第6話 決闘-1

 世界樹。


 口に出さずにはいられない、神秘的な言葉だった。語るロイドの声も、どこか興奮気味に弾んでいた。


「世界樹--学名は《ワイズエント》。スパコン並みの頭脳と処理能力を持った"植物型モンスター"だ。人を捕食することもなく、アカネの中心で何千年と生きてるらしい。この掲示板はそいつの幹から製造されたモンだ」


「モンスター……これが」


 言われて俺は、妙に納得した。この木は……切り出され、掲示板の形に加工されてもなお、"生きている"。この距離からなら、その呼吸、脈動が、確かに感じ取れる。


「ワイズエントは英語を学習している。それをプログラミング言語みたいに介して会話するんだ。同じ素材で作った子機にコードを書き込めば、よほど拙くなけりゃ意図を汲み取ってくれる。シオン、学生証を貸してみな」


 言われるまま学生証を手渡した俺に、ロイドは衝撃的なことを言った。「この学生証も、世界樹が素材に使われてる」と。


「えぇ!?」


「お前、減点や加点されるとき、裏に教官がなにか書き込んでるの気にならなかったのか?」


「いや、それは気になりましたけど……裏見ても何も書かれてなかったし」


 植物学の後、返却された学生証の裏面を見たが、スマートフォン規格の面積にただ木目が広がるのみで、インクの滲んだ痕跡すら見つけられず、不思議に思ったものだった。


「まあ見てろ」


 ロイドは懐から羽ペンを取り出し、俺の学生証の裏面にその先を這わせた。そのままサラサラとペンを走らせる。当然、インクを付けていない羽ペンの先からは何も生まれない--と、思った直後。


 僅かな時間差を置いて、羽ペンのなぞった軌跡が薄っすら光り輝き始めたではないか。


 光の線が、ペン先をなぞるように伸びていき、間もなく光り輝く文字列の形を成した。筆記体の走り書き--「Open my points」。


 ロイドの記した要請に応えるように、一瞬、文字が強く明滅した。染み込むように光が消え失せる。


 そして間もなく、内部から滲み出るみたいに、濃い紫色の色素が文字の形を成した。炙り出しを思わせるその光景に、強い既視感を抱く。さっきの、掲示板に俺の名前が現れた時と同じだ。



 --610



 学生証の裏面いっぱいに現れたその数字は、間違いなく俺の現在のポイントだ。世界樹からの返答。ロイドと世界樹が、今、間違いなく"会話"をしたところを、俺は目の当たりにした。


「俺たち教官は、この超絶賢い木に、お前ら候補生の取得単位状況や獲得累計ポイントを管理してもらってる。学園だけじゃなく、ギルドの事務仕事も今やコイツなしじゃ考えられない。機械じゃなくて生き物だから、思い通りにならない時もあるがな」


 俺はただ、信じられないものを見た思いだった。返してもらった学生証を手に乗せて、しげしげと物色する。こんな形に切り出されても、この木は未だ、かつて一つの体だった分身たちと繋がっている。それどころか、人間に力を貸してくれている。


「この木を発見し、あろうことか心まで通わせたのは、とある《白薔薇》のウォーカーだ。仲間パーティーも持たず、単身で世界中を渡り歩いてる。最後にこの国に帰ってきたのはもう二年も前になるか。俺も現役時代、何度か会話を交わしたが、とにかく底の見えない男だった」


「それ、知ってます! 《白皇はくおう》さんですよね!? 僕はその通り名しか聞いたことないけど、すごく有名です!」


 興奮するハルの言葉にロイドが頷いた。白皇……白薔薇にはそんなすごい人がいるのか。樹齢何千年のワイズエントを広大なフィールドから見つけ出すばかりか、手懐てなずけてしまうなんて。


「六年前に白皇が世界樹の一部を持ち帰ってくれてから、学園のシステムはそりゃあもう向上した。少ない指導教官で多くの候補生を管理できるし、なにより、優秀なやつはソッコーで卒業させられるようになったからな。若い優秀なウォーカーが増えてきたのも白皇と世界樹のおかげだ。まぁ、それで盲目の老害は隠居する羽目になったんだがな! うっはっはっはっは!」


 笑っていいのかわからない。


「つーわけで、シオン、お前もさっさと卒業しろ。マッチング待ちの名前から適当に一人選んで受付に申請すれば、近日中に試合を組んでもらえるぜ」


 言われて俺は、掲示板に並んだ名前に目を移す。ロイドは掲示板の右端を指差した。


「このポイントは、他の授業でチマチマ稼いだ分が含まれていない。純粋に、ランク戦によって得ているポイントだ。だからこいつの値が、そのままランク戦の"レート"だと思え。掲示板の上にいるやつ、つまりこの数字が高いやつほど、強え。シンプルだが事実だ」


「レート……」


「特にランク一位のマリア、お前らも同じクラスだから知ってるだろ? アイツとは悪いこと言わないから戦うなよ。上位に上がるほどポイントが稼ぎにくくなるのに、ランク戦だけで9,000オーバー貯めてるとか、異常だからな」


 確かに、二位以下が3,000ポイント台なのに比べてマリアの数字は飛び抜けているし、戦績の欄を見ても、二位が21勝1敗なのに対し、マリアは143勝17敗だ。桁が違う。


 だがそれよりも、俺はロイドの言葉の中に気になる部分があった。


「上位に行くほど、ポイントが入りにくいんですよね?」


「あぁ、そうだが」


 ロイドはランク戦について、「他の候補生のポイントをぶん盗れる」と言っていた。


 上位に行くほどポイントが稼ぎにくくなるということは、つまり、レートの近い者同士が戦う場合と、レートの高い者と低い者が戦う場合で、ポイントの増減が違うわけだ。


 具体的には、格下を倒してもポイントはそれほど上がらず、逆に格下に負ければ、一気にポイントを失う。強者がいたずらに弱者を狩りまくってポイントを乱獲するようなことはできにくくなっている。世界樹の演算能力があればこその、公平な仕組みである。


「なら、俺が上位ランカーを倒せば、一気にポイントを稼げますよね」


「お前話聞いてた?」


「シオン、脳筋すぎるよ……」


 ロイドとハルが揃って呆れ返った顔をする。


「まぁ、理屈はその通りだが……せめてランキングのトップ2はやめときな。他とはレベルが違うから。それ以外なら好きにしろ。じゃ、俺はこれでも忙しいんでな」


 ロイドは手をひらひらさせて俺たちに背を向けた。「色々と、ありがとうございました」と頭を下げた俺に、ハルも続いた。二人だけになった俺たちは、改めて掲示板を眺める。


「さて、どいつと戦うかな……」


「シオン、この人なんかどう? この、いっちばん下の人。ザッコ・スギールさん。0勝52敗だって」


「いや気が引けるわ」


 とは言え、だれか相手を選んだとして、その人がそもそも俺との対戦を承諾してくれるかは疑問なところだ。0勝0敗の新参者は、実力が未知数な割に勝っても旨味が少ない。


 それを言うと、ハルは「何も分かってない」とばかりに説教臭い口調になった。


「戦績のないルーキーは負け越してる人よりは配当高いから、むしろ狙われるんだよ! だから最初は弱い人と戦おうよ。ほら、このいっちばん下の……」


「スギールさんはもういいよ。なまじ弱い人と戦って勝ったとして、半端にレートが上がったらいざ強いやつと対戦した時の旨味が減るだろ。最初はむしろ負けても失うものないんだから、強気にいくべきだ」


「そんなこと言って、ケガでもしたらどうするんだよ!」


 言い争っていた時だった。


「やぁ、これはこれは。ナツメ候補生殿じゃないか。《剣術基礎》を一日で修了したとの噂、随分派手に広まっているぞ」


 分断された人混みの間を花道のように歩いてきたのは、昼間食堂で絡んできた顔であった。ユーシス。炎髪のオールバックと深紅の外套が、いかにも目立つ。例のごとく二人の取り巻きを連れていた。


「なんだ、お前か。なんか用?」


 反射的にハルを背に隠して、ぶっきらぼうに問う。こいつの姿は実は数分前から目の端に捉えていた。ユーシスも気づいていたはずだ。今になって突っかかってきたのは、ロイドが去るのを待っていたからだろうか。


「随分だな、君にとってもいい話を持ってきたというのに」


「いい話?」


 反応した俺に、ユーシスの口元が狡猾げに歪む。


「ランク戦の対戦相手を探しているんだろう? 私もなんだ。君とは昼の因縁もあるし、どうだろう、男同士、爽やかに剣で決着をつけるというのは」


 ハルがハッと息を飲んで、「ダメだ」と鋭く囁いた。


「マジで? それは確かにいい話だな」


「シオン!?」


「ただ、因縁なんて大袈裟だな。昼のはどう考えてもお前が悪いだけだろ。ハルに一言謝れば済む話じゃねーか」


 ユーシスは俺の言葉の後半だけ聞こえなかったかのように、大仰な手振りで俺の快諾を喜んだ。


「では、手続きは私がしておこう。日頃はいつがよいかな?」


「いつでも、空いてるとこで。なるべく早めがいいな」


「心得た。では、また掲示板を確認しておきたまえ。当日楽しみにしているよ」


 笑いを堪え切れないような表情でそれだけ言うと、ユーシスはさっさと踵を返してしまった。二人の手下はそれぞれ俺たちにひと睨みをくれてから、ユーシスの後を追っていった。


「よし、これで対戦相手が決まったな。よかっ……」


 俺が言葉の続きを飲み込んだのは、ぐわぁっ、と凄まじい剣幕でハルに胸ぐらを掴まれたからだ。


「何考えてるんだよ! 相手はフレイムの首席だぞ! 向こうから自信満々に挑んできてる時点で、シオンをカモにする気満々なの分かれよ!」


「お、落ち着けって……ユーシスが強いなら望むところじゃないか。さっきも言ったけど、最初こそ上位と戦わなきゃな。さて、ユーシスは何位かな、と」


 ハルを引き剥がし、掲示板の中腹あたりから少しずつ上に向かって視線を移動し、ユーシスの名前を探す。ところが一向に見つからない。


「あれ? あいつの名前どこ?」


「……もっと上だよ」


 ハルは蚊の鳴くような声でそう言った。その言葉で、俺の視線はさらに上へとのぼっていく。


 そして、ついに見つけた。「Yousiss Redburn」という名前は、上から二番目、マリアのすぐ下に堂々と存在していた。


「……あら」


 全校ランク、二位。


 ロイドの忠告を、俺はさっそく無視してしまったのであった。

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