31話 静かな日々と見えない予兆

 6度目の梅雨が来た、アレックスは長雨で街道が塞がる前に王都に帰って行った、あれから何度もお店に来てくれて、友達になれたのに少し残念だ。


 あと新しい店主のアンリさんはとても優秀な人だった。

 西南部の天気を予想する西部南気象台が発表する一週間の予想を基に馬車の運行管理をして、魔物への対策もしっかりとしているから、梅雨定番の配送が遅れるという事が無くなった。

 おかげで梅雨に入ると不機嫌になる女将さんは何時も上機嫌だ。


「やあマリアちゃん、甘い物は好きかい?」

「大好きです!」


 ボクは思わず大きな声で答えてしまった。


 アンリさんが来るまで配送の遅延が多発して、さらに砂糖といった甘味の価格が高騰した事もあって何か月もボクは殆ど甘い物を口に出来ていない。

 あいや、食べてはいるけど今までの半分以下になってしまった。


 甘い物が食べたいという欲求が日増しに増えて行くけど、蜂蜜は高級品でそれ以外の甘味も腹の立つ事に増税されて手が届かない、副女将さんやリーリエさんが作ってくれるけど材料も高騰しているから週に一度だけで、だから甘い物と言われて興奮してしまうのは仕方がない。


「元気が良いね、それならこんな物はどうかな?」


 アンリさんが取り出したのはリンゴ?でも黄色を通り越して金色だ、黄金色なる金色だ、食べられるのだろうか?アメリカのお菓子の様に原色発光色と同じに見えて来る。


「驚いているね、これはオージェの元特産品でクインスと言うんだ、別名は蜜の実でね味は蜂蜜に似ているけど果実の様でもある不思議な果物なんだ」

「蜂蜜……」


 いけない、涎が垂れそうになっちゃった。


 クインス、確かマルメロの英語名で日本だとセイヨウカリンの事だ。

 ただ図鑑で見た物とまるっきり違う、形はそれこそ黄金で作った林檎で食べられそうには見えない。

 あれかな、山吹色のお菓子かな?


「珍しいね、まだクインスを作ってるの農家があったとはねえ」

「ええ、ちょっとした事情で引き取ったんですが欲しがる人はいませんし、倉庫で腐らせるならお礼も兼ねて差し上げようかと」

「……またかい」


 女将さんがジト目になる、アンリさんは苦笑いを浮かべている。

 それよりもボクはクインスを早く食べたい、見た目が見た目なだけに食べられそうにないと思っていたけど、女将さんが知っているなら食べられるという事だ、蜂蜜の味がする果物なら早く食べたい!


「て、マリア…涎……」

「ふえ?」


 あ、涎が垂れてた。


「待ってな、すぐに切ってやるから」


 女将さんはアンリさんからクインスを受け取ると厨房で皮を剥いて……え!中身はべっこう飴みたいな色で透けてる、恐るべしファンタジー……。


「ほら食べてみな、甘いよ」

「はい!」


 ボクは恐る恐る、齧ってみる。

 見た目がガラス細工のリンゴみたいで勢いよく齧り付く勇気はなかったけど、何と言うか見た目は堅そうだ。

 と、さっきまで思っていました。


 なにこれ柔らかい!持った時は堅かったのに齧ると生キャラメルみたいな食感になった。

 それに味は蜂蜜に似ているけど後を引かないさっぱりとした甘さで、ねっとりしているのにどこか果物の様に瑞々しくて矛盾だらけの味と食感だ。

 そして一番は甘い、とっても甘い!


「気に入ったみたいだね、それじゃあ次は面白物を見せてやるさね」


 そう言って女将さんは皮を剥かずにクインスをボールの上で強く叩く、するとクインスは一瞬で水の入った風船の様になる、何で!?どうして!?そして包丁で切れ目を入れると蜂蜜の様な少しトロっとした果汁が出て来る。


「クインスはね、強い衝撃を与えると液体になって煮詰めると水飴の様な粘りを出すのさ。それを使って作ったシロップは何かとして重宝されたものさんね」

「砂糖の代わりにもされていたんだけど、砂糖が安価で生産されて蜂蜜の価格が下がると輸送に手間がかかる事から嫌厭されてね、今では生産している農家はシャトノワ領に一軒だけになったんだ」


 女将さんとアンリさんはしみじみと語る、幼い頃の思い出の味と言うやつかな。


 ボクはクインスのシロップを掬って舐めてみるとまさに少しトロっとした蜂蜜味の液体だった、確かにこれなら砂糖の代わりになるし煮詰めればそれこそ水飴の様に使える、でも砂糖や蜂蜜が簡単に手に入る様になったら誰も欲しがらなくなるのも分かる。

 栄枯盛衰、諸行無常と言うかな。


 でも後を引かないさっぱりとした甘さと煮詰める事によって強い粘りが出るという特性……使える、前から取り組んでいたウスターソースの改良に使える、これなら安易に砂糖とかを加えずに甘さを足す事が出来し、足りないトロミを出すのに必要以上に煮詰めて風味を殺す心配も無くなる。

 それにどこか奥の深い甘さもある、ソースにコクや深みを足す事も出来るかもしれない。


「アンリさん!クインスてどれくらいありますか?」

「山ほど、木箱でね」


 試作し放題だ!ボクはさっそくクインスを付け足したウスターソース作りを始める。


 副女将さんとリーリエさんにも協力してもらって試作を続けて3日後についにあの味を再現する事が出来た、お好み焼きにも揚げ物にも刺身にも何でも合う万能ソースをボクはついに再現した。




「ラインハルトさん、それにフランシスさんいらっしゃい、あれ?今日はアンリさんは来られなかったんですね」


 珍しいなロドさん達と同じで何時も三人揃ってお店に来るから、どうしたんだろう?何か用事でもあったのかな。


「店主は緊急の、西部の支店会議の為にリューベーク領に行ってます、今日はビーフシチューの日だと悔しがってましたよ」


 と、フランシスさんが答えてくれた。

 そうか会議に行っているのか、確かリューベーク領は西部で随一と言われている領地だ、領主は侯爵家で開明的な人物で西部で最初に鉄道の敷設を行った事で知られていると前にシェリーさんが言っていた。


「ではお二人はビーフシチューですか?」

「ああ、友は今、西部の花で豪華絢爛な食事をしているだろうからな、我々も気兼ねなく楽しめる」


 髭を剃り髪も短く切り揃えたラインハルトさんは少し物憂げなイケメンに変身した、だから悪い顔で笑うと絵物語の悪い騎士に見えてしまう。


 ただそのイケメンっぷりはすごくて、ラインハルトさんに会う為にアーカム支店を訪れるお客さんが増えた程だ、そしてラインハルトさんが淑女の酒宴の常連だと知れ渡ると今まで少なかった女性客が一気に増えてしまった。


「あれが来てから本当に女性客が増えたのう」

「……はい、おかげで新しいメニューを考えなくてはならなくて、変な方向で苦労しました」


 グスタフさんも色めき立つ女性客を見ながら呆れた声で言う、ラインハルトさんは悪い人じゃないんだけど、彼を目当てに来る女性客は何かと注文が多い、今まで男性客が中心でメニューも男性向けの物が多くて女性向きは殆どなかった。


 女性向けメニューを増やして欲しいという要望を応える為に色々と料理を試作して、最終的に油を少なめにしたヘルシーな野菜中心のメニューを作って対応したけど、本当に苦労した。


 それでもグスタフさんと歳の近い筈の綺麗なおばあさんのマギーさんは普通にガッツリとお肉系のメニューを食べているのは何でだろう。


「本当に美味しいわ、メイド風スペアリブは病み付きになる味ね」

「お前も少しは彼女らの様な物を食べたらどうだ?」

「忘れましたか中佐、昔から私は肉食ですよ」


 マギーさんはグスタフさんの事を中佐と呼ぶ癖があるらしい、何でもグスタフさんが中佐の時に知り合ったらしくて、グスタフさんが准将になってもその癖が抜けなかったらしい。


「本当にお前は変わらんな、まあその方が張り合いがあって楽しいがな」


 本当に仲の良いご夫婦だ、もしボクに父親が出来るならグスタフさんの様な紳士な人がいいな、正直言って前世の父と今世の父は社会一般では良い父親とは言えないから、尚更そう思ってしまう。


「嬢ちゃん、ギョーザお代わり4皿頼む!」

「はい親方さん、4皿ですね」


 今日は親方さん一家も来ている、夢中でギョーザを食べるニムネルさんやお弟子さん達、そう言えば親方さん夫婦もすごく仲が良い。

 ギルガメッシュ商会を通して色んな商品を売る様になってから家計が楽になったみたいで、週に一度は淑女の酒宴に夕飯を食べに来てくれる。


 そう言えばアンリさんが行っている緊急の支店会議、何を話し合っているんだろう。


 緊急という事は何が大きな出来事があったという事だと思うけど、時々読む新聞にはそんな事は書いていなかった、つまりこれから起こる事への対策なのかな、それとも噂のルッツフェーロ商会に関する事かな?アンリさんが帰って来た時に教えてくれそうだったら教えてもらおう。



 この時のボクは、それから少ししてアーカムだけでなく、セイラム領全土を揺るがす事件が起こる事を知らなかった。

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