬は、六年生きた。ペットモンスターの寿命は短い。人を食わないモンスターに、煉素は力を貸さないから。ユーシスはまた、一人になった。
その翌年、ユーシスは十一歳にして、【造形煉術】によって造り出した炎を、まるで命を吹き込んだように操れるようになった。
歴史上、例を見ない新術。周りの人々がそれを【召喚煉術】と呼ぶなか、ユーシスはそれに、初めての友の名をつけた。
前人未到の新術を編み出せたのは、ユーシスが、天才だったからじゃない。
ユーシスはただ、もう一度、友だちが欲しかっただけだった。
ユーシスは再び剣を肩に担いで構えた。全身にありったけの【煉氣装甲】を施し、左手には炎を灯す。開幕から煉術を乱発したツケで、消耗は著しいが、心はいつになく軽い。
汗だくの赤毛を一度かきあげて、ユーシスは少年のように笑った。ハルクもまた、火傷と
両者絶叫し、戦場には再び炎と剣戟が入り乱れた。
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